兄の夢は無双のダンサー
武州人也
ヘンテコなダンス
四月のある日曜日、留守を預かる僕は家の布団を庭に干していた。暖かいそよ風が吹き込み、鳥のさえずりがどこからか聞こえる。
そんな春の平穏を、「ヘイッ!」という奇妙な叫び声が破った。
「ん……?」
驚いて音の方向を見ると、近所の空き地で一人の男が踊っているのが見えた。その踊りはとにかく奇抜だった。手足をめちゃくちゃに振り回し、回転しようとして転び、それでも立ち上がって妙なポーズを取る。観客など誰一人いない。あまりの突飛な光景に、僕はその様子を見つめた。
ふと、その男の顔が見えた瞬間、心臓がドキンと飛び跳ねた。
「兄貴……?」
二年前に「天下無双のダンサーになる!」と言い残して家を飛び出した兄の
なぜ帰ってきた……? すぐさま兄のもとへ駆け寄った。
「兄貴!?!」
「おう健太!久しぶりだな!」
大輔は額に汗を光らせながら、大きな笑顔で答えた。
「見ろよ、この俺の踊り! どうだ、凄いだろ?」
思わず言葉を失った。「凄い」とは到底言えない。むしろその滑稽な動きには、言いようのない恥ずかしささえ覚えた。家を飛び出したとき「天下無双のダンサーになる!」などと息巻いていた兄の姿が思い出される。
「いや、あのさ……それ、本気でやってるのか?」
「もちろんだ! 俺は天下無双のダンサーを目指してるんだからな!」
大輔の目は真剣だった。対する僕はどう言うべきか悩んだが、心の中で出てきた感情はただ一つだった。
「無理だ……」
兄に聞こえないように、小さく声を漏らした。
「いやー、マジで俺、ダンスの才能あるかもしれねぇ。でもさぁ……何か違うんだよな。何かこう……上手く言葉にできねぇけどさ、最近バイブス上がんねぇっていうか」
「バイブス?」
「そ、家飛び出したときみてぇなアゲアゲな感じじゃなくなってきたんだよな」
「バイブス、ねえ……」
僕は兄の言葉に困惑しながらも、彼の様子をじっと観察した。額の汗、少し乱れた息、そして何より、その目に宿る情熱。それは確かに、かつて兄が抱いていたものとは少し違うのかもしれない。
「それで、兄貴。一体何があったんだ? どうしてまた、こんなところで踊ってるんだ?」
僕が尋ねると、兄は少しだけ視線を宙にさ迷わせ、そして言った。
「実はな、俺、ダンスの師匠を探してたんだ」
「師匠?」
「ああ。天下無双のダンサーになるには、やはり本物の師匠が必要だと思ってな。色んな人に会って、色んな場所で踊ってみたんだが、なかなか見つからなくてな……」
大輔はそう言って、少しだけしょんぼりとした表情を見せた。
「それで、この空き地で踊ってた、と」
「ああ。ここは、俺が最初にダンスを始めた場所なんだ。初心に帰って、何か掴めるかと思ってな」
「なるほど……」
兄の言葉に、何とも言えない気持ちになった。かつてあれほどまでに輝いていた兄が、今はこんなところで一人、もがいている。その姿は、少しだけ哀れにも見えた。
「実はそれだけじゃないんだぜ」
そう言って、兄は斜め上を指さす。その指の先には、個人経営の寝具店がある。
「あそこで布団を仕立ててるおじさん知ってるだろ?」
「まぁ……」
「実は昔、ダンサー目指してたらしいんだよな」
「えっ!? そうなの!?」
「今は布団職人の家業継いでるけどさぁ、まだアツいものが残ってると思うんだよな、ココに」
そう言って、兄は自分の胸を拳でドンドンと強く叩いた。
「だからさぁ、こうして俺がアツいダンス見せたら、きっと昔の魂が燃えてきて、俺にダンスの真髄を見せてくれると思ってんだよ」
「……そうか」
兄には付き合いきれない。前から変なヤツだったし、それは今も変わってない。
けど……
「ま、いっか」
アイツが楽しいなら、それでいいや。
兄の夢は無双のダンサー 武州人也 @hagachi-hm
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