第13話 ずる賢い執着心
ぼくとリーランド
「おい、リーランド」
ぼくらを業務中に突然呼びつけたその人物は、ギルド業務の肩書的には上であるはずのリーランド
「スコルピからぜんぶ聞いたぞ。おれの長期遠征中に、ずいぶんと勝手な真似をしてくれたみたいじゃねぇか」
リーランド
窓から差し込む西日が顔を照らしつけても、その人物は手でひさしをつくることも、目を眇めることもせず、ぼくらから視線を外さなかった。まるで、モンストルを前にした時と同じような反応だった。狙った獲物は絶対に逃がしてなるものかという、野生動物を前にしたときの狩人のような態度。
椅子に座ったまま組まれた足元を覆うのは、黒い
「どうした。ダンマリしちまって。商人の国出身らしく、お得意のおべんちゃらで今の状況を説明してごらんよ」
「いまの状況、というのは……その」
リーランド
「いったい何のことか、自分にはさっぱり分からずでして……ダエラさんのご気分を害するようなことは、何ひとつした覚えはございませんねんけど……」
「とぼけるんじゃないよ。うちの優秀な新人をあっちこっち振り回して、パシャパシャ撮っては好き放題にやっているじゃねぇかよ」
そう言って、ばさりと放り投げるように机の上にばら撒かれた、会誌、魔導カタログの数々。表紙や中にベル・ラックベルが使われている。すべてぼくが製作したものだった。
リーランド
「ラックベルちゃんのことですか。あ、いや。でも」
「でも? なんだい」
「彼女を撮影素材として使わせていただく件については、スコルピ班長からきちんと許可をいただいた上で、こちらも動かせてもろてます。ご本人からの同意書もいただいておりますんで、やましいことは一切ございません」
「よく言うぜ。証拠は握ってんだ」
「しょ、証拠?」
「エルピスの領収書だよ。経理局に言ったらすぐに
「あのバカが女と酒と金に弱いのは、おれの十分知るところだ。てめぇのやり口は知ってんだよ」
斬って捨てるような口ぶり。しかし図星だったのだろう。リーランド
リーランド
その名を、ダエラ・アルチザールと言った。
《
「まったく、抜け目のねぇ連中だな。おれの目を盗んでスコルピを抱き込めさえすれば、第五班を丸め込んだも同然だと思っていたんだろ」
ぎしっ、とダエラさんの座る椅子の背もたれが音を出した。
「こっちが新種開拓の助成金が下りるようにM・Mと方々を駆けずり回ったり、測層局の連中と同行してレベル8に潜って竜蛇類のモンストル相手に死力を尽くしているあいだ、てめぇらはあこぎな手練手管を駆使して無理矢理に了承を取り付けて、おれの後輩を振り回して和気あいあいと『おしごと』ってわけだ。お気楽だねぇ。代わってほしいくらいだよ」
「振り回してなんかいません」
我慢できず、声に出した。いくらダエラさんでも、広報宣伝局の仕事を罵られて黙っているわけにはいかなかった。なけなしの
「たしかに、第五班への口説き方に強引なところはあったかもしれないし、ダエラさんみたいに強力なモンストルと対峙していたわけじゃない。でも、ぼくらはぼくらなりに一生懸命仕事をしています」
リーランド
「あなたの物差しで、全部を全部計らないでください」
「へぇ」
ダエラさんが、面白いものでも見るように、紫のルージュが引かれた唇をわずかに歪めた。
「このおれに向かって、ずいぶんと生意気な口を利くようになったじゃないか。それとも、遅咲きの反抗期かなにかなのかい?」
「事実を言っているだけです。ラックベルさんも、ぼくらの仕事に理解を示してくれたうえで、協力してもらっています」
「その点に関しちゃ」ダエラさんが、地面にまで届きそうなほどに長い紫のポニーテールに手をやって、呆れるように言った。
「あいつにも問題があるのは認めるさ。ちっとばかし、はしゃぎすぎだな、あれは」
「ダエラさん。嫌味を言うためにぼくらを呼びつけたなら、仕事に戻っていいですか。こっちも冒険局の皆さんほどではないですけど、それなりに忙しいので」
「おい、トム――」
「なめるんじゃないよ、小童」
