第27話 本当の試練

「やっぱり納得いかない」


 病室のベッドでなんの気なしに天井を見上げていると、丸椅子に腰かけたリザ先輩が、床頭台に備え付けの電視台テレビを見ながら、眉間に皺を寄せて舌打ちした。


「勝手なこと言ってんじゃないわよほんとに……」


 さっきからずっとこの調子だ。苛立たしげに貧乏ゆすりをしながら、鋭い目線を電視台テレビへ向け続けている。

 小ぢんまりした画面の向こうでは、派手な髪型の評論家が口の端に泡を溜めて、あることないこと好き勝手に喋っていた。


「こうなったら直訴しかないわね。リーランドさんじゃ話にならない」


 整った小鼻を憤りに膨らませてそう言い切るリザ先輩。襟元の金色のバッジ――ギルド章が天井の灯りに照らされて、眩しく映った。


「安心しなさいよ。ルイ君もガーランドさんも、あたしと同じ意見だからね」


 普段よりも親身な口調。仕事仲間としての一面しか知らない自分には、少し意外に思えた。ぼくが昏睡状態から目を覚ましたと聞いたときにはわんわん泣いて仕方がなかったと、リーランド上長が言っていたけれど。


『あんたって、なんか雰囲気がウチの弟に似てるのよねぇ』


 以前にそんなことを言われたことがあったのを思い出した。今もこうして仕事帰りにわざわざお見舞いに来てくれているのも、ぼくのことを「世話の焼ける弟」みたいに認識しているためなのかもしれない。


「ねぇちょっと、聞いてるの? おーい!」


 焦点のずれた視界に飛び込んできたリザ先輩のぼやけた手が、ぼくの意識を拾う。


「え?」


「いや『え?』じゃなくて。直訴するぞっつってんのよ。はなし聞いてないでしょ」


「い、いやそんなことは……うん? 直訴って誰に対してですか?」


「M・Mよ」


 ポカンと呆けたように口を開くことしか出来なかった。


「そんなことしたら、リザ先輩だってただじゃすまないですよ」


「じゃあ、このまま手をこまねいて黙ってろっていうの? あんたが除名されるかもしれないってのに?」


「それは……」


「除名だけじゃない。下手したら、あんた裁判にかけられるかもしれないのよ?」


 なにも言い返せなかった。《囀り》との戦闘で失ったはずの右腕に幻痛がはしる。


 ズィータの駅舎ステイション周辺を巻き込んだ《魔王の遺産》討伐戦から、ちょうど一週間が経っていた。

 戦いの代償として、ぼくは《夜のはじまり》を失って気絶した。気が付いたときには、隣の市のセント・ア・クレア魔導病院のベッドに横たわっていた。目覚めた後で知ったことだけど、ベル・ラックベルとクレイ・オーガストの二人が、入院の手配をしてくれたとのことだった。


 《魔王の遺産》は完全に地上からその姿を消し、いまは国の調査機関が昼夜を問わず、戦域区画を完全封鎖して立ち入り検査を実施している。報告書の作成にはそれなりの時間がかかるだろうけど、あの《囀り》の製造目的や詳細な情報も、もしかしたらそのうちわかるかもしれない。


 これで一事が万事解決……とはならなかった。当たり前の話だけど。


 《囀り》の討伐の犠牲。それはぼくの右腕一本で済まされるほど、安いものじゃなかった。建造物の倒壊や人的被害は相当なものだった。あの時一緒に戦った冒険局第五班の中には、瀕死の重傷を負って昏睡状態になってしまった人だっているんだ。そのことを考えると、どんな顔を浮かべてよいかわからなかった。いますぐに何かをしてあげたいけど、でもなにをすれば良いのかわからず混乱するばかりの自分に、心底あきれ返った。


 幸いにして、救助活動が迅速だったのもあって民間人の死傷者は驚くほど少なかったけど、それでも重傷を負った人はいるし、ズィータが被った経済的損失も計り知れない。魔導列車はズィータ市内の駅舎ステイションすべてで現在も運行を停止している。復旧の目途は立っていない。


