眠れる森の舞姫が布団の中からなかなか出てきません

兵藤晴佳

第1話

 遠い昔の、遠い国のお話。

 ウィステリア王国のレオニウス三世が予言者オルヴァロンに操られているという噂が立って17年になります。

 確かに、オルヴァロンの予言は当たります。

 ふらりとやってきた予言した大雨に備えて、国王が半信半疑ながら川の堤防を直したおかげで、氾濫を防ぐことができました。

 灌漑工事で功績を上げた宰相ローワンルーンなどは、地すべりの予言を信じて、領民を避難させたため、大いに信頼を高めたものです。

 それからもあまたの天災地災を予言して、宰相ローワンルーンと共に国の危機を救ってきたため、オルヴァロンがいかに政治を好き勝手にしようと、逆らえる者はいません。

 かつて人々の心を虜にした舞姫ニンフェットもいずこかへ姿を消し、国中に暗い雰囲気が漂っております。

 やがて国民の怒りは怒りのるつぼのなかで煮えたぎるようになりましたが、国王の目にも耳にも届きません。

 そのオルヴァロンが、突然、こんなことを国王に進言しました。

「国内の平和のために、ダンスで天下無双の娘を王子の妻に迎えてはいかがでしょうか」

 ローワンルーンが無言で頷いたので、国王は一人息子の後継者、ニオリエス王子に言い渡します。

「意中の姫君があるわけでもあるまい。誰にでも機会があるとなれば、民草も王家に親しみを抱こうというもの」

 しかし、ニオリエスには分かっていました。

 どうせ、オルヴァロンの娘であるカサリナ姫が選ばれるのだろうと。

 王様のお触れが出たその晩、ニオリエスはこっそり城を抜け出します。


 町中の芝居小屋で、舞姫セイレーヌの部屋の窓を小石が叩きます。

 セイレーヌが顔を出すと、真下から囁く声があります。

「起こしてごめん」

 ニオリエスでした。

 この二人は、子供のころからの顔見知りです。

 フィクリサリスの森で狩りをしていたニオリエスが見つけ出した小屋で、ひとりで暮らしていた小さな娘がセイレーヌでした。

 哀れに思って連れ帰り、事情を聞こうとするとオルヴァロンが妙にうろたえ、ローワンルーンが追い出すよう求めます。

 間に入った国王が引き取り手を探すと、街の芝居小屋が引き取ってくれたのでした。

 セイレーヌが気になって仕方がないニオリエスは、駄々をこねては城の者の手引きで芝居小屋へと遊びに来るようになります。

 見よう見まねでダンスを覚えたセイレーヌはめきめきと腕を上げ、やがてウィステリア王国では比べる者のない舞姫として知られるようになりました。

 今では、その舞が国中の人々の心の慰めとなっております。

 当然、誰もがセイレーヌもダンス比べに名乗りを上げるものと思っていました。

 ニオリエスも、また。

「お触れは知ってるね」

「聞いた」

 ベッドの上の布団から起き出して眠たげに答えるセイレーヌに、ニオリエスは熱っぽく語りかけます。

「もちろん出てくれるよね、ダンス比べ」

「興味ない」

 素っ気ない返事と共に、窓はバタンと閉じられてしまいました。


 カサリナは確かに美しく、気品のある姫君です。

 さらに、刺繍でも詩の暗唱でも馬術でも剣術でも、おまけに料理から庭仕事から畑仕事から、何をさせてもできないことがありません。

 その才覚と身分にふさわしく誇り高いのはよいのですが、どうもその万能さを鼻にかけているようで、ニオリエスは敬して遠ざけていました。

 ところが、思った通り、ダンス比べにもカサリナは名乗りを上げてきます。

 わざわざローワンルーンを通して挨拶にくるなり、恭しく申し出たものです。

「どうぞ、私の舞をごらんくださいまし……巷で評判のセイレーヌなど比べ物にならないことをお見せいたしますわ」

 カサリナが退出した後、レオニウス3世は息子をたしなめたものです。

「あまり出歩くでない……誰が見ておるかも分からん」