ばん、とダエラさんが机を叩いた。皴だらけの手で叩いたとは思えないほど大きな音だったから、ぼくもリーランド
「嫌味を言うためだけにわざわざてめぇらを呼びつけたと思ってんなら大間違いだ。こっちもそこまで暇じゃないのさ」
再びダエラさんの手が翻って、会誌や魔導カタログの上に別のなにかをばらまいた。
「話ってのは、そいつに関することだ」
見ると、机の上にばら撒かれたのは、何の変哲もない便箋の数々だった。すべて封が切られていて、中身を検められた痕跡があった。
「なんでっか? これ」
「触るな」
おもむろに便箋に手を伸ばそうとしたリーランド
「なかに
「剃刀?」
物騒な単語が飛び出してきて、思わず訊き返した。
「歪んだ想いを燻らせた、どこぞの馬の骨が送り付けてきやがったのさ」
「これ全部が?」
「そうだよ」
「その、ダエラさん宛てに?」
いまにして思うと、鈍すぎる質問だったと思う。ダエラさんも、ぼくの勘の悪さに少し呆れつつ答えた。
「このおれに、そんな度胸のあることをしてくる奴がいたら、逆に面白いけどね……残念だがおれ宛てじゃない。ベル・ラックベルだ」
ぼくもリーランド
「どうして……どういうことです」
口の中が急速に乾いていくなか、ぼくは喘ぐように尋ねた。
「トム」
ダエラさんは
「【ニャラーム】の映像広告で、あの
「……はい」
「ずいぶんな反響だったと聞いてるよ。魔導開発局や販売局の奴らは、久しぶりの
「ラックベルさんが広告塔になってくれたからですよ」
「そうだろうよ。ただな、トム」
ダエラさんの目が、剣の切っ先のように鋭くなった。
「お前は
ここまで来ると、さすがのぼくも、ベル・ラックベルの身になにが起こったかを理解した……理解したくはなかったけど、でも、ダエラさんの
「まさか、
視界がぐらつきかけたなかで、絞り出したその単語。
ダエラさんが重々しく頷くのを見て、とんでもない事態を作り出してしまったことの責任の重さに、全身が押し潰されそうになった。
「トム。お前の創った映像広告を見て、あの娘に心を奪われた野郎は大勢いただろうさ。そのうちの一人が、
机の上にばら撒かれた妄執の残骸へ向かって、ダエラさんが顎をやった。
「最初は
モンストルより、生きた人間のほうがずっと怖い。そうダエラさんは言った。それは、先日の昇格試験で無事にA級へランクアップしたベル・ラックベルにしても、同じだったようだ。
「あの娘が勇気を振り絞って、おれにこの事実を打ち明けたときは、空いた口が塞がらなかったよ。まったく、世の中には斬って捨てる価値のないバカもいたもんだね」
「そんな……」
「落ち着きな。とりあえず、その不届き者はおれが成敗した」
「せ、成敗?」
「安心しろ。殺しちゃいねぇよ。ただ、ちょっと痛めつけて、
それにしても……と、ダエラさんは汚い虫でも見るような目で、ぼくを見つめた。
「あの猫耳の
「すいません。それはほんまに自分がやったことで――」と、リーランド
「こいつにはなんの責任もありません。自分の指示通りにトムは動いただけなんです。こいつのことを責めんでやってください」
「いまさら頭を下げたところで、なにかが解決するわけじゃねーんだぞ、リーランド」
「すんません。どんなお叱りでも受けますさかい。部下の教育指導も、これまで以上にきつくやっていきますんで、どうかこの通り、これ以上トムを責めんでやってください」
「わかった。わかったから、頭を上げろよこのバカ」
縋るようなリーランド
「なんだい。泣き落としってわけか」
「いや……すんません」
「泣きたいのはこっちさ。いや……違うな。いちばん泣きたくなるくらい苦しんでいたのは、あの娘だ」
「ベル・ラックベルは……」
ぼくはおそるおそる尋ねた。
「ラックベルさんは、いまどうしてるんです?」
「おれがその質問に答える義務があると思い込んでいるうちは、てめぇもまだまだガキだな、トム」
返す刀で、ダエラさんが続けた。
「あの娘がお前らの仕事に巻き込まれて、どれだけの心の傷を負ったか。あの娘の口から話すならともかく、なんでおれが話してやらなきゃいけない? そもそも、なんでそんなことをおれに聞くんだ?」
