夢で推しと絡んだら原作まで改変された件について
門番
夢で推しに会えたなら
夢を見た。
桜の木々に囲まれた桃色の小道に、学校指定の物とは違う灰色の制服姿。辺りに人の気配はなく、聞こえるのはどこかの運河に流れる水音と、桜の木の葉擦れのみ。
そんな不思議な状況でたった一人、俺は立ち尽くしている。
……また、この夢か。
夢は現実で得た記憶を元に構築されるなんて話を聞いたことがあるが、俺はこんな場所に来たことなんてない。しかし、誰よりもよくこの場所の事を知っているのも事実だ。だってここは、俺の大好きな漫画の世界によく似ているから。
高校一年生の冬、とある理由から失意に暮れていた俺が出会った神漫画――『ゆるかいっ!』……生徒会に所属する少女たちの日常をゆる~く描写する癒し漫画で、俺は彼女たちの何てことない平和なやり取りに辛い現実を忘れ、随分救われたものだ。ここはその冒頭に登場する桜並木にそっくりの場所だった。
もう一週間になるだろうか。眠りにつくと必ずこの桜並木の夢を見る。きっと漫画を何度も繰り返し読み漁っていた影響だろう。
誰だって一度は妄想するはずだ。好きなゲームや漫画の世界に行けたらいいなって。だから俺は満足していた。……例えここが登場人物の一切存在しない、背景だけの世界だったとしても。
ここに来たらこうして、ただ立ち尽くす。大好きな世界の空気を肌で感じながら、ゆっくり目を閉じてみる。そうするといつの間にか身体は現実のベッドの上で目を覚ます。
いつもその繰り返しだった。そう……いつもは。
「……ん?」
この日は何かがおかしかった。いつも通りに目を閉じたはずなのに、しかし俺の身体が目覚めた気配はない。
それどころか、木々を揺らす風が、舞い散る桜が肌に触れる感触が、温かな風の匂いが……何だかとてもリアルに感じられた。今までは精々雰囲気で感じていたくらいで、こんな直接的な感覚は無かったはずだ。
変に思って目を開けると、やはり俺はまだ桜並木の世界にいた。まったく奇妙な事に、普段は動かそうなどと考えもしなかった手足を動かして、おそるおそる地を蹴る。
……がつん、という固い石畳の感触。
「うわなんだこれ……」
夢の中で物に触れるというのは気味が悪い。灰色の制服についた桜の花びらをふいと摘まむ感覚も、首を絞めるネクタイの感触も現実のそれと変わらない。
しばし地面を歩く感触を確かめながら進んでいると、急に視界が左右に開けた。どうやら道の先にあった曲がり角まで出たらしい。地面ばかり見ていたから気付くのが遅れてしまったみたいだ。
――その時だった。
「……うわわっ!?」
すぐ真横からなんと人の声が聞こえて、驚いて振り向くと同時に身体に強い衝撃が走る。危うくバランスを崩し掛けた体勢を何とか立て直し、辛うじて転ぶのは阻止する。同時に声のした方向を確認。
そして――俺は思わず凍り付く。
「いっ……たぁ……」
――女の子がいた。
同じ灰色の制服を身に纏って、背の丈は俺より一回り以上も小さく小柄で華奢。肩まで伸びた栗色の髪にはまだ少し寝癖が付いている。彼女は桜を思わせる桃色の瞳に涙を浮かばせ、白く細い両手で腰の辺りをさすっていた。
「……春、シオン」
気付けばふいに少女の名を口にしていた。知っている。俺は初めて出会ったこの少女を……親の顔よりよく知っている。
見間違えるはずがない。この子は『ゆるかいっ!』の主人公『春シオン』そのものだ。夢を見ているとたまにある、これがそうだと信じて疑わない感覚が……俺の直感がそう告げている。
いたのか。この世界にも人間が。それも、主人公そのものが。
「わ、ごめんなさい! ちゃんと前見てなくてっ」
地べたから立ち上がったかと思うと、彼女は勢いよく頭を下げた。こちらの事も見えているようだ。でも、俺は口をぱくぱく、心臓をバクバクさせるばかりで動けない。
まだ混乱だらけの頭の中は、しかしどこかこの光景に既視感を覚えていた。物語の冒頭、桜並木を走る少女が曲がり角で女の子にぶつかる……間違いなく『ゆるかいっ!』で何度も読み返した冒頭のワンシーンそのもの。
相違点があるとすれば、ぶつかった相手がのちに彼女にとって最愛の親友となる登場人物の少女ではなく――俺であることだろうか。そう思うと何とも複雑な気分になる。
「あれ? その制服……」
緊張で動けない俺に対しお構いなしに、少女――シオンは興味深そうにこちらの顔を覗き込んだ。それは少し腕を動かせばぶつかってしまいそうな距離で、ふわっと甘い香りが感じられる。息を止めてしまうほど極度な緊張の中で、純真無垢な桃色の瞳とばっちり目が合った。
「やっぱりうちの制服だ! ということはあなたも新入生?」
「いや、俺は」
俺は咄嗟に返せずにいた。ファンです! とか言えばいいのか? それとも、俺現実だと二年生になるから新入生じゃないぞとマジレスすべきなのか? それとも……。
しかしシオンは最後まで話を聞かなかった。
「よかったー! わたしたち、お寝坊仲間だねっ」
彼女はにっこりと天使の様な笑みを浮かべた。初対面の相手でも物怖じせずぐいぐい来るところ、漫画の中と一緒で少し安心する。
……その時だった。どこからともなく強い風が吹いて、小道の奥へと桜が舞う。まるでこっちへ来いと誘っているかのような、吸い込まれそうなその幻想的な光景を前にして、シオンは大きな声を上げた。
「そうだった! 急がないと遅刻しちゃうよっ」
そう言って自然に俺の手を取ったかと思えば、こちらが意見する間もなく走り始めた。当然、俺の身体も一緒に動く。
ああ、確かにこれは漫画と同じ流れだ。けど、その相手が間違っているように思えるけども……!?
「あ、あのさ。俺は――」
「だいじょーぶ! 二人で走れば、きっとあの桜だって追い越せるよ!」
……物語の冒頭。主人公のシオンは学校の入学式に遅刻しそうになり急いでいたところを同じ学校の少女とぶつかる。二人は挨拶もそこそこに、手を取り合って急いで入学式に向かう――それが二人の馴れ初めだった。
けれど、本来ここにいるはずのもう一人の女の子はいない。代わりに俺みたいな男が一人、奇しくもその役割に充てられてしまっていた。
この夢はいつ覚めるんだろう。そもそも、俺はもう覚めてほしくないと思っている気さえする。……だって現実は、あまりにも辛く逃げ出したい場所だから。
……なんて、優柔不断に考えつつ。
されるがままに手を引かれながら、俺は彼女と同じ桜の道を辿り始める。
それがもう引き返せない道であることも知らずに……。
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