Merging into You

@Siaru-

第1話 この壊れた世界で



 荒廃した都市の光は白く、影を作らない。

 生命の価値は適合率と存在効率によって決まり、感情は不要とされる。


 だから私は、今日も肌に触れる。

 互いの熱で溶けるように。

 ゆっくりと、じっくりと。

 なめらかな肌が滑るたび、私の中から何かが削がれていく。


 繊細な白い手のひらが、私の太腿を通過する。


「んっ……」


「もう少しで終わるわ」


 ヴィオの声は淡々としている。

 熱を落とすように、首筋へと触れる唇も、何の感情も宿していない。

 静かで、いつも通りで、私が何を思っているのかを問いもしない。


 これは「愛」ではない。

 これは、「生存」だ。


 ◇◇


「じゃあ、また明日」


 ヴィオはそう言い残し床に落ちた服を拾い上げる。

 細い指が無駄なく動き、滑らかに布を整えていく。

 髪を指で梳き、襟を直し足元を揃える。


 白い肌に残った微かな跡を見て、私は指先で軽くなぞった。

 それが消えるのを待つように、ゆっくりと息を吐く。


 ヴィオは短く私を見て、しかし視線を逸らして何も言わずに静かにドアを開ける。

 外気がわずかに流れ込み、部屋にこもった熱を冷ましてくれる。


 ドアが閉まる音が、わずかに遅れて響いた。

 私はシーツを引き剥がし、裏返して畳む。

 湿った感触が、指先にわずかに残る。

 それを拭うように、手のひらを滑らせる。


 端末を手に取り、記録を入力する。

 適合率99.8%。変動なし。異常なし。


 シーツを指定の場所に入れ、新しいものを敷く。

 肌にまとわりつく熱を払うように、髪をかき上げる。


 都市の光は、窓の向こうで変わらず瞬いている。

 白く、整然と、影を作らない。


 私はベッドに腰を下ろし、指先を見つめる。

 触れた感触は、ゆっくりと薄れていく。

 いつもと同じ。何も変わらない。


 ゆっくりと横になり目を閉じる。


 次の接触まで、あと19時間27分。


 それだけのことだった。





 朝、目を覚ます。

 端末を確認し、次の接触までの時間を把握する。

 制服に袖を通し、髪をまとめる。


 都市は大きな音も無く静かで整然としている騒音とはきっと縁がないんだろう。

 空は霞み、影はできない。

 建物は無駄なく並び、人々は一定の距離を保って歩く。

 そんな都市に溶け込むように放送が流れ、適合率や検査の通知が伝えられる。


 耳を傾けることもなく私は歩く。

 決まった時間に、決まった場所へ。


 センターへ向かう途中、ガラス張りの通路を通る。

 視界の端に、崩れた建物が映る。


 都市の外。

 もう使われなくなった街。


 私は足を止めない。


 センターの入り口が見える。

 野暮ったい鉄の自動扉が開く。


 端末をかざす。


「個体識別コード:L-0472」

「適合率確認中……」

「異常なし。指定エリアへ進んでください。」


 足を進める。


 センターの中はまるで、都市の縮図のようだった。


 私はそのまま奥へと向かう。


 ◇◇


 足を進める。


 センターの中は都市の縮図のようだった。

 無駄のない白い壁、等間隔に並ぶ照明、決められたルートを迷いなく歩く人々。

 声はない。聞こえるのは規則的な足音と、遠くで流れる都市の放送だけ。


 私は廊下を曲がり、指定された検査室へ向かう。


 扉が開くと、ヴィオがいた。


「時間ぴったりね」


 彼女は端末を操作しながら私を見る。


「適合率、変動なし。記録も正常」


「そう」


「体調は?」


「異常なし」


「検査が終わったら報告を済ませるわ」


「わかってる」


 いつも通りのやり取り。無駄のない確認。

 ルール通りの言葉を交わしながら、私は定められた位置に立つ。


 スキャン装置が作動し、淡い光が周囲を走る。

 皮膚の下を何かが透過する感覚。


 適合率、神経反応、体温、脈拍——

 数字がすべてを決める。


「異常なし。前回と同じ」


 ヴィオが端末を確認し、淡々と告げる。


 壁のスクリーンには都市の統計データが映し出されている。

 適合率99.8%。接触回数、エネルギー消費量。


 その数字は、私たちが「正しく生きている」証拠だった。

 変動なし。異常なし。


 スクリーンの端に、別の個体識別コードが一瞬だけ表示される。

 適合率、94.5%。変動あり。


 ほんの少し、視線が止まる。


 セリア・E-0135。


 わずかな適合率の低下。

 個体によっては、変動が起こることもある。


 それでも、なぜか指先が微かにこわばる。


「リナ?」


 ヴィオの声が現実へ引き戻す。


「どうかした?」


「……何でもない」


 ヴィオは一瞬だけ視線をこちらに向けたが、特に追及することはなかった。


「終わり」


 スキャン装置の光が消える。


 私は袖を軽く整え、ヴィオと並ぶ。


「昨夜、少し遅かったわね」


「そう?」


「いつもより三分長かった」


「誤差の範囲」


 ヴィオは短く息をつく。


「……そうね」


 端末を閉じる音が、静かな部屋に響いた。


「次は、いつも通りの時間に」


「わかってる」


 私たちは並んで歩き出す。


 足音だけが、冷たく響く。


 いつも通り。

 変わらない日々。


 でも、画面に映った名前は、頭の片隅に残っていた。


 セリアの適合率が下がっている。

 なぜかは知らない。


 知る必要も、ないはずだった。



 ◇◇



「今日は少し気温が低いわね」


 ヴィオが端末を操作しながら言う。


「そう?」


