第10話 三人の冒険者
丸焦げになったブラウ・ブラウニー。その焦げ茶色の皮膚は火炎の魔導効果を浴びたことで、黒ずんで硬くなっていた。おかげで、
汗に濡れた額を
回収容器へ格納するために、その場にしゃがみこんで、
(……帰りてぇ)
ぼくの中の意気地の虫がざわめいた。
無我夢中だった。無我夢中でブラウ・ブラウニーに立ち向かい、どうにか討伐できた。間一髪だった。あと少し、避けるタイミングがずれていたら……
ベル・ラックベルのアドバイスを事前に聞いていたおかげで、なんとか勝つことができた。けれど、それはただの偶然の助けにすぎない。そう、偶然だ。その事実がかえって、自分の基礎的な冒険力の低さを痛感させた。
もし、彼女からブラウ・ブラウニーの話を聞いていなかったら、魔石の持ち腐れだった【
心は、状況そのものだった。つまりは、暗い洞窟に閉じ込められたような気分だったということだ。《隠し階層》の
素材を回収して立ち上がろうとした時、ふらふらと立ち眩みに襲われて、青紫色に輝く岩壁に手をついた。空中から攻撃なんていうガラにもないことを思いつきでやったせいで、全身の骨や筋肉が悲鳴を上げていた。
(ああ、帰りたい)
自信がない……つまるところ、ぼくの拭いきれない弱点はそれなのだ。
(……仕方がないか)
溜息をついて、
モンストルの可聴域にはない音の連なりが、長大な天井を瞬時に駆け抜け、層という層を貫き、
ところが、通常ならものの数秒で通知を知らせる赤い光が、
(おかしい)
見たところ、壊れているわけではなさそうだった。それで、二度、三度と
四度目に
(まさか、《隠し階層》にいるからか……!?)
この時のぼくには、そうとしか考えられなかった。
ぼくは激しく頭を抱え、地団太を踏み鳴らしそうになった。なんてバカなことをしたんだと、自暴自棄になりかけた。目先の欲と好奇心に囚われた結果、助けを呼ぶこともままならない状況に陥ったのだ。しかも、まだ脱出口すら見つかっていない。それに、この暗く大きな洞窟の先には、当初のぼくの想定を超えた強力なモンストルが、うじゃうじゃ潜んでいるかもしれないのだ。
(こうなったらもう、ヤケクソだ!)
いや、待て――自らの犯した失態から目を逸らして開き直ろうとした自分を、もうひとりの自分がたしなめた。
もしここで闇雲に探索を続けて死を迎えたら、ベル・ラックベルはどう思う?
自分の晴れ舞台の日に、自分と何度も仕事をした相手が
その考えに至らなくなるほどの疲労じゃない。
まだやれる。まだ頑張れる。
落ち着け。冷静になれ。トム・バードウッド。
深呼吸を繰り返した。
ぼくは、もういちど歩き出した。
▲▲▲
そもそも、《隠し階層》に落ちた時にまず真っ先にこれを使っておけば、ブラウ・ブラウニーと余計な戦闘をせずに済んだのだ。自分の立っている場所に興奮するばかりで、足元の暗がりに気付けなかった。つくづく考えの甘さに嫌気が差すけど、自らを苛んで事態が好転するほど、状況は楽観的じゃなかった。
モンストルが強力であればあるほど、
…………
いまごろズィータでは、ベル・ラックベルの結婚式が執り行われている。どこまで進んだのだろうか。聖教士の前で、誓いの言葉を述べて、指輪の交換をしているんだろうか。
だとしたら、式に参列している冒険局第五班のみんなが、彼女のあまりにも美しい花嫁姿に感嘆の声を漏らしつつ、静かに
それを思うと、自業自得はいえ、自分の置かれた状況があまりにも惨めに感じられた。そのことを意識したくなくて、迷宮のように入り組んだ洞窟内を手探りで探索しているあいだ、
だから、探索にどれほどの時間がかかっていたかはわからない。あとで思い返してみると、おそらく三十分かそこらだったんじゃないだろうか。
そのタイミングだった。なにかが立て続けに炸裂するような音が、遠くの方から耳に響いてきたのは。
ぼくは警戒心を高めて、一歩一歩、岩壁に手をつきながら慎重に進んでいった。
洞窟内に反響する炸裂音は次第に大きくなっていた。そのうちに、人の声と思しき音と、言語不明瞭な、くぐもった音も聞こえてきた。
(なんだ?)
