思想の腐敗に抗って
オリエント急行
企業理念という支配規律
会社説明会などの際に企業は必ずと言ってもいいほど,自社の企業理念を語る。また名前を少し変えて”mission”や”vision”,”core values”を使うことがあれば,同時に使われることもある。例を挙げると
三井物産のMissionは「世界中の未来をつくる 大切な地球と人びとの、豊かで夢あふれる明日を実現します。」
アビームコンサルティングの”Mission”は「私たちは変革を通じて、クライアントに新たな成功をもたらし、継続的な企業価値向上に貢献します。」
大学生で今まさに就職活動をしている26年度卒の人もこれから徐々にするであろう27年度卒の人も企業説明会を受けるたびに,人事の人から「わが社の理念は~」というフレーズを飽きるまで聞くことになるだろう。
だが筆者はこの企業理念に対して大きな疑問を感じている。これらの企業理念はあたかもそれがその企業の存在意義(レゾンデートル)のような語り口で言われるが,筆者の思うところの企業の存在価値はただ一つであり,それは
”法律の下で正しく利益を出して,それを投資家,融資先,顧客,政府等あらゆるステークホルダーに分配する”
である。
これが筆者の思う企業の存在価値であり,それはこの社会の構造的必然から求められる帰結であろう。
ではなぜ企業理念があるのか?そもそも企業理念とは何なのか?先に後者の方から語られたい。
筆者の思うところでは,それは神話である。筆者があげた企業の存在価値には続きがあり,それは
”法律の下で正しく利益を出して,それを投資家,融資先,顧客,政府等あらゆるステークホルダーに分配する。すべてはここにあり,これを超えた先にある企業理念やMissionは内部を統制するための神話に過ぎない。”
である。
つまり企業理念とは,企業が従業員を支配する巧妙なマネジメントであり,支配の技法である。
では次になぜ企業がこの”神話”を語るのか?そのような虚構を繰り返し繰り返し語り続けるのか?
それは企業と言う制度自体が,理念なしには従業員を動かせないからだ。
構造体たる企業は一種の利益追求マシーンであり,その本質的な目的はすでに述べたように”合法的に利益を出し,それを分配する”ことだ。
だが,それだけでは人は動かない。
人間は良くも悪くも”意味”を求めてしまう生き物だ。それがないと,あるいは与えられないと感じると,労働を自己と結びつけることが出来ない。
だから企業は「なぜ我々はこの事業を行うのか」「我々は社会にどんな貢献をするのか」というストーリー=物語=神話を語らなければならない。
そうしてようやく従業員は労働と自身の間に正当性を担保出来る。そして彼ら彼女らはたとえそれが構造的には”利潤を最大化するための歯車”から”使命を果たす仕事”へ変換できる。
つまり理念とは構造的現実を感情的現実として捉え直す装置であり,その理念を自身に対する規律として,あたかもそれが当たり前であるかのように内面化させることで,上長がわざわざ命令するまでもなく自律的かつ従順,模範的に動いてくれるのだ。
こうして支配の摩擦を限りなくゼロに近づける演出として機能するものが,企業理念なのだ。
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