タランテラ

川線・山線

第1話 毒に中(あた)り、踊り狂う羽目になる。

穏やかな昼下がり、オフィスには少しの話し声と、キーボードを叩く音だけが響いていた。スタッフの作業はいつも通り、順調に進んでいるようだった。ここは山内銀行本店 システム管理部ATM管理課である。全国のATMの動作状況を確認し、エラーを起こしているATMがあれば、速やかに最寄りの支店へ連絡、対応を指示する部署である。


普段と変わらない時間が流れている、とみんなが感じていたその時、スタッフの一人が「あれぇ?」と声を上げた、隣の席にいた同僚が、


「どうした?」


と問う。


「なんだか、PCの速度がもたついているようで、バックグラウンドで何かがCPUのパワーを吸い取っているような感じなんだ」


と彼が答えた。


「変だなぁ?」


と彼が画面を見つめた瞬間、ディスプレイが一瞬ホワイトアウトしたかと思うと同時に、彼のPCから6/8拍子の明るく、テンポの速い、ただ少し狂気を含んだようなピアノ舞曲が流れ始めた。その曲を聞いた途端、彼が急に椅子から立ち上がり、ダンスを始めた。


「おいおい、何をやっているだよ」

「わからない。曲に合わせて手足が勝手に動くんだ」

「仕事中だろ、ふざけている場合じゃないだろ!」

「違うんだ、本当に、ハーハー、手足が操られるかのように、ハーハー、動いているんだ。ハーハー、止めようとしても、ハーハー、止められないんだ。ハーハー、誰か、何とかしてくれ。ハーハー、もう息が続かない…」


同僚たちは、最初は彼がふざけているのだと思い、笑い声を上げる者、厳しく叱りつける者もいたが、彼の息がどんどん切れて来て、赤く上気した顔色から、次第に紫色に変わっていく彼の顔色を見て、ようやくみんなが、「ただ事ではない」ことが起きている、ということに気付いた。


彼のPCのディスプレイにはタランチュラをデフォルメした画像が表示されていた。誰かが、スマホで流れている音楽を調べ、ショパンの「タランテラ 作品43」であることが分かった。音楽を止めようとPCを操作するがどうにもならず、電源ボタンの長押しで強制停止させようとしても、どういうわけか止まらなかった。


曲は繰り返され、きっちり10分間流れると、ひとりでに止まった。音楽が止まると、彼の踊りも止まった。彼は息も絶え絶えになっていた。


別の誰かが、「タランテラ」について調べた。どうもイタリア南部の舞曲で、3/8拍子、あるいは6/8拍子のテンポの速い曲とのことだ。名前の由来は、イタリアの都市である「タラント」から来ている説、「毒グモであるタランチュラの毒にあたり、本人は毒に苦しみながら、しかし傍から見れば楽しく、激しく踊り狂っているように見える様」から来ている説などがあるようだ。


音楽が鳴りやんだPCのデータは、破壊されてはいないようだった。しかし、明らかに悪意のあるプログラム、しかも人間に影響を与えるようなプログラムが侵入したようである。


山内銀行のPCシステムは、歴史ある電脳会社である、「MUJITSU」が管理している。銀行に常駐している「MUJITSU」のシステムエンジニアが、不具合を起こしたPCへのデータの流れを、社内サーバー側から追跡し始めた。


しばらく作業をしていると、


「あれぇ、なんとなくPCが遅くなったように思うんだけど…」と言い始めた。


作業を続けていると、彼のPCのディスプレイが一瞬ホワイトアウトしたと同時に、大きな音であの曲が流れ始め、システムエンジニアは何かにとりつかれたかのように、音楽に合わせて踊り始めた。早いダンスにだんだんと息が上がってくる。傍で見ていると陽気なダンスに見えるが、彼の表情は苦悶にゆがみ、必死に呼吸をしていた。そしてディスプレイにはあのタランチュラが、デカデカと映し出されていた。


「MUJITSU」の常駐スタッフはすぐに本社に連絡を取り、応援を頼んだ。


本社のシステム部トラブルシューティング課は、社員の中でもごく一握りの、社内独自の試験に合格しないと所属できない、超難関の部署である。その部署の片隅に、まるで動物の巣のように、生活用品と布団が置かれたスペースがあった。そのスペースの主、浜内 敬之は、勤務時間内は布団に潜り込んで仕事をしているのか、ぐうたらしているのか分からず、一般の課員からは、「無能な変人」と思われていた。ただ、課長と部長は知っていた。彼が「天下無双」のホワイトハッカーであることを。