 オルヴァロンが口元を歪めて笑ったのを、ニオリエスは見逃しませんでした。


 そんな折も折です。

 ダンス比べが次の日に迫ったところで、街中に妙な噂が流れます。

「舞姫セイレーヌが、床に伏したままらしい」

「もう3日も眠りこけているとか」

「ダンスもやめてしまうそうだ」

 ニオリエスは慌てて、人が寝静まった夜中の街へ駆けだします。

 芝居小屋の、セイレーヌの部屋の窓に向かって小石を投げましたが、顔を出す者はありませんでした。

 それでもニオリエスは諦めません。

「……待っているからね、君のダンスを」


 日が昇ると同時に、城には国中の踊り手が集まりました。

 広大な城の中庭で最初は一斉にダンスを披露して、下手な者は次々にふるい落とされていきます。

 昼時に残った者は、10人ばかりでした。

 ここで、2人ずつがダンスの技を競い、勝ち残った者同士がまた競うことになります。

 花のように鮮やかに、鳥のように軽やかに、風のように爽やかに、月のように清らかに、どの踊り手もいずれ劣らぬ舞を見せます。

 見守るのは、国王レオニウス3世と宰相ローワンルーン、王子ニオリエス、そしてもちろん、予言者オルヴァロンです。

 もちろん、万能の姫君カサリナに及ぶ者はいません。

 ひとたび身体を翻せば燦然とした光がこぼれるようです。

 より優れた踊り手同士が勝ち残っていきますが、最後の最後で敗れ去っていきました。

 ところが、それに納得しないのがカサリナでした。

「どういうことですの? お父様」

「何のことだ?」

 しらばっくれるローワンルーンをカサリナは追及します。

「誰ひとりとして、私が見た技で勝負してきた者はいません。どういうことですの?」

 予め褒美を与えて因果を含めておいたのだろうと言わんばかりの剣幕に、国王も宰相も困り果てます。

 ただ、ニオリエスだけが意外そうに眼を見開いていました。

 高慢なだけと思っていた姫君の潔さに、心を動かされたのでしょう。

 予言者オルヴァロンはというと、動じた様子もありません。

 悠々と言い放ちます。

「陛下がお決めになったことです。宰相ローワンルーンのご息女、カタリナ姫を……」

 そこでニオリエスは鋭く言い放ちました。

「出過ぎたことを申すでない、そもそも我が伴侶を定める場に、なぜお前ごときが同席しているのか!」

 国王も、我に返ったように頷きます。

「では、お前が決めるがよい」

 ニオリエスは立ち上がるなり、堂々と宣言します。

「日没まで待つ。勝者カタリナ姫に挑戦する者なくば、我が伴侶として迎えよう!」


 そして、日が真っ赤に傾きかけた頃。

 城の門の前で、騒ぎ立てる声があります。

 門番が、国王の前に慌てて駆け込んできました。

「まるで、国中の者を集めたような数です。中に入れろ、舞姫を躍らせろと……」

 国王が厳かに命じます。

「門を開けてやれ」

 カタリナも自信たっぷりに微笑みます。

「寛大なお計らいに感謝いたします」

 ローワンルーンはオルヴァロンの顔色をうかがいますが、知らん顔をされました。

 開かれた門から、人の波が押し入ってきます。

 差し込んでくる夕日を背中から浴びながら、その先頭に立っているのは、舞姫セイレーヌでした。

 カタリナの前に、ゆうらりと立つとまずは一礼、不思議なことに辺りに霞がかかったようになります。

 宰相の娘は得たりとばかりに微笑みました。

「では、始めましょうか」

 光と霞、目に映るものと隠れるもの、不思議な対決が始まりました。


 やがて、国王レオニウス3世が厳かに宣言します。

「舞姫セイレーヌを王子ニオリエスの……」

 予言者オルヴァロンが口を挟もうとするのを睨みつける父王の姿を、息子は誇らしげに見つめています。

 宰相ローワンルーンが肩を落とすのを、カタリナ姫はすっきりとした顔で眺めていました。

