僕の女神様【KAC2025】

葉月りり

女神と天使


 僕の奥さんは天使だ。

 優しくて可愛くて愛しくてたまらない。結婚式で真っ白なウエディングドレス姿を見た時は、本当にこの人は天使なんじゃ無いかと思うほど美しくて、これからずっとずっとこの人を愛していこうと神様に誓ったんだ。


 その天使が妊娠した。天使のお腹に天使が宿ったのだ。もちろん嬉しい。だが、こんな華奢な体で産めるのか、僕はとても心配になった。


 彼女が悪阻で寝込んだり、ゲーゲー吐いたりするのを見ると僕はなすすべなくオロオロする。


「病気じゃ無いんだから大丈夫よー」


と、本人は至っておおらかだが、その症状は病気と同じだ。


「私はまだ食べられるから、マシな方よ」


と、苺やりんご、グレープフルーツばかり食べている。でもそこは天使の食事っぽくて可愛い。


 悪阻がおさまると、彼女は何でもよく食べるようになった。お腹はどんどん大きくなり、「スマホでいいからマタニティフォトを撮って」と彼女は言い出した。お腹を露出した洋服を自分で用意して着て見せてくれたのだが、それはもう天使とは言えない姿だった。


 お腹はぱんぱんに膨れおへそが飛び出している。腰も胸もふっくらして一回りも二回りも大きくなったように感じる。少し丸くなった顔には世界中を包み込むような慈愛に満ちた笑顔。僕は天使が女神になったんだと思った。天下無双の女神様が天使を産むんだと。


 僕は女神と天使のために全力でサポートするんだと、あちこち走り回った。もうすぐ生まれてくる天使のために、ベビー服とオムツ、授乳セットにベビー布団、ベビーダンスまで新しく買った。彼女と一緒に産院に通い、立ち会い出産も申し込んだ。


 その日がやって来た。陣痛室で苦痛に顔を歪める彼女に僕は不安で不安でたまらない。腰をさすったりテニスボールを使ったりして一晩を陣痛室で過ごし、明け方、分娩室に入る頃には僕はもう疲れ切って体に力が入らなくなっていた。


 分娩室の雰囲気はまるで戦場だった。彼女の叫びと息づかい、看護婦さんの彼女を励ます声。その熱気に僕は気が遠くなってふらついてしまった。看護師さんに


「旦那さん! 外に出ますか⁈」


と、言われ我に返ると今度は彼女に


「え! 生まれる瞬間に一緒にいなくてどうするの!」


と、怒鳴られた。


お腹を押す看護師さんの手、医師の手袋についた血、「会陰切るよー」のあっさりした声。頭がグルグルして、彼女を励ますどころか


「ご主人、もう少しだからがんばって!」


「あなたパパになるのよ! しっかりして!」


 看護師となんと産婦にまで励まされてその場にやっととどまっていた。


 そして天使の産声。まだ胎脂のついたままの赤黒い天使をお腹の上に抱えてボサボサの髪で微笑む女神が神々しく見えて、僕は涙が止まらなかった。



 うちのリビングに澄んだオルゴールの音が流れている。


 ベビーベッドでベッドメリーを見ながらダンスでもするように手足を動かす天使。その可愛らしさに微笑み合いながら女神と僕はお茶を飲む。柔らかな風の入るゆったりとしたひと時。なんて幸せなひと時。


 だが、この数時間後に天使は悪魔へと豹変する。


 この天使、夜寝てくれないんだ。


おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕の女神様【KAC2025】 葉月りり @tennenkobo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