ぼちぼち

記述ノ束

ぼちぼち

「ぼちぼち頑張る」

 俺は毎朝ベッドから起き上がったらすぐ声に出して、由香が教えてくれた言葉を声に出す。

 時刻は八時をすぎていた。いつも六時には目を覚ますんだけど、つい二度寝してしまう。これはきっと由香のせい。由香のことを思い浮かべると安心して心地良くなってしまうから。

 自分のだらしなさを由香に押し付け終えてベッドから立ち上がる。毛布をバサっとはためかせて、ベッドに下ろす。たったそれだけの簡単で単純なベッドメイキングだけど、冬場の布団と別れる合図には充分だ。

 カーテンを開いて弱々しい朝日を部屋に招き入れる。遠慮がちな日差しじゃ室温は上がらないからエアコンで暖房をつけた。風量を最大にして室温上昇を試みる。

 俺も由香も寒いの苦手だから。ちゃんと暖かくしなきゃな。

 冬の朝ごはんは熱い蕎麦を食べることが多い。身体を内側から温めることの大切さは由香が教えてくれた。白湯がいいよって言っていたけど、俺は恥ずかしながら食いしん坊なので間をとって蕎麦を食べてる。つゆまで飲み干すと身体の芯に熱が帯びてきた。

 手早く身支度を済ませると少し肌寒さが戻ってくる。

 ぼちぼち頑張る。もう一度言葉にする。今度は心が温まったから、肌寒さも気にならなくなった。

 由香の存在ってやっぱりすごいなと思いながら玄関の扉を開けた。

 

 今日も職場で段ボールに物を詰め込んでる。通販で物を買ったら自宅に届く段ボール箱、あれに商品を詰めまくる。詰め終えたら箱をベルトコンベアーに流す。ひたすらこれを繰り返すこと、これが俺のお仕事だ。

 調理器具、洗剤、おむつ、おもちゃ、ゲームソフト、本、お菓子、ジュース……箱に詰めるたびに、買った人のことを妄想する。

 それは楽しいことでもあるんだけど、幸せそうな家庭が頭によぎった時は少し落ち込む。そんな時は雑に手荒に扱って、二十秒ぐらいで箱詰めを終える。イライラしてたまに商品をぶん投げる時もある。

 でもシナモンロールのグッズとコンドームを箱詰めしてる時は由香のことが思い浮かぶから楽しい気持ちになる。

 シナモンは由香にそっくりだから優しく手に取って、ゆっくり箱に入れてあげる。由香は優しくされたり甘やかされるのが結構好きだってこと知ってるから、お姫様みたいに丁寧に扱った。

 シナモンを箱に詰めてテープで封をし終えたら、お別れになる。その瞬間はちょっとだけ寂しくなる。

 コンドームを詰めてるときは由香とエッチしてる時のことを思い出してしまう。仕事中に何を考えてるんだって話だけど「ゴムいらない」っていつも言ってくる由香が可愛いせいだ、俺は何も悪くない。

 またエッチしたいなって気持ちとは裏腹に手早くコンドームを箱に詰める。詰め終える頃には邪念も消えて、カップルがゴムを買ったという事実に気付く。むかついたからちょっと雑にベルトコンベアーに投げ入れた。

 作業がひと段落ついたから、少し離れたとこにあるウォーターサーバーで水を飲む。

 小さな紙コップもたくさん設置してあるから遠慮なく水を飲んだ。

 喉は潤っているのにも関わらず、何杯も何杯も飲んで胃のなかを水で満たした。自分の持ち場に戻る頃には少し身体が冷えてきて、がぶ飲みしたことを後悔する。

 ぼちぼち頑張る。またその言葉を口に出す。また気持ちが暖かくなって、作業に集中できた。

 いつの間にか昼休憩の時間になった。

 いつもありがとう。心の中でつぶやいた。


 昼休みはいつも一人で昼食をとる。だだっ広い休憩所はフードコートみたいに、大きい机と大量の椅子が並んである。たくさんの人が談笑して食事を摂ってるのを眺めるのは嫌いじゃないけど、シンプルにうるさいからイヤホンをしてすみっこの席に座る。

 今日のお昼ご飯はガーリックライスに唐揚げと茹で野菜。字面だけ見ると食欲をそそられるし、由香も美味しそうだって言ってくれたけど、実際の味は可もなく不可もなくといったところだ。