警戒心を臨界点まで高めた。
と、道の先に、小さな光を見た。近づいていくと、光はだんだんと大きくなっていった。それが、壁に順序よく埋め込まれた燭台の火であると判別がつくや否や、ぼくは驚き混じりに岩陰へと身を隠した。
というのも、目の前の開けた空間で、三人の冒険者が背をこちらに向けるかたちで、モンストルたちとの戦闘に及んでいたからだ。
「(おいおい。先客がいたのかよ)」
ブラウ・ブラウニーに続いて、またもや予想外のことが起こっていた。てっきり手つかずの《隠し階層》だと確信していたから、ほんの少しがっかりはしたけれど、でもそれ以上に、この真っ暗でじめじめしたモンストルだらけの地底で人を見かけたという安心感の方が強かった。
「キレート! 残り五体、一気にやるよ!」
傍らに立つ金髪の男へそう威勢よく声をかけたのは、燃えるような深紅のショートヘアが特徴の女だった。
「言われなくとも。さっきのやり方でいいな?」
「いちいち確認を取らなくていい! やれ!」
「やれって……ったく、しょうがねぇな!」
分厚い
男が
その隙を見逃さまいと、女は腰に巻いた
金細工で過剰に
女は
ここまでくると、ぼくにもなんとなく、このチーム編成の意図が見えてきた。
金髪の男は、防御に徹したその重厚な装備から察するに、チーム内で与えられた
そして女の
女がファイブスターたちへ見舞ったのは、【
とすると、残り一人の冒険者に与えられた役回りについても、自ずと見当がついた。
「エディさん! 頼みます!」
「あいよ。貸し、イチな。キレート」
なびく灰混じりの白髪。年配の冒険者なのか。エディ、と呼ばれたその小柄な男性は、しゃがれた声で静かに応じると、黄土色の魔導衣の袖を翻して、錆色の
《――駆けるは
こちらに背を向けたまま、
気づけば、ファイブスターが一匹残らず、その場に倒れ伏していた。どいつもこいつも、閉ざされた天に助けを求めるように、触手を宙へピンと伸ばした姿勢のまま、微動だにしない。
瞬きすら許さない、それは
いったい何が起こったのか。ぼくは混乱しつつも、つい数瞬前に
稲妻の魔導効果だ。
あっという間の出来事だった。誰ひとりとして、無駄な行動をしていない。
「っつぅ~~~~! ちょっとお! エディさん!」
見ると、
「《
「かっかっかっ。
先ほどまでとは打って変わって、豪快でざっくばらんな口調になった小柄の
「まぁでも、お前さんの言う通り、ちとやりすぎなところはあったかもな。《隠し階層》だからってんで、肩に力が入り過ぎたかもしれねぇ」
「相変わらず元気なことで」
「なぁに。若けぇ冒険者にはまだまだ負けるつもりはねぇよ。それに引き換え、キレート。お前さん、ちょっと今日イマイチだな」
「そうすか?」
「ああ。魔導のキレがな。
「いや、
「かーっ! これだからイマドキの若ェ奴は! すーぐそうやって楽しようとすんだからよぉ」
いるいる、こういう年配の冒険者。
ぼくは姿を隠しながら、いまだ顔の見えない
「おめぇも、ちったぁノヴィアを見習え。見ろ。オレっちの雷音を耳にしても、びくともしてねぇ。鍛え方が違うんだ鍛え方が」
こんこんと
「それによ。今日のアイツはいつもより気迫があんだよ。なんつーか、鬼気迫るって感じだ」
「いや、それは……そうっすよ。わかるでしょ、エディさんも」
「ん。んん……」
「まぁ、女心ってのは
「女心は探索よりも難しいか……でもこの状況だと、どっちも似たようなもんじゃないすか?」
「キレート、エディさん」
女が銃を腰に戻しつつ、二人の方を振り返って呼びかけた。ぼくの位置からも、はっきりと彼女の顔が見えた。細い眉。切れ長の勝気な瞳。ややエラの張った頬。薄い唇。ベル・ラックベルとは、またタイプの異なる褐色肌の美人だった。
「モンストルの気配はないみたい」
女性にしてはやや低い声でそう言うと、
「とりあえず、休憩しましょうか」
