第6話 愛情ではなく、同情

 小宴を終え、夜がやって来る。


「ここが君の部屋だ」


 用意された部屋に、ロランが燭台を持って来る。クラリスはその光を無視し、闇の中、杖で床をこすりながらさっさとベッドを見つけ、腰掛けた。


「君の荷物は明日ほどかせよう」

「はい」

「今日はもう寝るんだ」

「はい。おやすみなさい、ロラン様」


 ロランはしばし佇む。


「ロラン様?」

「その……。様、はやめよう。夫婦になったのだから」


 クラリスは微笑んだ。


「分かったわ、ロラン」

「……おやすみ」

「あら。おやすみのキスは?」


 ロランは赤くなった。


「はあ?」

「だって……夫婦になったのだから」

「……真似をするなっ」


 クラリスは子どものように唇を突き出し、目を閉じている。


 ロランは根負けした。


 その唇に軽くキスをしてやると、クラリスは嬉しそうに笑った。


 ロランは暗がりの中その笑顔を見下ろして、複雑な感情に襲われる。


 同情心が拭い切れない。


 ロランの方は、彼女を世話しているような感情から抜け出せないでいたのだった。


 部屋を出て自室へ戻る。


 燭台に火を灯す。


 光がなければ、ロランは何も見えない。けれど彼女は暗闇でも、杖のおかげである意味「見えている」のだ。


(俺の心も、いつか見透かされるだろう)


 ロランは絶望するように、ふとそんなことを思った。


(同情心で結婚した。自分と同じような孤独を味わわせたくないと)


 あの誓いもキスも、偽物であることにいつか勘づかれるに違いない。そうしたら、彼女はもっと余計に傷つくことになる。


(ふん。今更縁は切れない。死ぬまで誤魔化せればいい。彼女が俺に愛されていると思うように、死ぬまで誤魔化し続けよう)


 不思議なことに、ロランはそれを苦痛だとは思わなかった。


 自分に与えられた使命のように思った。


 今日はいわゆる初夜だった。だがロランには、クラリスにそういうことをする気が全く起こらなかった。彼女は余りにも神聖な存在で、そんなことをするのは何かが壊れる時であるとすら思うのだった。


(俺はとんでもない悪事をしでかしている)


 それを悟られぬよう、彼女を愛する演技を続けるのみだ。


 ロランは複雑なやり方と思考で、クラリスの立場を守ることに注力するのであった。




 次の日。


 使用人らと共にロランがクラリスの少ない荷物をほどいていると、マンドリンが出て来た。


「これは一体?」


 椅子に座ってじっとしていたクラリスに渡すと、彼女は微笑みそれを爪弾いた。


「これはマンドリンですね」

「楽器が出来るのか」

「はい。子供の頃、目が見えている時から習っていました」


 クラリスは器用に曲を披露する。思わぬ得意技に、ロランは目を丸くした。


「凄いな」

「ふふ。正直、私のことを侮っていたでしょう?」


 ロランはぎくりと顔をこわばらせた。


「いや……」

「あら、そう怖がらないで。私は目で楽しむことは出来ませんから、耳で楽しむのが好きなだけです」

「耳で?」


 ロランが尋ねるとクラリスは顔を赤らめ、おずおずと言い出した。


「ええ。だから私、あなたの声、いいなと思っていて」


 ロランはぽかんと口を開ける。


「声……」

「ええ、ご自身ではお気づきになりませんでしたか?とてもいい声をしていらっしゃいます。男らしくて、お腹から出ている声ですね。テノールを歌ったらきっと素敵だわ」


 そんなことを言われたのは初めてだった。


「……無理に褒めるところを探さなくてもいいぞ」

「あら、なぜそんなことを言うの?私、素直にそう思っただけなのに……」


 クラリスはマンドリンを撫でながら少ししょげる。ロランは取り繕うように慌てて話題を変えた。


「そうだな。それならその内、音楽会に連れて行ってやろう」

「まあ。音楽会?」

「街中にホールがある。貴族や商人たちが着飾り、流行りの音楽を聴きにこぞってやって来る」

「素敵。私、杖が手放せなくなってから、一度も街中に連れて行ってもらってないの」

「杖か……」


 彼女の脇にある素朴な木の杖を眺め、ロランは思いついた。


「そうだ。それ、もっと装飾性の高い杖に変えようか」

「いいんですか?でも、見えないものですから、別にいいんですよ」

「音楽会に行くのにドレスも作ろう」

「……」

「美しくなった君を色んな場所に連れて行き、みんなに見てもらおう。しばらく遠ざかっていたが、社交界にも行こう。君が幸福になった姿をみんなに見てもらうんだ」

「……あなたがそうしたいならお付き合いしますが、私は別に着飾らなくても構わないんですよ」


 ロランはクラリスが遠慮しているのだと思った。


「俺が君を飾り立てたいんだから、いいじゃないか」

「うーん。まぁ、ロランがそう言うなら……」




 ロランが去り、クラリスは使用人に早速体を計測してもらった。持って来たドレスは全てが古くて、とても外へ行くのに着られるものではなかったのだ。


「奥様。どのようなお召し物がお好きですか?」


 使用人に尋ねられたが、クラリスは見えないので何とも言えない。


「そうね……着心地のいいもの、としか。私、目が見えないから多分そういうセンスは皆無だわ」

「では、派手なものと落ち着いたものなら?」

「うーん……」


 クラリスはロランの気配がないのをいいことに、少し顔を赤らめてこう言った。


「その……ロランが好きそうなドレスって、どんなのかしら」

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