3.アヴヤッド

 ナターシャの生まれは、砂漠の狩猟民族である「アヴヤッド」だ。その一族は生まれつき色素が欠落しており、日中は外を出歩けない。ましてや、彼らの生活圏は砂漠である。遮蔽物のほぼない砂の大地を踏むには、全身を覆う衣類に日焼け止め、移動式携帯テントなど、大掛かり且つ細々とした用意が必要になる。

 必然的に活動時間は夜に限られた。

 人の少なくなる夜に動く理由として、もう一つ――その人間らしくない身体的特徴の所為で、人として扱ってもらえないのだそうだ。何をしても仰々しく敬われるか、石を投げられ罵倒される。その為に夜を生き、益々他の人種と距離が開いた。目立つので定住も許されない。加えて近しい遺伝子のみで細々と永らえている人種なので、ひとりひとりが短命だ。信頼関係も築きにくい。結果、どこからともなく「白い悪魔」や「夜に彷徨う者」、「神の使徒の一族」といった異名が定着した――らしい。

 ナターシャは物心つかぬ内に捨てられ、西欧で育った。アヴヤッドに関する知識は全て伝聞である。しかし、ナターシャ自身もその外見から攫われ、見世物小屋や奴隷売人の下を転々としていた為、その種族の呪縛を嫌というほど教えられてきた。或いは金持ちから、或いは調教師から、或いは――。

 ――例え純粋な好意でさえ、ナターシャへの呪いの糧になる。

 この容姿、この血を表す言葉は、全てが呪いだ。

「ナターシャ、イツキが苦手かい?」

 深い溜め息を吐いたナターシャに、シュウは柔らかく問うてから、両手の皿をテーブルに置き、空き皿を手早く回収し始めた。ナターシャが顔を上げると、依然としてにこやかなシュウと目が合った。微笑む彼の顔の中で、その両目だけが、異様に鋭い光を放っていた。

「此処の団員はね、家族みたいなもんなんだ。見世物小屋や奴隷市場とは違う。いいかい、ナターシャ? 君は言うならば、俺達の娘のような存在なんだよ。イツキにとっては姉――いや、もしかすると妹かもしれないな」

 語るシュウの目を、ナターシャもじっと見返した。シュウの言葉の、見えない真意を見るために。結局全ての言葉を聞き終えても、ナターシャにはそれが見えなかった。しかしその表情からは、温かさと確かな重さがひしと伝わって来た。

「綺麗ってのはなぁ、褒め言葉なんだぜ?」

「……」

 シュウはそれきり、背を向けて簡易キッチンへ戻って行った。ナターシャは思わず浮かせた腰をストンと下ろし、少しの間ぼうっと宙を見ていた。

 ――シュウさん、どっかで聞いてたのかな、あの時。

 ――それか、イツキに相談されたのかもしれない。

 この団の男三人は、特別に仲が良い。三人に自分の話が共有されていると思うと、ナターシャはなんだか力が抜けてしまった。そうやって無防備な状態で座っている自分が信じられなかった。

「早く食べな、ナターシャ。もうちょっとしたら、作業再開するよー?」

 ハンネの声でやっと、テーブルの上が空き皿ばかりになっていることに気付く。いつの間にか目の前の席に座り、ナターシャを覗き込むハンネの顔は、心なしか寂しそうだった。

「まあ、きっと、ねえ? ナターシャは、これまでずっと、その綺麗な容姿に悩まされてきたんだろうけどさあ。私達は別に、ナターシャが色白じゃなくても、瞳が赤くなくても、女の子じゃなくても、極論人間じゃなくても、ナターシャが大好きなんだよ? ナターシャの外見じゃなくて、中身が好きなの。そんなことで悩んでたら怒っちゃうよ、もー」

 パン、と。

 ハンネは、ナターシャの眼前で手を打った。猫だましに似た不意打ちだった。

「もっと素直に生きるべし」

 ナターシャが驚いて動けないでいるうちに、ハンネは席を立ち、他の団員に声を掛けながら行ってしまった。

 その後の作業中ずっと、ナターシャは先ほどの出来事をどう解釈したものかと考え詰めだった。ロボットのように機械的に仕事をこなしながら、三人の様子を思い返し、結論に至る。


 ――何か、おかしくないか?


 まず、イツキだ。

 確かに入団当初は彼の視線が痛い時期があった。ただ、それは一か月ほどで終わり、ここ最近は全くそんな視線を感じなかった。半年も一緒に旅をしているのだ、流石にお互い打ち解けて、言葉も何度だって交わしている。まあ、今更見蕩れるも何もないだろう、と切り捨てることはできない。現にナターシャも、何年も世話になっているシュウを見ては事あるごとに見蕩れているのだ。

 問題なのは、「その視線の多くに、自分が気付けなかったこと」である。好奇の目に晒され怯えてきた過去が、自分の中で本当に、今と断絶された過去になってしまったのだろうか。どちらかというと、イツキの件に関しては、おかしいのはナターシャ自身と言えるだろう。

 次にシュウ。彼は基本、世話焼きだ。団のメンバーの、影なる支えである。全員の気持ちを一番よく見ており、大事な場面での言葉に、しばしば救われる。今回も例に漏れず、ナターシャに忠告しに来たのかもしれない。丸くなって、少し弱くなったことで、得るモノもあるのだと伝えに来たのかもしれない。それにしても、改まって「家族」という言葉を使うのは不自然だ。しかも、イツキとナターシャが例の話をしたのは、もう半年近く前のことである。それを今更持ち出したのは、ナターシャの心中を察したためなのだろうか。シュウとて人間である。そこまで深い読みを当ててきたことに、どうも、違和を感じてしまう。

 極めつけはハンネである。ナターシャが急の違和感に戸惑っていたのは確かだが、それをフォローするために、わざわざ人生観を語る必要がどこにある? そしてあの寂し気な表情。違和感がある。


 ――おかしい。


 今日一日、皆の違和感が拭えない。具体的に如何と言えないのがもどかしく、恐ろしい。


 ――何かが違う。

 ――何が違う?


 もう、ナターシャの頭の中に、あの青年の姿はなかった。

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