第2話 お礼のはずが
「えっと⋯⋯⋯⋯お礼されるような事、俺したかな⋯⋯⋯⋯」
俺はとぼける事にした。
別に篠原さんが怖いという訳ではない。
あの場なら誰だってそうするだろう、という当たり前の行動をしたまでで、別にお礼なんて求めていないのだ。
そう、決して篠原さんが怖いという理由では無いのだ。大事なので二回言った。
「私、お礼はちゃんとしたいタイプなの。だから鳴海くんさえ良かったら今日付き合ってくれないかしら?」
どうやら篠原さんは俺だと確信しているらしい。もう話を次に進めていた。
こうなると俺に残された選択肢はいつ行くかだけだ。それなら早く済ませることにしよう。
「分かりました。今日行けます」
「どうして敬語なのよ」
そんなの決まっている。
篠原さんが怖ッ⋯⋯⋯いや、何でもない。
彼女の事を全く知らないからだ。
嘘だとは分かっているが、悪い噂しか聞かないとなると、やはり身構えてしまうものだ。
※
俺は大人しく篠原さんに付いて行った。
その間、特に会話はしなかった。
本当に気まずかった。だがそう思っていたのは俺だけだったのかもしれない。
彼女は俺の存在を忘れているかのように先へ進んで行ったのだから。
そうしてついた先は―――スーパーだった。
何故スーパーなのだろう。
俺が戸惑っているところ、篠原さんはスタスタと中へ入っていく。
俺は慌てて彼女について行った。
「篠原さん、何故スーパー?」
「ここに来るまであなたへのお礼を考えていたのだけど、思い付かなくて。でも歩きっぱなしも悪いから、とりあえずスーパーに来てみたの⋯⋯⋯⋯」
「なるほど⋯⋯⋯⋯⋯」
お礼を考えてたからずっと無言だったのか。
そんなに悩んでいたなら相談してくれても良かったのに。
篠原さんはカートにカゴを一つ乗せる。
「あっ、お礼思い付いたわ! お菓子好きなだけ奢ってあげる」
「⋯⋯⋯⋯俺、ガキだと思われてる⋯⋯⋯⋯?」
「違うわよ! 男子ってお菓子好きじゃないの?」
何の疑いもなくそう言う篠原さん。
「人それぞれだとは思うよ。まあ俺は好きだし、奢ってくれることに関してはありがたいけど」
彼女の中の男のイメージはどうなっているのだろう。昼の出来事から察するに食欲と性欲が強い獣といったところだろうか。
「じゃあ私は、買い物してるからゆっくり選んできて。あっ、値段とかは気にしなくていいわよ」
「分かった。行ってくるよ」
そう言ってお菓子コーナーに向かおうとした俺に篠原さんは言った。
「ねぇ鳴海くん。⋯⋯⋯お昼の時はありがとう。⋯⋯⋯凄く怖かったから、ほんとに助かったわ⋯⋯⋯⋯」
篠原さんは表情こそあまり変えないものの、少し慣れていない様子でそう言った。
もしかすると彼女は不器用なのかもしれない。そう思うと俺の中の彼女に対する印象が良い方に変わった。
※
俺はお菓子コーナーに向かい悩む。
高校を機に一人暮らしを始めた俺にとって、お菓子とは生活の上で大事な要素の一つだ。
まず塩っけのあるやつか、甘いものかだ。
篠原さんは好きなだけ、と言っていたが俺はそんな欲張りはしない。一つに絞る。
じゃがぼり⋯⋯⋯ポテチ⋯⋯⋯あっ、チョコも捨て難いな。
俺はお菓子コーナーを眺めながら、必死に悩む。まるで親に一つだけよ、と言われた子供のように。
俺がその事に気がついた時、篠原さんのお礼は案外的を得ていたのかもしれないと思った。
そうして悩んでいた時、俺の目にある物が止まった。
『期間限定』の文字だ。
じゃがぼり、炙りチーズサーモンマヨ味。
本物は美味しいが、その味をポテトで再現しているようだ。
外れの可能性が若干ありそうである。
だが逆にそれが興味をそそられる。それに期間限定となれば、一度は手に取って起きたい品だ。
よし、これにしよう。
俺はじゃがぼりを取り、篠原さんを探した。
篠原さんはお肉コーナーにいた。
既にいくらかの食材がカゴに入っている。
その風貌は、まるで母親のようだった。