 ニュースは当初、《囀り》が引き起こした魔導災害の悲惨さと、討伐に参加したベルやクレイなどの冒険者たちの活躍を報じてはいたものの、事態の深刻さが徐々に明らかになっていくにつれ、批判の矛先を彼らに向け始めた。


 なぜもっと早く対処できなかったのか。本来ならもっと被害を最小限に防げたのではないか。そもそも《レボリューショナリー・ロード》には、これまでに何人もの冒険者や測層部隊が潜っているのに、なぜ早期に《魔王の遺産》を発見できなかったのか? これは古のモンストルが引き越した魔導災害でもあり、同時に「人災」なのではないか――


 責任の所在を明らかにしろと声高に叫ぶ人々の意見を盾に、各報道機関は「いったいなぜ《囀り》は目覚めたのか?」という報道へ舵を切った。


 過熱を増す報道の渦中でぼくの名前が挙がるのに、そう時間はかからなかった。


 トム・バードウッド。ギルド《星の金貨スターチップ》の元E級冒険者で影響紡ぎエフェクター。《囀り》襲来の当日に現場に居合わせ、自責の念に駆られて討伐に参加。何かしらのかたちで《囀り》の起動に関与したものと思われる――まぁ、だいたいがこんな感じ。


 いったいどこからぼくの情報が漏れたのかは、わからない。すべてがぼくの責任にあるのは間違いないけど、そう吹聴したのが《放浪の三つ首ケルベロス》やベルたちでないのは確かだと思う。あの時、現場には民間人も含めて多くの人たちがいた。中には、いまの冒険者黄金時代を憎たらしく思っている人もいただろうし、冒険者の中にも、複雑な胸中で戦いに参加した人たちだっていたはずだ。彼らのうちの誰かが、ぼくの周辺から話を聞きだし、各報道機関へ情報を流したのかもしれない。


 でも、だからといって、いまさらどうこうできる話でもない。


「仕方がないんですよ。こればっかりは」


 別に犯人捜しをするつもりはない。事実、《囀り》を眠りから覚まさせてしまったのはぼくなのだ。ぼくの心の弱さを《囀り》が利用するかたちで目覚めたのなら、やっぱりこれは、ぼくの責任なのだ。やってしまったことからは、言い逃れができない。


 だから、すべてを受け入れるつもりでいる。


「M・Mの判断は妥当だと思います。このままぼくがギルドにいることで、皆さんに途方もない迷惑がかかるくらいなら、離れたほうが賢明です。それに、今後どうやって罪を償っていくべきかを考えなきゃいけないし」


「だからって、除名はおかしい。活動申請書は受理されていたんだし、責任があるってんなら、休日にあんたの活動を認めたギルドも同罪じゃない」


「いえ、申請書は受理されていません」


「……どういうこと?」



 まさか、という顔つきでリザ先輩が固まった。


 ぼくはゆっくりと状態を起こすと、真っ白なシーツに目を落として、静かに話を続けた。


「昨日の夜、リーランド上長がぼくのところに来て、泣いて謝ってました。あの人の泣き顔なんて、初めて見ましたよ」


「なんて言ってたの」


「守ってやれなくてすまない――って。自分はしょせん、雇われの冒険者にすぎへん。ギルドの意向には逆らえへんとも口にしてました」


「……運営統括委員会ね」


 吐き捨てるように言って、リザ先輩は電視台テレビの電源を切った。そのまま力任せに壊してしまうんじゃないかと思うくらいの荒っぽい電源の切り方に、少しビクッとした。


「M・Mに直訴しても、無駄ってことか」


「そうなりますね」


「……恥ずかしくなってきたわ、こんなクソギルドにいることが」


 力なくリザ先輩は口にした。


「ちょっとおかしいとは思ったのよ。なんであんたを一般病棟じゃなく、最上階の特別個室に入院させて、面会条件も厳しくしてるんだろうって。いまの話で納得がいったわ。余計なことをしゃべってほしくないってことか」


