布団未満
彩葉
第1話
目上の人の話というのは、たとえそれが面白く、為になるものであったとしても、やはり少しは煩わしいものだ。
私のようなうだつの上がらない世話人は、秀吉公と相まみえるだけでも恐れ多い。そんな畏怖があったのはほんの最初だけだった。
とにかく話が長い。それも毎回似たような話をされれば、流石にこちらも疲れてくる。かといってこちらから言葉を切るのは憚られた。
今日もいかにこの演目が素晴らしいか、秀吉公は語ってくださる。
「そういや」
長い、演目よりも長い秀吉公の話が終わろうとしたその時、思い出したようにいう。
「最近勝吉が言うんだ。寝覚めが悪いと。お前さん、ちょっくらなんとかしておくれよ」
「寝覚め、ですか」
「そうだ。演者にとって体が何よりの資本だというのは君も知っていることだろう。体が成っていないと満足する能が見れないではないか」
「そうですよね」
「そうだ、よろしく頼んだよ」
それだけ残して秀吉公は行ってしまった。私はその豪奢な後姿をただ見つめることしかできない。
無茶苦茶だと思う。それが秀吉公だとも思う。そして、期待に応えられなかったら、いや、それは止そう。考えたくもない。
とにかく、今は頭を使わなければならない。素養も教養も無い私がやるべきは、知ることだ。
外山座についている和尚の一人に聞いてみる。
「よい眠りとは何ですか」
「ほう、眠りですか。あなたはどう思っているんです?」
見えているのか怪しい糸目に聞き返されて、私は窮した。そういえば僧というのはどいつもこいつも問答が好きだったと思い出す。
「わかりません」
「ほう、それは幸せだ」
学の無い私にもそれがあまりいい意味でないことは分かった。だがそれについて言及している余裕はない。
「それで、良い眠りとはなんなんですか」
「ぐっすり眠れることですよ。夜中起きることなく、陽の光を浴びて頭がすっきりしていれば、それが良い眠りです。分かるでしょ?」
いちいち厭味ったらしい。
「では、よくない眠りを良い眠りにするには、どうすればいいんでしょうか」
「ふむ。あなたはどう思います?」
やはり聞き返された私は、もう帰ってしまおうかと思う。こんな髪の無い和尚にきいて分かることなど、本当にあるのだろうかと疑念が生じる。
「わかりません」
「そりゃ、幸せだ」
だが、私は本当にものを知らない。考えられるだけの材料を、持ち合わせていない。それは自覚していた。だから震えるこぶしを治めて、和尚に聞く。
「で、なにをすればよい眠りにできるのでしょうか」
「ふむ。悪い眠りの原因は二種類ある。片方は簡単だ。眠るときの気温、湿度、畳の硬さ、枕の有無、明るさ、えとせとらえとせとら。つまりは環境だ。そいつにとって適切な状態で寝れていなければ首は寝違えるし、朝の頭痛はひどくなる」
「もう一種類は?」
「なんだと思う?」
流石に慣れた。間髪いれず、わかりませんと答える。
「気持ちだよ。気持ち。例えば君が寝る前にもらった蜜柑を食べようと思ってたとする」
「はあ」
そんな高価なもの、世話人の手には届かない。
「でも籠を見れば全部なくなっていた。一つ残らず。君は思う。せっかく食べようとしていた高揚は宙に浮き、誰が、何が、どうして蜜柑が消えたのか悶々と考える」
糸目の和尚は、話しながら語気が強くなっていった。もしかしたら実体験なのかもしれない。
「そんな気分のまま横になったとしても、次の朝を爽快な気持ちで迎えることは無い。だから、環境か、気持ちか、両方か」
「それをクリアすれば、良い眠りになるのですか」
「さあな」
いい加減な和尚だ。だが、聞きたいことは聞けたような気もする。
私はお礼を言って立ち上がった。
「達者でな~」
勝吉様の寝床整理の番を変わってもらった私は、その寝室に踏み入れる。
広く質素な十二畳に、豪奢な
明かりも、夜になれば蝋を灯しているのだろう。
和尚の言っていた環境という面において、勝吉様の部屋は極上とも言えた。
では、気持ちの問題なのだろうか。
だがそうなると、私にできることは途端に無くなる。ただの世話人が勝吉様が胸中を明かしてくれるわけが無い。
冷静かつ明瞭に、私は困ってしまった。
支度を整えながら考える。もう一度和尚のところに行くのが良いのか、それとも別の、秀吉公が喜びそうな解決法を探すのがいいのだろうか。
そうだ。別に勝吉様の寝覚めを良くすることが目的ではないのだ。目新しい、斬新かつ新鮮な提示を、秀吉公は喜ぶ。彼はそういう人間だった。
さっそく、やはり考える。なにか、誰もやっていないような、しかし簡単にできる、なにか。
私は何を思ったのか、勝吉様のために整えた褥の上に寝転がってみた。
粗悪な寝床しか知らない私には、褥だけでこうも変わるのかと驚愕した。こんな上等な寝床でも寝覚めが悪いとは。
私はほんの少しの罪悪感と、それを大きく上回る幸福感に包まれながら、思う。人は慣れてしまうのだ、と。
粗悪な寝床に慣れた私は、褥一枚で感激する。だが、常に褥を敷き、職人に作らせた搔巻に身を包むことになれた勝吉様は、それでは足りなくなったのだ。
だから何か、きっとほんの少しの変化でいいのだろう。
なにか、なにか画期的なアイデアが。
すると、廊下をトタトタと走る足音が聞こえた。私は咄嗟に上体を起こす。
軽やかな足音は、部屋の前を通り過ぎていった。勝吉様のお子だろうか。軽い足音に、勝吉様が手を引いていた殿を思い出す。
あれほど小さな体であれば、この搔巻で全身が
そう、全身が……。
私は祈る。誰もこの部屋に来ないでくれと。
衣文掛けから先ほど整えた掻巻を剥ぎ取る。そして、褥の上に転ばせた。
柔らかい!
まるで天女に優しく抱擁されているような温もりと柔さがそこにはあった。
「秀吉公!」
普通、世話人から太閤に自ら話しかけることなどあってはならない。だが、その時の私は冷めやらぬ興奮をはやく伝えてたいと急いていた。
「おう、お前か。なにかいい方法が見つかったようだな」
「はい! 掻巻を二枚使うのです。一枚は褥の上に、一枚は普段通り上にかけるんです。そうすれば天女に囲まれたような夢見心地に間違いありません!」
「なかなか考えたな。それにそう手間もかからん。勝吉や」
「お呼びでしょうか」
秀吉公はそばに仕えさせていた勝吉様を呼んで、寝室へ向かった。
「おお、これはなかなか」
褥の上に敷いた掻巻に寝転がる勝吉様は、目を見開いて言う。ひとまず、勝吉様のお気に召していただけて一安心だ。
「ふむ、こういうのもよさそうだな」
秀吉公はというと、掻巻を丸め始めた。そして勝吉様の頭の下に入れ込む。
「枕が木である必要も、別になかろう。どうだ、勝吉。よく眠れそうか」
「はい!」
私はそんな二人のやり取りを呆然と眺めていた。
ずっと、秀吉公に「頼んだよ」と言われてからずっと、私はひたすらに考え、ようやく思いついた一手だったのだ。それをいともたやすく上回った秀吉公に、私は愕然としていた。
ただの話が長い爺さんではないのだ。頭では分かっていたのだが、今の今までそれを実感する機会が無かったのだと思い知る。
秀吉公は、確かに天下人だった。
布団未満 彩葉 @irohamikan
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