第4話

 中学校という場所、時間が人生においてもかなり特殊な空間であると、東は常々思っていた。

 大人になるにつれ、人は自ずと自分と似たような趣味趣向、階層の人間と固まるようになる。本人が望まなくとも、大学進学や就職という社会のシステムが、自然とそういった階層分けを行っていく。

 しかし、中学においては地域と年齢という比較的、大きなパイによって人が集められるためにそこに階層分けはほとんど存在しない。

 もしもこれが、高校や大学だったのなら、千頭 有海と一ノ瀬 陸屋が交わることは決して無かっただろう。

 翌日、空き教室で彼と対峙した東は思った。


 彼は目の前に居る東よりも、自信の髪の毛の方が気になるのか、しきりに前髪を人差し指と親指で摘まみ、横へ何度も何度も流していた。

「別に、なんもないっすよ。ただ、電話してきたあいつと、少し話しただけで」

「どんな話をしたか、覚えてるか?」

「いや・・・・・・覚えて無いっすね。まあ、世間話って言うか」

 陸屋は気だるそうに首を傾けると、うなじをぼりぼりとかいた。

「俺、疑われてるんすか?」

 にやけた顔で陸屋は呟く。

「疑う?」

「あいつを自殺に追い込んだのが俺だとか、思われてんのかって」

 茶化したような口調で呟く陸屋に東は首を振った。

「いや、そうじゃない。ただ、なんでもいいから、彼女に何か異変があったかどうかを知ってるんじゃないかと思ったんだよ」

「・・・・・・何で俺が知ってるんすか、そんなこと」

 ふっと鼻で笑うように陸屋が吐き捨てたのを聞いて、東は大きく息を吸った。ワックスとチョークの入り混じった匂いが肺の中をいっぱいに満たす。

 壁に掛かった時計がもうすぐで、十二時を指そうとしていた。

 ひととき、東の意識は妻の検診のことに囚われた。今日は昼から早退し、妻の検診に付き合う予定だった。

 熱く重い息を吐き出し終えると、それきり教室は沈黙に包まれた。


 一ノ瀬 陸屋は何かを隠している。教員用の玄関から校舎を出た東は思った。右肩に掛けていたバックパックを背負い直し、つま先を地面に打ち付けて、スニーカーのずれを直す。

 一ノ瀬 陸屋のあの表情、あの態度。あれは確実に何かを知っている様子だった。東にはそれが確信的だった。本意を読まれまいとするためにあえて視線をずらし、髪の毛をいじる。せわしなく動く手は明らかに動揺し、焦りを感じているのが明白だった。そんな動揺を隠そうとして、あえて皮肉っぽく笑ってみせる。

 彼が千頭 有海の死について何かを知っているとみて間違いない。

 自分が想像している以上の時間と労力がかかることは目に見えている。果たして、そこまでして、彼女の死の真相を究明するべきだろうか? 今更、彼女の出していた予兆が分かったところで、何もかもが手遅れだ。そこに意味などあるのだろうか。