「休憩も大事だけどよ、ノヴィア。まだ続ける気なのか?」
「俺はべつに構わないんだ。お前が満足するまで探索をやりたいってんなら、付き合うよ。けどエディさんに悪いだろ。お前のことが心配で、ここまでついてきてやってるんだから」
「いや、オレっちは別に――」
「エディさん。気遣いは無用だ。さっさと
「……キレート」
「なんだ」
「お前、いつからそんな臆病者になった」
銃に視線を落としながら、
「なんだと?」
「《隠し階層》だぞ。不幸中の幸いって言葉を知らないわけじゃないだろ」
「……なるほどな。『危険を冒す』と書いて冒険者だ……と言いたいわけか。たしかにお前の言う通りだ――本心からの言葉ならな」
「なにが言いたいんだ」
「お前がどうしても素材回収や
図星だったのか。
「俺もエディさんも、とっくに気付いているんだ。あんまり見くびってくれるなよ」
「別に見くびってなんか――」
「してるさ。お前がなにを考えて、せっかくのギルド休業日に
ギルド休業日に探索? なんだ、ぼくと同じじゃないか。
でも、ぼくに事情があるように、どうやら彼らにも複雑な事情があるようだった。
「なぁ、ノヴィア」
「アレックスのことなら、もう――」
「キレート。そこまでだ」
恐ろしく低い声になって、
「気遣いを免罪符に、女心にずかずか入り込むのは、野暮だぜ」
年配者の指摘が効いたらしかった。
「……すいません。エディさん」
「謝る相手は、オレっちじゃねぇだろ?」
「……すまなかった。ノヴィア」
「いや……」
頭を下げる
さっきまで見事な連係プレーを見せていたのに、急にぎくしゃくした雰囲気になったなと観察していると、
「ま! いいじゃねぇか! なにを考えて探索するかは本人の自由だ。ノヴィアが満足するまで探索を続けようや。同じギルドの仲間として、とことん協力するぜ? オレッちもキレートも。そうだよな? キレート」
「え? あ、ああ……そ、そうっすね」
「ありがとう。二人とも……申し訳ない。あたしのわがままに付き合ってくれて……」
「なぁに。良いってことよ。しかしそれにしても……」
「冒険者人生で初めての《隠し階層》体験だが、想定していた以上だ。こいつはなかなか、楽しませてくれるじゃねぇか――二人とも、気づかねぇか?」
「え?」
「なにがです?」
「ったく。お喋りに気を取られ過ぎだ」
やれやれと頭を振ると、
「――あっちの道の向こうに、なにかいるぜ」
ぼくの隠れている岩壁の、すぐ近くを。
気づかれた――慌てて釈明しようと
「(え!? い、いや!? ちょちょちょちょっ!?)」
がらがらと音を立てて崩れる岩盤。青紫色の破片が轟音と共にキラキラと舞って、土煙で視界がめちゃくちゃになった。
煙の向こうで、またもや光の片鱗が見えた。
ぼくは、慌てて叫んだ。
「ま、まって! 待ってください!」
「え? ひ、人の声!?」
「俺たち以外にも冒険者が!? ちょ、マズいですよエディさん!」
「いやいやいやいや!? え!? オレっち!? オレっちのせい!?」
「得意顔でやっちゃったのアンタだろ!」
「ええええええええ!? いやいやいやいやだってだってだって!」
「ごほっ……! こ、攻撃……! ごほっごほっ! 攻撃しないで! 違う! 違うんです!」
次第に粒子が拡散していき、土煙が薄くなる。
岩盤の崩落が収まり、静寂が場を支配した。
土煙の薄い膜は、その濃度をすっかり低下させていた。
命からがら逃げだして、地面を這いつくばった姿勢のまま、ぼくは居並ぶ三人の冒険者の「やってしまった感の顔」を見上げた。
「あ、え、えーっと……」
とりあえず、愛想笑いを投げかけた。
三人は、驚きに目を見開いていた。
キレート・ロックヤード。
ノヴィア・ピルグリフ。
エディ・アンダー。
これが、ぼくたちの初邂逅だった。
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