第13話
”故字聖語”なら、こっちにも――。
俺は立ち上がった。立ち上がる他なかった。
全身が引き千切れそうだった。
度を越した痛みによって体中が痙攣し、堪えようのない吐き気がこみ上げてくる。神経が焼き切れて鼻血がバタバタと出た。視界が霞む。感覚がない。
「おおー頑張るじゃん」
満身創痍で立ち上がる俺を見て、雨宮はまるで赤ん坊を褒めるかのような口ぶりで言った。
視界の外から地響きのような音が聞こえ、見れば鬼が怒りに満ちた形相で立ち上がっていた。
「長手くーん」
雨宮が言った。
同時に氷の礫が弾幕と鳴って襲い掛かってきた。
たちまち俺は鋭利な氷礫に裂かれていく。
「降参はー? まだー?」
煽るような長手の声が降り注ぐ。
背後から突風を感じ、振り向くと鬼が金棒を振りかざしていた。
慌てて警棒で立ち合ったが、まるで勝負にならず俺は吹っ飛ばされる。
ゴロゴロと地面を転がり、その度に体が軋んで激痛が走った。
「降参だよ、降参。こ・う・さ・ん!」
雨宮がすぐ目の前まで来ていた。
立ち上がろうとした俺の顔面を、雨宮は蹴り上げた。
「はやく! 降参! しろって!」
何度も、何度も、何度も、俺を蹴り付ける。
蹴り付ける。
蹴り付ける。
視界が霞んで雨宮の姿もまともに見えやしない。
地面に転がった警棒を手探りで探して掴んだ、その手を、雨宮が踏み抜く。
「――ッァ!」
「しぶといねー。まだやる気なの?」
突然辺りが暗くなった。
いや、辺りではない。俺の周囲だけだ。
頭上を見ると、途方もなく巨大な氷塊が鎮座していた。
「降参しないのは分かったよ。だからさ――」
雨宮が口を真横に歪める。
「潰れちゃえば誰が見ても負けって分かるよねえ」
慌てて立ち上がり、足がひしゃげて転んで、それでも這って逃げた。
カタツムリみたいに這いずるばかりでは逃げ出せやしない。
捻じ切れそうな足を引きずって走り、何とか氷塊の下から潜り出る。
そこを狙って、鬼が棍棒で俺を殴りつけた。
「ゴッ、ガッ……!?」
地面に2度3度バウンドし、氷塊にぶつかって停止する。
それは一色が氷漬けにされている氷塊だった。
ちらりと一色を見ると、彼女は目を見開いたまま身動き一つしない。
頼みの一色がいない今、俺に打開策はない――そのときだった。
会場中を焼き焦がすような熱い視線を感じた。
判然としない視界でそちらを見ると、観客席の日野が見えた。
顔立ちはおろか輪郭がぼやけている。無数にいる観客は豆粒のようで、とてもひとりひとりを見られはしない。
それでも、俺にはそれが日野だと分かった。
彼は激しく怒っていた。
理由は明白だった。
――負けんのかあ?
日野の憎たらしい声が、脳裏にメラリと届いた。
「負け、ないに決まってるだろ!」
俺は怒声で応えながら立ち上がる。
そのとき、氷塊に亀裂が走った。
ピキリ、ピキリ、と亀裂が増えていき、やがて粉々に砕け散った。
「凍え死ぬかと思った」
復活した一色は全身を小刻みに震わせながら言う。
そして俺に視線を向けた。
「まだいける?」
「もちろんだ」
「そりゃよかった」
一色はわずかに微笑むと、俺に手をかざした。
棒ではなく、俺に。
不思議な心地がした。
まるで棒を基点に目まぐるしく蠢く熱が、俺の全身に迸るような心地だ。
「”故字聖語”は特有の痣名に見られる現象。だけど”連字”なら、私たちならそれを実現できるかもしれない――」
眩い光が放たれた。
俺の棒は両端が金色に塗られた朱色に代わり、制服は赤い羽衣に変わっている。
「おいおいおい、何だよそれ」
震える声を放つのは雨宮だった。
「”連字”なんだから、このくらいのサプライズはないとね」
「その現象はなんだって聞いてんだよ三下がぁ!」
絶叫と共に雨宮が氷塊を繰り出す。
俺が何かを考えるより先に、棒が伸びた。
伸びゆくそれはどこまでも果てしなく伸び続け、そのまま氷塊を貫き爆散させた。
「長手の痣名”棒”を私の痣名”変”で改造すれば、疑似的に”故字聖語”を実現できる。明確に武器として扱われた超常的な棒がひとつだけ存在するから」
氷塊を砕いた棒は、今度はたちまち縮んで元の大きさに戻る。
全身の痛みも忘れて俺は棒を見つめた。
「如意棒――それが私たちの”故字聖語”よ」
一色が不敵に言った。
遠くの方から発せられる熱が、愉快そうに揺れ動いた。
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