彼は一般人の社会生活にはなかなかなじめず、彼の才能ゆえに特別に社内に自分の「巣」を持つことを許されていた。他の課員と同等量の仕事を与えられているのだが、深夜から早朝にかけて、他の課員の1.5倍の速度で仕事を終えるので、一般の課員には彼の仕事が見えず、その風変わりな生活スタイルと合わせ、「無能」の烙印を押されていたわけである。


大手の銀行である、山内銀行に常駐させているシステムエンジニア(SE)であり、社内でもある程度高い能力を持っている人材が、手のひらで転がされている状況である。課長と部長は相談のうえ、「浜内の巣」に近づき、浜内に伝えた。


「浜内君、どうも君でなければ務まらないトラブルが起きたようだ。力を貸してくれないか?」

「あぁ、部長、課長。珍しいですね。それはよほどのことなのでしょう。状況は、ネット電話の音声データのハッキングと、メールをハッキングさせてもらったので、おおよそ何が起きたかは把握しました。さすがにこの格好では、相手の会社には行けませんね。一応社会人らしく、身だしなみを整えて、山内銀行に行きましょう」


と躊躇なく仕事を受け、同フロアのシャワー室で身体を洗い、どこに用意していたのか、スーツとネクタイで身を固め、課長とともに山内銀行に向かった。


銀行につくと、出来事を再度確認し、彼は、グラフィックシステムからアプローチした。


常駐SEが、浜内に質問する。


「何故、グラフィックシステムからですか?」

「サブリミナル効果、ってご存じですか?今は禁止されている手法なのですが、アメリカでの実験で証明されたのですが、「映画」って1秒間に24コマの画像が表示されるようになっているのです。その24コマのうち一コマだけ、「コカ・コーラ」のCMを入れるのです。当然見ている人には、CMが入っていることには気づかないのですが、CMを入れると、統計学的に有意差をもって、コカ・コーラの売れ行きが上がったんですよ。」


「それと、今回のことと、どんな関係が?」

「私が思うに、今回のことは、「催眠術」の技法が応用されているのではないか、と推測しているのです。だから、出来事が起きるずいぶん前から、ディスプレイ上で「サブリミナル効果」をもちいた「催眠術」が始まっていたのではないか、と思ったのです」


と言いながらPCを操作すると、やはり、人間には気づかない速度で、バックグラウンドの上に、


「光を浴びると、曲とともに手足を楽しそうに振りながら踊り出す。曲の流れている間は、自分の意思で手足を動かすことはできない。曲が消えると、この指示は消える」というメッセージが表示されていたことが明らかになった。


ではどのプログラムが、この画像コントロールのプログラムとリンクしているのか、探し始めた。うかつに探せば、自身のPCが感染してしまう。


浜内は仕事をしながら、「これは、どこかの誰かが、『MUJITSU』に挑戦状を叩きつけているのでは?」と感じていた。悪意がないわけではないが、データーを破壊したり、身代金要求のために、鍵でロックしてしまう、ということはしておらず、分類としては「度を超えたいたずら」としか言いようがない。


浜内は慎重にOSの深部を探っていった。常駐SEが迂闊に触ったときのようにはならないように、少しずつ、探索を進めていった。どうもOSの脆弱性を突いて、トロイの木馬を持ち込ませたようである。サーバーからトロイの木馬と、タランチュラを捕まえるように慎重に、入り込んだマルウェアを除去し、ひとまずの対応が終了した。


「これで、ひとまずシステムは大丈夫だと思います。どこから悪意の攻撃が入ったのかはわかりませんが、くれぐれも怪しげなメールをあけたり、怪しげなサイトに入ることは避けてください」


と浜内は山内銀行のシステム管理部の部長に伝え、常駐SEには


「あとはあなたたちの仕事だ。任せるよ」


と言い残して、社に戻ることとした。


「しかし、なぜ犯人は、わざわざ『山内銀行』を狙ったのだろうか?」


という疑問は浜内の中にくすぶっていた。社に戻り、いつもの格好に戻って「巣の中」で生活する浜内は、またいつものスタイルに戻っていた。彼のところには、「さすがです。こちらはお手上げですね」とあて先不明のメールが届いていた。


それから2週間後、借り上げ社宅として借りていたアパートの住人が、犯人だということで検挙されていた。浜岡は、ネットニュースでそれを知ったのだが、どうも、山内銀行の社員が、周囲に連絡なくバルサンを焚いた為、趣味として集めていたクモたちが死んでしまったそうである。山内銀行に対する攻撃は、それに対する恨みを晴らすことが、犯行の動機だったということであるそうだ。


何とも言えない「割り切れなさ」と「やりきれなさ」を浜内は感じていた。

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タランテラ 川線・山線 @Toh-yan

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