2

 ―――玄関のドアが開く音がすると、人の気配けはいと音が近づく。リビングで話しているらしい。


「ちょっとだけ寝かせてよ。2時間したら起こして」

 早鐘はやがねのように心臓が鳴る。それはまずい、このベッドを使うつもりならもう終わりだ。


「や、やだ! 待って。こっち。ここに座ってよ。だって、昨日会えなかったし。折角せっかく来てくれたんだからもっとかまって欲しいなぁ」

「えぇー、少しはおれを休ませろよぉ。あ、もしかして……男連れ込んでないだろうな?」


 ばたばたと二人分の足音がしてベッドの近くで止まる。

「いない、いないってば! ヨシくん変なこと言わないでよ」

「あれ? アンリももしかして朝まで飲んでた? 男いなかっただろうな? 相変わらず露出ろしゅつ激しすぎだろ」


「それはいいじゃん。ヨシくんだって好きでしょ? 昨日はずっとヨシくん待ってたからこれ着てるんだよ」


 あきれた嘘つきだ。少なくとも昨日は俺狙いだったはずだ。俺も人のことは言えないとは思うが、俺から誘ったわけではないし、手は出してない。


 布団の中にこもる熱気とアンリの言葉で気分が悪くなってきた。笑いあったり、甘い言葉をささやくような二人の会話が続く。次第しだいに二人の言葉数が減っていく。嫌な予感がする。


「あ……だめ、今はだめ。 ……そうじゃなくて、ちょっと、その……本当にだめなの」

 二人の息遣いきづかいと、いちゃつく音が聞こえる。これは本格的にまずい。

「何だよ、いいじゃん。かまって欲しいっていったのそっちだし」


 暑さで頭が朦朧もうろうとする。これ以上こんな馬鹿々々しい会話を聞いていられない。


「だめ、恥ずかしい。その……ふ、布団が見てる」

 布団? こっちに注意を向けさせるようなことを口走るなんてどういうつもりだ。


「ふっ……何それ、かわいこぶって―――」

 俺は布団を持ち上げて両手いっぱいに広げると、声の方角に投げ飛ばした。


「おわっ!! 何だ? ちょ……オイ!」

「きゃあっ……」


 そのまま布団で二人をまとめて包んで、横に引き倒す。布団から出た二人の足がばたばたと藻掻もがいている。


「アンリ、昨日は楽しかった。じゃあな」


 そう声を掛けると、靴を持ったまま一目散いちもくさんに玄関を飛び出した。非常階段で一階までけ降り、エントランスを駆け抜け道路に出たところで靴をく。散々な夜だった。もとはと言えば金子先輩が……いや、俺が迷わず彼女がいるからごめんと言って、すぐに出てくれば鉢合はちあわせしなかった。


「彬……?」

 聞きなれた声にぎょっとした。ゆっくりと振り返る。


佐那さな? お、おはよう……」

 布団を飛び出して引いたはずあせがまた一気にき出す。彼女がどうしてここにいるんだろうか。


「どうしてこんな朝早くにこんなとこ居るの?」

 佐那が目を丸くして俺を見る。これからどこかへ出かけるのか、きちっとメイクをしている。そもそも佐那は夜遊びするタイプではない。


「いや、昨日先輩と飲んでて……その、色々あって……佐那こそ、どうして?」


 佐那は少し唇をとがらせて、俺をじっと見る。朝日に照らされて、佐那の真直まっすぐな髪が虹色に輝いている。うっすらと赤いまなじり。昨日はあまり寝ていないのかもしれない。


「もっと正直に言った方が良いんじゃない? 色々って何?」


 佐那の真剣な眼差まなざしがえぐる。ここで取りつくろうと何もかも失うような恐ろしさがあった。やましい気持ちはあったが、やましいことはしていない。佐那を失ってまで隠すことじゃない。


「ごめん! ……先輩と女の子と飲んでて。つぶれた子を、家まで送って一晩居た……けど、何もなかったから。本当に、本当に何もない」

 彼女の瞳を真直ぐに見つめて弁明する。佐那は黙って俺の瞳を見返している。


「いや、その、ちょっと……出来心は湧いたけど、けど本当に何もしてない」

 佐那は口元を緩めてふっと笑う。


「分かった。彬、嘘吐うそつくの下手だし。信じてあげる。今度から先輩と飲み会やるときは、ちゃんと本当のメンバ―教えてよ」


 俺はうなずいて、佐那の手を取る。小さな白い手は、冷え切っていた。

「佐那は、どうしてここが分かったんだ?」


「何か、ここのとこ先輩とこそこそしてたから。先輩と飲みに行くって聞いて、ほんの出来心で……ごめんね……」


 そう言って佐那はスカートのポケットから紛失防止タグを取り出す。俺は慌ててポケットからキーケースを取り出すと、そこには佐那の紛失防止タグがくっついていた。俺の扱いに関しては、佐那が天下無双。


 了

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出来心 山猫拳 @Yamaneco-Ken

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