 正午の日差しを受け、長く伸びた校舎の影が微かに揺らいだ。

 奇妙に歪んだ影の形に、ふっと振り返った東は一目散に校舎の中へ戻っていった。


 屋上までの階段を全速力で駆け上がり、勢いよく扉を開く。

 やめろッ!と声を張り上げたかったが、渇いたのどが張り付き、一言も声を上げることが出来なかった。息が上がり、ぜぇぜぇと呼吸しながら膝に手を突く。

 東が発するよりも先に、一ノ瀬 陸屋が叫んだ。

「近づくんじゃねぇよッ!」

 彼は屋上の柵を乗り越え、数メートル下の地面に向かって身を乗り出していた。

「なにが・・・・・・なにがあったんだ・・・・・・!」

 東はぜぇぜぇと息を吐き、どうにか言葉を絞り出した。

「お前には関係ねぇ!」

「教えてくれっ・・・・・・千頭のこと、何か知ってるのか?」

 陸屋は東に背中を向けたまま、うつむく。そして、かすれるような声でぽつりと呟いた。

「・・・・・・・・・俺が、殺したんだよ。あいつのこと」

 彼に気づかれないようにゆっくりと近づいていた東は、その言葉で足を止めた。

「それは、どういう――」

「俺は生きてる資格なんかないッ! だから、今から死ぬんだよッ!」

 陸屋の頬が硬く引き締まり、口元は痙攣していた。彼は横目で自信の背後を一瞥し、東に怒鳴りつけた。

「近づくんじゃねぇッ! 一歩でも近づけば、俺はっ・・・・・・俺はっ・・・・・・・・・!」

 陸屋は息を吸い込み、真っ直ぐ前を見つめてふっと脱力した。彼の身体がゆらりと揺れ、重力のまま引っ張られていくのが、東にはスローモーションのように見えていた。

 意識の外で、身体は反応するように動いていたが、到底追いつけるスピードではなく、東にはそれがあまりにもどかしかった。

 落ちた―― 一瞬、そう思った。

 だが、陸屋の身体はまだその場にとどまっていた。彼は腰が抜けたように、片手で柵を掴み、その場にへたり込んで座っていた。

「よかった・・・・・・よかった・・・・・・」

 呪文のようにそう繰り返しながら、駆けつけた東は彼の身体を引き上げ、柵の内側に戻した。体格のいい彼の全身の筋肉は弛緩しており、東が支えてやらなければ、とても立っていられないような様子だった。

「俺・・・・・・俺・・・・・・」

 陸屋は顔をゆがめ、身体を震わせながら嗚咽していた。

 東に介抱され、落ち着きを取り戻した後、陸屋は口を開いた。

 落ち着きを取り戻した陸屋は吐き出すかのように、少しずつ話し始めた。

「・・・・・・付き合ってたんだよ・・・・・・俺たち」

 最初に声を掛けてきたのは、千頭 有海の方だったそうだ。塾の帰り道、たまたま夜遊びをしていた陸屋を見かけたのが、始まりだったという。

 有海の塾が終わる頃に待ち合わせ、陸屋が彼女の家まで送る。そんなことを続けている内に、二人の距離は近くなり、やがて付き合うようになった。

「あいつ、学校ではあんな真面目で静かな感じなのに・・・・・・話すと面白くってさ・・・・・・俺みたいな奴にもすっげぇ、優しくて・・・・・・」

 陸屋は言葉を飲み込むように、何かをぐっとこらえ、顔をしかめた。

 有海はクラス委員や生徒会役員を務めるほど、面倒見のいい子だった。深夜に徘徊する陸屋を見捨てておけなかったのだろう。そして、彼女のそんな純粋な優しさが、陸屋の心を開かせたに違いない。

 鼻をすすり、再び喋り始めた彼の声は震えてか細かった。

「だから・・・・・・分かんなかったんだよ。なんであいつが死のうと思ったのか・・・・・・」

「なにか、相談されたりとかはしなかったのか?」

 陸屋は首を振った。

「死にたい、って言い出したんだよ。ほんの少し前ぐらいから」

「理由は?」

「聞いても、答えてくれなかった・・・・・・ただ、死にたいって言われて・・・・・・俺は・・・・・・俺は・・・・・・」

 陸屋の腕が、東をぐっと掴んだ。

「何もしてやれなかったんだよ・・・・・・・!」

 東は下唇を噛んだ。

「あいつは・・・・・・俺が殺したも同然だ・・・・・・彼女だって言うのに、何も・・・・・・死んじゃだめだの一言も、掛けてやることが出来なかった・・・・・・だから、あいつは、俺のせいで――」

「違う・・・・・・ 君のせいじゃない・・・・・・」

 東は遮るように言った。

「・・・・・・・でも、じゃあ、どうしたらよかったんだよ・・・・・・どうしたらあいつは死なずに済んだんだよ・・・・・・・・・・・・!」

 何も終わっていない。まだ、何も。陸屋の爪が、東の腕に強く、深く食い込んでくる。

「先生・・・・・・どうしてあいつは死んだんですか! どうして・・・・・・どうしてッ!」

「一ノ瀬、その理由は俺が必ず見付ける。だから、お前が心を病むことはない。今はつらいだろう。とても受け入れる気になんてならないだろう。だが、変な気だけは起こさないでくれ・・・・・・ 俺は、お前まで失いたくはない」

 陸屋は何も言わず目をそらし、両目を手で覆って再びすすり泣く声を上げ始めた。

 校舎内から、昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴り響く。

 同時に、東のスマホが震えた。画面に表示されていたのは、妻の名前だった。

 検診の時間はすでに過ぎていた。




つづく

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