「篠原さん、これにするよ」
「じゃがぼりね。弟が良く食べているわ。⋯⋯⋯何これ、炙りチーズサーモンマヨ味? あなた変わってるわね。美味しいのこれ⋯⋯⋯?」
篠原さんは俺の味覚を疑うような視線を向けてきた。
「おいおい、味音痴とか勘違いするなよ。期間限定だからこれにするってだけだ。まだ食べたことはない」
「そう。まあいいわ」
篠原さんは、じゃがぼりを手にすると、カゴに入れた。
「というかこれだけいいの? 別に遠慮する必要ないわよ」
「これだけで十分だよ」
「⋯⋯⋯そう。なら良いのだけど」
そう言って篠原さんは自身の買い物を再開した。すると彼女は両手に牛肉を持って俺の方に向けてきた。
「どっちの方が美味しそうかしら?」
どちらもそう変わりは無い。
だが右手に持つ方が若干筋っぽく見えた。
「左かな」
「じゃあそうするわ」
篠原さんは牛肉をカゴに入れると、カートを押し始める。
「カート、俺が押そうか?」
「良いわよ。お礼される立場なのだから。むしろ買い物に付き合わせて悪いわね。冷蔵庫に何も無いのを思い出してしまったの」
「別にそんな事気にしないよ。ただ、俺がカートを押した方が篠原さんの買い物が捗るだろ。二人いるんだし、ここは協力しよう」
篠原さんは少し悩んだ後、言った。
「⋯⋯⋯⋯そういう事ならお願いするわ」
「了解」
「ありがとう」
俺は篠原さんの歩くペースに合わせ、カートを引く。
「篠原さんって良くこうやって買い物に来るのか?」
「そうね。お母さんの帰りが遅いから、家の事は大体、私がやってるわ」
「凄いな」
「別にすごくないわよ。お母さんに養ってもらってるのだから、これくらいは当然よ」
俺はその当然すら出来ていない。
篠原さん、なんか大人だな。
そうして買い物を進め、レジの近くまで来ていた。
「油が半額⋯⋯⋯⋯!」
その文字に篠原さんは飛びついた。
そこには1500gの油が半額で売られていた。
半額に目がない彼女は、やはり母親に見えてしまう。
「うそ、一人一個まで⋯⋯⋯⋯」
すると篠原さんは俺の方に振り向いて言った。
「その、鳴海くん。おこがましいとは思うのだけど⋯⋯⋯⋯⋯」
「俺も一個買えばいいのか?」
「え、ええ。お願いしてもいいかしら?」
「ああ、いいよ」
「ありがとう。お金はちゃんと返すわ」
俺は油を手に篠原さんとは別のレジに向かった。まさかこんな展開になってしまうとは想像もできなかった。
だが悪くない。篠原さんの事をちゃんと知れたのは良かった。やはり彼女は噂のような人じゃない。周りよりちょっぴり大人な普通の女子高生だ。
レジを終え、篠原さんと合流する。
そこで油代とお菓子を受け取った。
冷蔵庫に何も無かった、と篠原さんは言っていた。なので買った食材の量はそこそこなものになっていた。
「良かったら篠原さんの家まで持とうか? さすがに重いだろうし」
「ありがとう。でも遠慮しておくわ。このまま幼稚園に通ってる弟を迎えに行くつもりだから、家に着く頃には日が暮れていると思うの。さすがにそこまで迷惑は掛けられないわ」
篠原さんはそう言って、両手にレジ袋を持つ。
想像以上に重かったのか、体が前に倒れそうになる。その時、肩にかけていた製鞄がするりと地面に落ちた。幸先の悪さに俺は思わず笑ってしまった。
「アハハハハ、無理すんなよ。俺が持つって」
俺はそう言って片方のレジ袋を取る。
「自分の力を過信しすぎていたわ⋯⋯⋯⋯。本当に悪いわね」
「意外とポンコツなんだな篠原さんって。⋯⋯⋯ほら、もう片方も持つよ」
「さすがにこっちは自分で持つわ。あとポンコツって言わないで」
わざとらしく頬膨らまし怒ったようにそう言う篠原さん。
という訳で俺は篠原さんの家まで荷物を持つことになった。
俺たちは並んでスーパーを出る。
そのまま、篠原さんの弟がいるという幼稚園へ歩みを進める。
「夕飯は何を作るつもりなんだ?」
「ビーフカレーよ。
妹もいるのか。
「へぇ〜良いなビーフカレー。篠原さん料理上手なんだ」