 しかし、舞姫セイレーヌは不遜にも国王の言葉を遮ります。

「お言葉ながら、私はそのようなつもりで参ったのではございません」

 そこで高々と掲げたのは、懐から出した一通の手紙です。

「これは亡き母、舞姫ニンフェットが残したものです」

 涙にむせぶ声で国王だけでなく、多くの人々の前で読み上げられた、伝説の舞姫の言葉。

 それは、隠されてきたオルヴァロンの予言の真実でした。


  字が読めるほど大きくなったら、ここに書いてあることがわかるはずですね。

  いつかセイレーヌも森を出て、人の住む所で暮らすことになるでしょう。

  そこには、国王を操る予言者オルヴァロンが影を落としているはずです。

  その予言者に追われ、フィクリサリスの森に隠れ住んで初めて分かったのは、自然の移ろいを知っていれば、私でも大雨が来るのを察するのは容易だということです。

  また、宰相ローワンルーンが予言に従って多くの領民を救ったとされる、あの地すべり。

  あれは、山から無理に水を引いて来ようとする灌漑工事によって起こったものです。

  その失敗を隠すために、オルヴァロンに予言をさせただけのこと。

  それに携わっていたあなたの父親は、その責任をかぶせられて追放された先で病死しました。

  ひとりになった私に近づいてきたのはオルヴァロンです。

  あなたの父親が生前に送ってきた手紙で真相を知っていた私はもちろん、拒みました。

  その結果、私は追放されましたが、おかげで「命にかかわるから口外してはならない」という言いつけを守ることができたのです。


 セイレーヌは国王の前にひざまずきます。

「母を追放した予言者オルヴァロンには、同じ報いを。宰相ローワンルーンには、正当なるお裁きを」

 続いてカタリナに向き直ります。

「どうぞ、ニオリエス様の后となる栄誉は、カタリナ様に」

 今度はニオリエスに、満面の笑顔で告げます。

「私が、この国ですることはもうありません……お幸せに」

 そう言うなり、その場に倒れ伏しました。


 間もなくのことです。

 予言者オルヴァロンはフィクリサリスの森へと追われ、自然を友として暮らすことになります。

 ローワンルーンは宰相の職を解かれ、辺境の一貴族となりました。

 誇り高いカサリナは王子の后となることを拒み、自ら国を去ったといいます。

 人々が波のように運び去ったセイレーヌは、元の芝居小屋で目を覚ましました。

 夜中にこっそり、窓に小石を投げたのはニオリエスです。

 ベッドの上の布団から出たばかりの眠たげな顔で、セイレーヌはなぜ、ダンス比べに最初から出なかったのかを語りました。

「母の無念を晴らすためには、どうしても万能の姫君、カタリナ様に勝たなければならなかったの。あの舞は、母から学んだ最高の技。でも、3日の間ずっと眠り続けて、力を蓄えなければいけない。だから……」

 そこで大きなあくびを一つすると、再び顔を引っ込めてしまいました。

 ニオリエスは一言だけ残して、その場を去ります。

「おやすみ……明日また来るね」

 日が昇ると共に、正装した王子ニオリエスは白馬に乗って、行列の先頭に立ってセイレーヌを迎えに来ます。

 

 物見高い街の人々は外へ出ると、一斉に祝福の声を上げました。

 ところが。

 とっくの昔に、セイレーヌは国を出た後でした。

 慌てて城へと駆け戻ったニオリエスを、レオニウス3世は叱り飛ばします。

「何をしておる! 早く探しに行かんか!」

 旅支度もそこそこに、白馬を駆って国を飛び出した王子ニオリエスが、舞姫セイレーヌに追いつくことができたかどうか。

 はたまた、后としてウィステリア王国に連れ戻すことができましたかどうか。

 それはまた、別のお話で。

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