 まぁ、あたしに喋っちゃってるけど、とリザ先輩は苦笑した。


「そういえば、どうやって面会条件クリアしてきたんです?」


「そりゃ、まぁいろいろとね。いろいろと……ねぇ、そんなことよりもさ」


 丸椅子に腰かけたまま、やや身を乗り出して聞いてきた。


「もし、いまここであんたから聞いた話を報道機関へ流したら、なにか風向きって変わると思う?」


「ぜったいに止めてください」間髪入れず、はっきりと言った。「そんなことをしたら、今度はリザ先輩がどんな目に遭うかわかりません。ぼく、もう誰にも迷惑をかけたくはないんです。それに……」


「……それに?」


「話したところで、ぼくが悪者だという世間の風潮は変わりませんよ」


 決め手になったのが、ぼくが元冒険者で、しかもE級って部分。レベル1の地下魔構ダンジョンに潜るのに精いっぱいの半端者が、己の実力を過信したかなにかでレベル3に潜り、そこで大失態を起こした――ぼくだけじゃなく、冒険者全体を貶めるのには、格好のストーリーが仕上がっている。冒険者黄金時代とは言っても、そうでない職業に就いている人たちの方が多いこの時代に、不満を募らせている人は決して少なくない。


「でも事故よ。違う? 《ロングレッグス》に潜っていたら、その、あんたが言うところのポータルなんとかってのに襲われたのが原因じゃない」


「襲われたというか、自分からちょっかいを出したというか……」


「あーもう。煮え切らないなあ。とにかく無理やり《レボリューショナリー・ロード》に転送されたってことがわかればいいんでしょ?」


「そんな話、いったい誰が信じると思います?」


「少なくとも、あたしは信じるわよ。《ロングレッグス》の詰め所に提出された入構証もあるんだし」


「きっと、もうM・Mが手を回してますよ。一週間経っても報道が出ないんですから」


「……万事休すってやつ?」


「三日後に、国家警邏隊の人が聞き取りをしに来るんです。そこで話してみますけど……」


 きっと望みは薄いだろう。エディやキレートたちなら証言してくれるだろうけど、実在を立証できるかどうかは別だ。《ロングレッグス》と《レボリューショナリー・ロード》の双方に調査隊が入るのはだいぶ先のことだろうし、そこで手がかりらしきものが見つかるとも限らない。

 それに、たとえポータル・モンストルの実在が立証されたとしても、ぼくが《囀り》の起動に関与した事実は覆らない。


「……裁判、長引くかもしれません」


 リザ先輩はなにも言わなかった。


 壁に掛けられた時計の針の音が、やけに大きく聞こえた。


「あのさ」


 沈黙を破ったのは、リザ先輩の問いかけだった。


「なんでわざわざ休日に《ロングレッグス》に潜ったの?」


「それは、素材集めで――」


「嘘よ」


 仕事の時のような厳しい目つきで指摘されて、ぼくは咄嗟に言葉が出てこなかった。


「ラックベルちゃん絡みでしょ」


 端的に図星を突かれて、反射的に目を逸らす。


「おいこら逃げんな」と、リザ先輩がぼくの頬を両手で強くつねりながら、対面に向かせる。


「ふぁい、ふみまふぇん」


「ったく……隠そうとしたって無駄。結婚式の前日、あんためっちゃソワソワしてたんだから」


「そ、そうですか?」


 まだ痛みの残る頬を手で摩りながら、とぼけたように言う。


「明らかに挙動不審だったからね。きっとほかの人も気づいていたんじゃない?」


「…………すみません」


「なんで謝るのよ」


「……すみません」


「……いてもたってもいられなくなったの?」


 いたずらをした理由を問いただす教師のような口調だった。


「はい……」


「……はぁ、なんというか」リザ先輩は、少し困ったような顔でぎこちなく笑った。「あんたって、純情なんだか軟弱者なのか、わかんない奴ね」


「もっと心を鍛える必要があるんだと思います」


「そのことに、もっと早く気づけたらよかったんだけどね」


「はい……あ、あの。覚えてますか?」


「なにを?」


「いつだったか、ぼくがベル……ラックベルさんを会誌の表紙モデルにしたとき、出来上がった写真を見て、リザ先輩言いましたよね。『もっとちゃんと撮らなきゃダメじゃない』って」