「お母さんに教えてもらったのよ。でもやっぱ母の味には叶わないわ」
そう言う篠原さんの声は少し弾んでいるような気がした。彼女は結構、家族思いなのかもしれない。
※
幼稚園に着いた篠原さんは、中へと入って行く。俺は外で待つ事にした。
ここに来るまでに聞いたのだが、弟は今年で6歳。妹は今年で10歳になるらしい。
少しして篠原さんが弟と手を繋いで幼稚園から出てきた。
彼女は見たこともない笑顔を浮かべ弟と話をしている。
弟の方はと言うと、やはり姉弟。
ちょっと篠原さんの面影がある。
幼さは残ってるけど目付きとかそっくりだ。
きっと将来、凄いイケメンになるのだろう。
「お待たせ鳴海くん」
すると篠原さんの弟は俺の方を見上げ、不思議そうな顔をして言った。
「お兄ちゃんだぁれ?」
俺はその場にしゃがみ、彼女の弟に微笑みながら言った。
「お兄ちゃんはね、お姉ちゃんの―――」
何だ? 知り合い? クラスメイト? 小さい子に言うんだから友達とかで良いのか? と俺は関係性に悩んでしまった。
それを察した篠原さんが口を開けた。
「春斗。お兄ちゃんはね、私のお友達よ」
「お姉ちゃんのお友達!!」
春斗くんは目を輝かせてそう言った。
「ねぇねぇお兄ちゃん名前なんて言うの?」
「鳴海悠だよ」
「じゃあ悠お兄ちゃんだ!」
そう言って無邪気な笑みを浮かべる春斗くん。
何だこの生き物は! 可愛すぎる!
「じゃあ春斗帰ろっか」
「悠お兄ちゃんは?」
「お兄ちゃんは、お姉ちゃんのお手伝いしてくれてるから家まで一緒よ」
「そうなんだ!」
春斗くんはそう言って俺の方を見てくる。
瞳をキラキラさせて。
「ねぇねぇお姉ちゃん、夜ご飯なぁに?」
篠原さんはその質問を待っていた、と言わんばかりの笑みを浮かべて言った。
「ビーフカレーよ!」
「やったー! お姉ちゃんのビーフカレー大好き!」
飛び跳ねて喜ぶ春斗くん。
それを見て幸せそうに微笑む篠原さん。
何だろう。彼女から溢れ出るこの最高のお姉ちゃん感は。
「篠原さんもそんな顔するんだな」
「鳴海くんは私を何だと思ってるのよ」
少し頬膨らまして篠原さんはそう言うのだった。
※
篠原さんの家に着いた頃には、日が沈みかけていた。歩いている途中に分かったのだが、案外俺の自宅の近くに住んでいたらしい。
「ありがとう鳴海くん。お礼のつもりが逆に迷惑をかけてしまったわね」
「良いよ全然。お菓子ありがとう」
「今日のお礼はまたするわ。何がいいか考えておいて」
そんなの別にいいのに。
篠原さんは律儀なものだ。
「じゃあまた明日ね」
「ああ、またな」
俺はそう言って篠原さんの家を立ち去ろうと背を向ける。
「⋯⋯⋯悠お兄ちゃん帰っちゃうの? 一緒にご飯食べないの⋯⋯⋯?」
そんな春斗くんの声が聞こえ、俺は振り返る。
春斗くんは寂しそうな顔をして俺を見つめてきた。
「え、えっと⋯⋯⋯そうだな⋯⋯⋯⋯」
なんて答えたらいいんだろうか。
ちびっ子の泣き顔を見ると、どうすればいいのか分からなくなってしまう。
「ちょっと春斗⋯⋯⋯⋯」
春斗くんは俺の方に近づいてきて、小さな手で俺のズボンを引っ張って言った。
「⋯⋯⋯⋯悠お兄ちゃん、帰っちゃやだ⋯⋯⋯⋯」
春斗くんの瞳はうるうるとしており、今にも泣いてしまいそうだ。
気持ちはわからないこともない。
大好きなお姉ちゃんのお友達が来たともなれば、興味が湧くのは当然だ。
多分、春斗くんは俺とお話したり、遊んでみたいのだろう。
俺は篠原さんに助けを乞うような視線を向ける。
篠原さんは困った顔をした後、小さくため息をついて言った。
「⋯⋯⋯⋯鳴海くん⋯⋯⋯良かったら家上がっていってくれないかしら?」
「⋯⋯⋯じゃあお邪魔させてもらうよ」
時に幼さとは凄まじい武器になる、という事を俺は初めて思い知らされた。
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