「それは、彼女のことが心配だからで……」
「それだけか? てめぇは、あの
思わず目を伏せた。ダエラさんの舌鋒鋭い問いかけを、すぐに否定することは出来なかった。ベル・ラックベルの身を案じているのは本気だ。でも、本当にそれだけなんだろうか? ぼくにはもう、ぼく自身の気持ちの揺れ動きがわからなかった。
「そういうところが、自分勝手な仕事のやり方に繋がっているんじゃないのか?」
ダエラさんは、散らばっている便箋をひとつひとつ片付けながら、滔々と語り始めた。
「おれはな、
「……他人を使って、自分を表現する仕事です」
「そうだ。図々しいにもほどがあるな?」
吐き捨てるようにダエラさんが言った。
「カタログに人を掲載するのも、映像広告の製作で生きた人を
胸の中心を深く貫かれたのと同時、目から鱗が落ちるような感覚だった。正直なところ、リーランド
がっくり項垂れるしかなかった。ダエラさんの言う通りだった。どこにも反論の余地はなかった。ぼくは自分のことしか考えてなかった。ベル・ラックベルと仕事ができる。その楽しさに浮かれてばかりで、ぼくは周りが見えていなかった。
そうだ。いい加減に認めるさ。
ぼくは、ベル・ラックベルに夢中なんだ。
でも、彼女のことを女性として好きだから夢中になってる……わけではないと思う。
それ以上に、根深い因縁とでもいうものがあって。それにぼくは雁字搦めになっている。
ダエラさんも、それは見抜いていたらしい。机の上に置かれたカタログの表紙。満開の花のような笑顔のベル・ラックベルの立ち姿をしばらく眺めて、口にした。
「この
とぼけても無駄だぞ、と言外に告げていた。
ベル・ラックベル。彼女がギルドの入会面接を受けた時の第一希望の配属先が、じつは冒険局ではなく広報宣伝局だったという話は、いまではギルドの多くの人たちが知るところになっている。
なぜ、王立養成学校で優秀な成績を修めた彼女が、冒険局ではなく広報宣伝局を当初は志望していたのか。本人に聞いてないからその理由はわからない。でも、彼女がギルドに仮内定した際にそのことをリーランド
ぼくにとって、はじめての後輩が出来るという喜びがあった。十年以上も下っ端に甘んじている、こんなにどうしようもないぼくも、これで一人前の
でも、蓋を開けてみたら、結果は違った。希望の光は権力の前に遮られた。
M・Mをはじめとしたギルドの運営統括委員会の上役が、土壇場になって彼女の配属先を冒険局に変えたのだ。噂によれば、やはり彼女の経歴を考えたときに、広報宣伝局ではなく冒険局の方が良いのではないかという意見が持ち上がったらしい。
本人の希望を無視して配属先を変えるなんて、そんなの言語道断のように思えるかもしれないけど、適材適所という当たり障りのない表現で、彼らの判断は「正しいもの」としてギルド内では扱われた。
ベル・ラックベルは、ぼくの初めての後輩になるかもしれない女の子だった。
でも、その機会は永遠に失われてしまった。
なにをそんなことで? と思うかもしれない。たかが後輩のひとりが出来なかったくらいで、なにをそんなに落ち込む必要があるのだと。
わかっているさ。自分が情けないほどに女々しい性格をしていることは。女々しくて、仲の良い後輩や先輩相手に愚痴をこぼして鬱憤を晴らして、その日その日をどうにか凌いでいるような、男の風上にも置けないような性格をしているのはわかっている。
執着心――ぼくがベル・ラックベルに向けている感情の正体は、きっとそれなのかもしれない。その感情を、ダエラさんは、ぼくの
「ぜんぶをぜんぶ
そう言って、ダエラさんは席を立った。リーランド
「とにかく、ベル・ラックベルはもう宣伝素材には使わせねぇ。カタログにも、会誌にも、映像制作にも、いっさい使わせねぇ。もう二度と、業務上でもプライベートでも、彼女に接触しようとするんじゃねぇぞ。あの娘の
その日以来、およそ一年以上の長きに渡って。
ぼくはベル・ラックベルに会ってない。
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