第9話 活動③
僕は机に向かっていた。パソコンの画面には、未完成の楽譜が並び、数々のメロディが散らばっている。流れるように浮かんでは消える旋律。それを何とか形にしようと指を動かしても、どれもが中途半端でまとまらない。焦りと苛立ちが胸を締めつけ、深いため息が漏れた。
「自分が求めている音楽って、何だろう......」
机にSNSを開いたままのスマートフォンが、次々に新しい投稿が流れる。確認すると、Noctの次の曲絵の期待だった。それを見て、さらに気持ちが沈む。
人気となった「Nocturne of Silence」。その余韻がまだ残る中、世間からの期待は日増しに高まっている。次の一曲へのプレッシャー、さらに殺到する作曲依頼。それらが重くのしかかり、心の中を渦巻いている。
「僕......どうしたらいいんだろう......」
手にしたペンが宙を舞うように転がり、奏は思わず頭を抱えた。頭の中で鳴り響く音が、まるで自分を責め立てているように思える。「求められている音」と「自分が作りたい音」のギャップが、苦しみとなってのしかかってきた。
両親が見守ってくれているのは分かっている。しかし、だからこそ「才能に応えなければ」という気持ちが強くなってしまう。
気分転換が必要だと感じ、ふと立ち上がる。部屋を出て廊下を歩きながら、奏は過去のことを思い返していた。なぜ自分は演奏家ではなく作曲家を選んだのか。
──自分の音楽を作りたかったから。
両親が音楽家として活躍する姿を見て育った。華やかな舞台で、情熱を音に乗せて観客を魅了するその姿は、幼い頃から誇りであり憧れだった。しかし、自分は演奏で感情を表現するのが得意ではなかった。音を操り、感動を届ける術を持たない自分が、両親のように輝くことはできないと感じていた。
だが、頭の中には絶えず旋律が浮かんでいた。心が揺れ動くたびに、音色が形を変えて流れ出す。その旋律は、言葉よりもはるかに自分の内面を語っている気がした。曲を書き上げるたびに、内に秘めた感情が音へと昇華され、自分の中の何かが救われるような感覚があった。
だからこそ、演奏ではなく作曲という道を選んだのだ。自分の心をそのまま音に乗せて、誰かに届けるために。しかし今、世間の期待に応えるために曲を作ることが、本当に自分の望んだ道なのか分からなくなっている。
「僕の音楽......本当は何のために作ってるんだ......」
部屋に戻り、ふとキーボードの前に座り直す。冷えた指先をそっと鍵盤に乗せ、息を整えた。頭の中で鳴っている音を辿るように、ゆっくりと指を動かしてみる。すると、自然とメロディが浮かび上がってきた。無意識に作っていた、趣味としての曲。その旋律には、自分の心そのものが詰まっているようだった。
「これだ......この感じ......」
誰かに求められたわけでもない、ただ自分が作りたい音。それが心の奥底から溢れ出てきた瞬間、心の重みが少しだけ解けた気がした。胸に絡みついていた不安が、音の流れと共にほどけていく。
「よし......やってみよう」
覚悟を決めた僕は、リビングにいる両親のもとへと歩み寄った。胸の奥にわずかな緊張を抱えながらも、決意を固めた表情で声をかける。
「父さん、母さん。話があるんだ」
その言葉に、両親が優しく振り向く。透真は新聞を畳み、美琴はティーカップを置いて微笑んだ。
「奏、どうしたの?」
少し息を整えながら、僕は自分の心情を絞り出すように言った。
「悩んでたけど、やっぱり曲を作ってみようと思う。ただ、どの依頼を受ければいいか分からなくて......」
母さんが微笑みながら、温かく見つめる。
「そうね......無理に全部を受ける必要はないし、まずは自分が納得できるものから挑戦してみたら? 自分の気持ちに正直でいいのよ」
その言葉が、凝り固まっていた心を少しだけほぐすように響いた。
父さんも頷きながら続けた。
「実はな、今度のコンサートで古くからの友人とコラボステージをやることになってな。その曲を奏に作ってほしいんだ」
僕は一瞬、言葉の意味を理解できずにいたが、やがてその内容が脳内で繋がった。
「友人......?」
母さんが微笑んで口を開く。
「
僕は驚きながらも、その名前に聞き覚えがあった。
「椿千尋......確か、昔から母さんと共演してた......?あの圧倒的な歌唱力で有名な......」
母さんは頷きながら続けた。
「そう。彼女も奏の音楽を気に入ってくれてね。『ぜひNoctさんにお願いしたい』って言ってくれたの。無理にとは言わないけど、挑戦してみる価値はあると思うわ」
椿千尋という名前が持つ圧力に、一瞬たじろぐ。しかし、その一方で胸の奥がざわつき、挑戦してみたいという気持ちが湧き上がってくる。
「......分かった。やってみるよ」
両親は嬉しそうに頷き合い、父さんが優しく声をかける。
「お前なら大丈夫だ。自分の音楽を信じてやってみろ」
その言葉に背中を押されるように、静かに覚悟を決めた。
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