 ガーリックライスは水分が残ってベチャついているし、唐揚げは焼き揚げだから食感が地味め。茹で野菜は当然味がしない。だから食事としての満足度は低い。

 俺にとって食事は娯楽じゃなくて、ストレス発散とガソリン補給でしかない。そんな人間が作る料理は、お上品な由香に食べさせられそうにない。

 

 自作したお弁当を食べ終えて、カカオを開いた。トーク画面には由香の写真。椅子に腰掛けてスタバを飲んでる姿の画像だ。ブラウンのオーバーサイズロンTにゆるめのパンツを着こなす姿は男の子っぽい印象を受けるけど、まくった袖から覗く細い腕とシンプル美少女な顔つきがそれらを中和している。そんな由香はオシャレだなって写真を見るたびに思う。

 いや。ちがうな。由香は可愛いんだなって思う。

 手入れの行き届いたツヤのある黒髪ショートボブは小顔の由香に似合っている。そんな由香がストローに口をつけてる姿はあざといし、小顔によって際立った大きな目によるカメラ目線にはドキッとさせられる。さらに唇の端についてるほくろが大人っぽい雰囲気も出していた。

 女の子らしさと大人っぽさをあわせもった由香は魅力的なんだよ。SNSにいる凡百のモデルとかインフルエンサーなんかよりずっとずっと。付き合い始めてからずいぶん経ったけど、今でもゆかをみるたびに可愛いなって思う。

 この画像の由香で何回抜いたかわからない。これからも回数が増え続けるのはわかってるけど。

 そんな由香が貼り付けてあるトーク画面に、仕事中ふと思い浮かんだ楽曲のURLを貼り付けた。由香が好きそうな曲だなと思ったから。

 アンジェラアキのthis love。俺も個人的にめちゃくちゃ好きな曲で、少し押し付けがましい気もした。由香は気に入ってくれるかな。

 ちょっとだけ期待しつつ俺は仕事に戻った。


 仕事を終えてバスに乗る。職場から駅への送迎バスはいつも満員。朝は体力が残ってるから気にならないけど、仕事終わりの疲れた身体には堪えてしまう。

 なんだか今日は疲れたな。俺はゆっくり目を閉じて、心の中でつぶやく。

 ぼちぼち頑張る。

 不愉快なバスの揺れに耐えて由香のことを考える。気持ちが落ち着いた頃には眠りについていた。

 目が覚めたと同時にバスが駅に着いた。そのまま電車に乗る。また満員だった。だからもう一度つぶやく。

 ぼちぼち頑張る。

 今度は口に出してしまっていたらしく、周りの乗客が一瞬だけ俺の方を見る。でもすぐ目線をスマホの画面に戻していった。俺は何事もなかったかのように電車の揺れに身を任せた。十分程度の乗車時間のはずなのに、とても長く感じた。

 

 寒い寒いと思いながら自宅までの道を歩く。真冬だと言うのに、外は人で賑わっている。忘年会のシーズンだから当然か。赤の他人が楽しそうにはしゃいでる声はうるさかったけど、イヤホンはしなかった。足を進めれば声は遠くなっていったから。

 

 自宅について、すぐシャワーを浴びる。これも由香の真似。由香は規則正しい生活を心がけていたから朝風呂なんてしたらきっと怒られる。

 風呂を出て自室に入るとルームフレグランスの匂いがする。暖房をつけたままだったから、暖かい風が香りを乗せて室内を駆け回ったんだな。いつもより匂いが強くなっていた。

 ――クロエの香水と同じ匂いなんだよ――

 違うよ由香。これは由香と同じ匂いなんだよ。

 由香と同じ歯磨き粉で歯を磨く。

 ベッドに倒れ込んでシナモンのぬいぐるみを握りしめる。

 カカオのトーク画面を開く。

 由香と見つめ合う。

 でも由香の声は聞こえない。

 

 大丈夫。今日みたいな日は何度も乗り越えてきたんだから。

 そう自分に言い聞かせてみる。自分の言葉じゃだめだと気づく。

「ぼちぼち頑張る」

 やっぱりこれだよな。声に出すと優しい気持ちになった。

 これは俺と由香の誓いの言葉なんだ。

 辛いことが頭をよぎる毎日を耐えるために、そんな一日一日を大切に過ごすために。

 俺も由香もきっとそう思ってこの言葉を口にしてるんだろう。

 

 でも。もういいよな。

 ゆか。聞こえてるかな?

 ぼちぼち会いにいくから待っててね。


 

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ぼちぼち 記述ノ束 @wmgo1623

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