「室温は変わらないけど、外は 1.2 度下がってる」


「誤差の範囲じゃない?」


「でも、ここまで下がるのは珍しいわ」


「外に出るわけでもないのに」


「気温の変化はエネルギー消費に影響することもあるのよ」


「適合率には問題ないでしょう?」


「今のところはね」


 彼女は端末を閉じ、ふっと短く息をつく

 それだけの会話 でも、いつも通り。


「今日は、いつもより人が少ない気がするわ」


「そう?」


 言われてみれば、そんな気もする。


「通知はなかったし、気のせいかもしれないわ」


「なら、気のせいでしょ」


 ヴィオは頷きかけて、ふと少しだけ考えるような間を置いて、小さく呟いた。


「……何かあったのかもしれないけど、知る必要はないわね」


 私は端末を開く。


 あと、13時間42分。




 センターで見た名前が、まだ頭のどこかに引っかかっている。


「次は通常通りね」


「……うん」


 ヴィオの声が、思考を断ち切る。


 気にすることじゃない。

 それ以上会話はなかった。





 静かに部屋の扉が閉まる音がした。


 いつもの場所。

 いつもの行為。


 ここは、私たちのために用意された部屋。

 白い壁、簡素なベッド、必要最低限の設備。

 余計なものは何もない。


 私はベッドに腰を下ろし、制服のボタンを外す。


 向かいの椅子に座っていたヴィオも、無言で立ち上がる。

 彼女の指先が首筋に触れ、微かに肌が震える。


 ルフの交換。

 それは生存のために必要な行為であり、適合したペア同士が行う、ごく当たり前のこと。

 何も特別ではない。


 ヴィオの手が肩を滑り、鎖骨をなぞる。

 指の温度がじんわりと伝わり、私は息を吐く。


「今日は、少し緊張してる?」


「そんなことない」


「そう」


 肩から腰へ、丁寧に肌を確かめるような動き。

 背筋に走る感覚に身を任せながら、意識をゆっくりと沈める。


 ヴィオの指が動くたび、体温がゆるやかに混ざり合っていく。

 触れる部分が増えるごとに、境界が曖昧になっていくような気がする。


 それは、決められた流れ。

 繰り返してきた、生きるための行為。


 ヴィオが顔を寄せる。


「……考え事?」


「してない」


「なら、いいけど」


 唇が肌をかすめる。

 呼吸がふっと落ち、熱が近づいてくる。


 触れるか触れないかの距離で、ヴィオの唇が止まる。

 私は迷うことなく、ほんのわずかに顔を傾けた。


 口づけは、深くも浅くもない、淡々としたもの。

 必要なこととして繰り返される、他の動作と同じひとつ。


 けれど、一瞬だけ。


 柔らかく濡れた感触が、微かな違和感となって指先に残った。


 唇が離れる。


 手のひらが腰に添えられ、指先がわずかに食い込む。

 私はまぶたを伏せる。


 深く意識を落としていく。

 余計なことを考えないように。


 なのに、センターのスクリーンに映った名前が、ふと頭をよぎる。


 けれど、それを言葉にする理由はない。


「次の交換まで、また問題なくやれるわね」


 ヴィオの声が静かに落ちる。


「……うん」


 ルフが混ざり合う感覚に身を委ねながら、私はただ、目を閉じた。




 静かに目を開ける。


 部屋の光は落ち、空調の音だけが微かに響いている。

 喉が渇いていた。


 私はベッドの上で指を動かし、交換端末を手に取る。


 適合率 99.8%

 異常なし


 いつも通りの数値が表示されている。

 ルフ交換は問題なく終わった。


 私は端末を閉じ、ベッドのシーツを指先で軽くなぞる。

 ヴィオの温もりはすでに消えている。

 交換が終われば、部屋に残る意味はない。


 ルフ。

 それは、この世界で生きるために不可欠なもの。


 エネルギー、神経伝達、免疫機能の維持——

 適合した二人が定期的に交換することで、生命活動が正常に保たれる。

 食事や睡眠と同じ、生存に必要なもの。


 私は制服のボタンを留め、ベッドから足を下ろした。

 喉の渇きが引っかかる。

 立ち上がり、備え付けの給水装置から透明な水を一口飲む。


 それでも、喉の奥に乾いた感覚が残る。

 ルフ交換をしたばかりなのに、何かが満たされていないような気がした。


 目を閉じる。


 ——水の中に沈むような感覚。


 意識が落ちていく。


 夢を見る。

 乾いた草を踏む音がする。

 風が吹き抜け、肌を優しく撫でる。


 光が揺れている。


 木漏れ日。

 雲の影。

 淡い空の色。


「ほら、早く!」


 はじけるような声がする。


 私は顔を上げる。


 駆けていく後ろ姿。

 弾むように跳ねる髪。


「おそーい!おいてくよ!」


 振り返った気配。


 息が弾む。

 それが楽しくて、私たちは笑った。


 笑い声が、風に溶けていく。


 ——顔が、思い出せない。


 どんな目をしていた?

 どんな笑顔だった?


 ふと立ち止まると、向こう側に立つ影が振り向いた。

 光が逆光になり、輪郭が滲む。


「リナ」


 呼ばれる。


 胸の奥に何かが触れる。


 私は手を伸ばす。

 その人も、手を伸ばす。


 でも、指先が触れる直前、光がすべてをかき消した。


 静かに目を覚ました。


 指先がわずかに震えている。


 深く息を吐き、端末を開く。


 次の接触まで、あと 26 時間 45 分。


 数字を見つめ、私はそっと端末を閉じた。


 この夢を見たのは、いつぶりだっただろう。

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