女子校
いい加減なところで覚めるはずだと思っていた。
少女の手の感触は温かで、心臓の鼓動は高鳴りっぱなしだ。俺も健全な男子高生。これだけ強い衝撃を受け続けていれば、ふっとどこかで目を覚ませると期待していたのだが。
「わぁ! ここが私たちの過ごす学び舎かぁ……!」
「……なぜだ。なぜ覚めない」
気付けば学校に着いていた。しかも、張り出されたクラス分けで俺とシオンは同じクラス。それもそうだ、漫画でもシオンともう一人の少女『平戸ツツジ』は同じ教室だったのだから。
問題は平戸ツツジの方は、存在こそすれ別のクラスになってしまっていたことだ。どうやらこの世界では、俺が完全に彼女のポジションに成り代わってしまっているらしい……。
「席も隣だなんて、なんだか奇跡みたいだね!」
そんな訳で流されるまま教室にやって来てしまった俺は、シオンの隣に位置する窓際後方の机で項垂れている。
そりゃ正直言ってしまえば美味しい夢だろう。だけど……どうせ夢なら、俺じゃなくてシオンとツツジが絡んでいるところを見たかった……!
「どうしたの? もしかしてまだ疲れてるの?」
シオンは登校時の猛ダッシュのことを気にしているらしい。まあ、あながち間違いでもない。まさかあの桜並木から校舎まで十五分以上走ることになるとは思わなかったからな……。
「走るのは久しぶりだったんだ……」
「あはは! でも大丈夫、すぐ慣れるよ! それに、これから楽しいことはいっぱいあるんだから!」
しかしまったく変な夢だ。普通、夢で走ろうがこんな疲れを感じることはないだろうに……。それに、俺の足が全く痛まないなんて。
……まあ、所詮は夢か。自分の思い通りにいかない部分はあれど、彼女の言う通りせっかくならこの機会を楽しんだ方が得だろう。
よし。それなら登場人物の一人に成りきってフレンドリーに接してみようじゃないか。
「そういえばなんだけど、さっきぶつかった時……どうしてわたしの名前を知ってたの?」
「漫画で見た」
即答だ。夢ならどう答えようと構うまい。
「まんが……? わたしってもしかして有名人?」
「そうだな……全国にファンが数万人はいると見ていい」
実際はマイナー漫画ゆえ数百人いるか怪しいけども。
「わぁ! どうしよう、友達作る前にファンがついちゃったよー!」
シオンは一人ではしゃいでいる。原作に無いセリフだ……! 状況が違うんだし、当たり前なんだけど。しかしノリの良さは原作から変わってなさそうだ。
「モミジくんてちょっと顔は怖そうだったけど、実はおもしろい人なんだね!」
「別に怖くは……ちょっと待ってくれ。どうして名前」
「ん? あっ! これさっき落としてたの、渡すの忘れてたっ」
そう言って渡されたのは……学生証。『伊呂波モミジ』としっかり俺の名前が刻まれていて、現実のものと変わらない仏頂面に長い黒髪の男の写真が貼られている。いつ撮られたんだ? ……でも、今はそんなのどうでもいい。
「うぉ……」
推しに名前で呼ばれた……! しかも下の名前で。これはさすがに効く……!
「わーすごいっ! モミジくん、それ塩をかけられたナメクジの真似?」
「うぉあ……」
「身体がアサガオの蕾みたいに捻じれてるよ!? いいなぁ、わたしにも何か特技あったらなぁ!」
あまりの刺激に身を悶えていたらシオンは引くどころか大喜びだった。変なところがツボに入るのも原作通りといったところか。
なんだか安心する俺だった。
今日は入学式ということで簡単なホームルームや説明のみが行われ、午後からは部活動見学の予定が組まれていた。
もちろん昼食など持っているはずもなく、仕方が無いので売店へと向かう。この学校の地図は漫画の知識でだいたい頭に入っているので特に迷う事も無い。
しかし、夢の中というのに腹が減るっていうのもおかしな話だな……今更だけど。
なんて考えている間に売店に辿り着く。同時に、耳をつんざくような怒号が聞こえてきた。
「一年生! 少しは先輩に遠慮しなさい!」
「ここのあんパンは校外でもすっごく有名なんだから、譲れないわ!」
「ち、ちょっと! どさくさに紛れてどこ触ってんの!」
昇降口に並ぶ売店前はもはや列など意味を成さない争奪戦。どこの学校もやることは同じだ。
「にしても、すごい女生徒の数だな……」
漫画では登場人物の父親や校長といった人物以外、男キャラクターはほとんど出てくることが無かった。このジャンルの漫画では全く珍しくない話だが、こうして目にしてみるとまるで女子校に迷い込んだかのように思えてくる。
……いやまさか、本当に女子校じゃないよな? 漫画では特に言及が無かったけども。
そうやって目的も忘れて辺りを観察していると……見覚えのある顔を見つけた。