「ええ、言ったわね。覚えてるわよ」


「あのとき、その……もう気づいていたんですか? ぼくが彼女に好意を寄せていることに」


「へぇ」面白そうにリザ先輩が身を乗り出した。「自覚してんじゃん」


「もう隠しても無駄なので」


「潔さはちゃんと身に着けたわけか」


「……で、どうなんです?」


「うーん……」


 しばらく考えてから、リザ先輩は口を開いた。


「そんなはっきりしたものじゃないけどね。でも、あんたの写真にしては、雑念が入ってるなってのはわかった」


「雑念、ですか」


「私、あんたの撮る写真、けっこう好きなのよ。いまだから言うけど」


 意外な事実にどう反応すべきか迷っている間にも、リザ先輩は腕を組んで話を続けた。


写画機キャメラって、撮影する側の雑念というか意識みたいなものが、わざとらしく入ってきちゃうときがあるんだけど、あんたの写真にはそういうのほとんどなかった。どう撮ろうかとか、どう構図を決めようかとかより先に、被写体のあるがままを撮ろうってしている感じ。有体な表現を使えば、自然体な瞬間を切り取るのが上手いっていうのかな。でも、あの時はちょっと違ったわ」


 どう違うのか説明するのが難しいんだけど……と前置きしてから、言い切った。


「あんた、あの撮影の時、ラックベルちゃんから逃げたでしょ」


 逃げた? ぼくが?


「どういう意味です?」


「頭の中で思い描いている理想の彼女と、現実の彼女のギャップみたいなものを感じたんじゃない?」


 その言葉には、頭を木槌ハンマーで殴られたような衝撃があった。


 だけど……たしかにその通りだったかもしれない。








『結婚を前提に、お付き合いをさせていただいてるんです』








 あの時、写画機キャメラ撮画ショットを切るぼくの指先は、なぜに震えていたんだろう。


「ぼくは、身勝手な奴なんですよ」


 衝撃? 恐れ? 後悔? 執着? 絶望? 諦め?


「自分の不幸に酔いしれて、他人を選り好みして、悦に入って」


 あるいは、その全部だった。


「自分が幸せになるための約束事を、自分が好きになった人と結びたくてしょうがなかった」


 彼女の人生が、ぼくの思い通りにならないことに、腹を立てた。


「その人の気持ちも考えずに、ぼくは」


 それでも――そこにほんのわずかでもいい。


「自分の身勝手な好意を、ベル・ラックベルに押し付けていたんです。だから――」


 彼女の幸せを願う心があったと、信じさせてくれ。


「ぼくは、ぼくの弱さを心の底から受け入れる旅に、出ないといけないんです」


「これからが、本当の試練のはじまりってわけ?」


「はい」


 リザ先輩の目を、正面から見据えて言い切る。


「今度こそ、真人間になってみせます」


 しばらくの沈黙。


 リザ先輩が、控えめに、でもどこか暖かさを感じさせる笑みを浮かべた。


「大袈裟だけど、覚悟は伝わってきたわよ」


 それじゃあ――と、リザ先輩は椅子から腰を上げると、病室入り口のドアへと足を運んだ。


「後輩がそれだけ肝の座った姿勢を見せてきたんだから――」


 言って、襟に手をかけて何かを引きちぎり、近くのごみ箱へ放り投げた。それが、先輩の導き出した結論だった。


「あたしも、しゃっきりしないとね」


 からん、と、ゴミ箱の底で乾いた音を立てるバッジには目もくれず、リザ先輩はこちらに向けて小さく手を振ると、


「じゃあね、トム。元気でね」


 凛々しい靴音のみを残し、その場を後にした。

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ベル・ラックベルの結婚 浦切三語 @UragiliNovel

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