「あ、あの、あたしもっ……!」
生徒の群れの中心にて、必死にぴょんぴょん跳ねてアピールする小柄な女の子がひとり。
首元で軽くカールさせた明るいブロンドの髪を揺らし、白いカチューシャが外れないよう片手で抑えながら跳ねている。もう片方の手には小銭が握られ、空色の瞳を持つ整った顔には困惑の色が伺えた。
間違いない。彼女こそ『ゆるかいっ!』のメインキャラクターの一人、『平戸ツツジ』その人だ。本来シオンと朝に出会うはずだった女の子……。
「あたしも、あんぱ――」
「じゃまっ!」
「あうっ……」
大勢の生徒たちに押し退けられるようにして、周囲より一層小柄な彼女は群れの外に弾き出されてしまう。その勢いで尻もちをつき、握られていた小銭が辺りに散らばった。
「おいおい……」
とても見てられず、俺は散らばった小銭を拾い集める。
「ほら」
思わず行動に移したはいいものの、どう接していいか分からずついぶっきらぼうな言葉遣いになってしまう。
空いた片手で彼女の身体を起こすのを手伝うと、拾い集めた小銭を渡した。
「あ、ありがとう……」
緊張したような、少し上擦った声だった。気は強いけど人見知り。漫画ではそんな性格の彼女。
数秒の気まずい間を置いたあと、俺たちは二人して群れを見やる。その勢いは衰え知らずだ。
「これじゃ、ちょっと厳しそうだな」
「……うん」
ツツジはしょんぼりとしている。そもそも、漫画通りの展開なら彼女はシオンと昼食を共にし、手作り弁当を分けてもらっていたはずだ。となると、こんな思いをさせてしまった責任は俺にあるということになる。
「……ちょっと待っててくれ」
「え? う、うん」
数は多いが相手は女子生徒のみ。俺はすいすいと人の波を掻き分けて進み、すぐにカウンターに辿り着く。この場は男であることが有利となった。
「確か、あんパンと……それからホイップパンに、飲み物はアップルティーがいいな」
もちろんツツジの嗜好は履修済みだ。甘いものを中心に見繕って持ち帰る。
「こんなもんでいいか?」
「い、いいのっ?」
「ああ」
戦利品を手渡すと初めは困惑していたが、ラインナップを見てすぐに表情を輝かせる。そうそう、やはり推したちは笑った顔が一番だ。
「ありがとう! すごい、あたしの好きな物ばかり……」
「そりゃ、俺はお前のことを何でも知ってるからな」
「……へ?」
途端に彼女から受ける尊敬の眼差しが不審者を見る目に代わる。何か変なことを言っただろうか?
「それ、どういう意味?」
「どうって……そのままだ。趣味はケーキ作りで実家はケーキ屋。甘いものに目が無くて、毎日お風呂上りに嗜むフルーツティーが大好きで……」
「んな、な……!」
「この時期だとそうだな、最近少し太ってきたんじゃないかと姉に泣きついていたっけ。結構お姉ちゃん子で、でも高校生になってからはお姉ちゃんとお風呂入るのを泣く泣く止めにしたんだよな。クールぶってるけどそういう所は人に見せたくなくて、学校ではひた隠しにするんだけどそんなところも可愛い。それから――ん?」
気付けば俺たち二人で結界を張ったかのように周囲との距離が開いていた。皆売店ではなくこちらを見てひそひそと何かを話している。そして、当の本人であるツツジは顔を真っ赤にして俯き、ぷるぷると身体を震わせていた。
……しまった。勢いよく語り過ぎた。
「わ、悪い。普段こんなこと人と話せることが無くてさ、つい盛り上がっちまった」
「……あたしたち、初対面だったわよね?」
「まあ」
「それなのに、どうしてそんなことまで知ってるの……?」
どうして? どうしてって……俺は昔からのファンだし。こう答えるべきだろう。
「そりゃあ、もう何年もずっと――お前のことを見てきたからだ」
「えっ……」
俺の答えを聞くとツツジは青い顔をして後ずさっていく。
しまった。これじゃストーカーみたいじゃないか! 何か言い訳を考えないと……!
「まてまて、誤解するな! 見てるとは言ったがお前だけじゃない、他の子たちも見てるからお相子だ!」
「さ、最低のストーカーじゃないっ!」
「あ。いや、これは言葉のあやでだな……」
ツツジだけじゃなく周囲の目も冷たい。これは何を言っても墓穴を掘ってしまいそうだ。…仕方ない、ここは一旦退くとしよう。
「じゃ、そういうことで」
一言添えて背を向けたあと、猛ダッシュで廊下を駆け出しそのまま昇降口を飛び出した。
「あ! ちょっと待ちなさいよっ!」
背後から聞こえてくる怒声を振り切るようにして俺は必死に走り続ける。
そしてそのまま校門を出て学校を後にするのだった……。
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