羽は雪のように
仁科星
雪の一
病めるときも健やかなるときも愛し
「誓います」
ステンドグラスの光が新郎新婦に降りそそぐ。牧師が胸に十字を切る。アーメン。
しかしこれは何への約束なのだろう。神様なんて信じていないのに。
──いつくしみ深き友なるイエスは──
参列者たちが讃美歌を口ずさむ。その中でわたしは胸中いたたまれずにいた。こんなものは茶番だ。信じてもいない何かとの約束にどれほどの意味があるというのか。洗礼を受けたわけでもなければ
結婚式が済み、披露宴が終わり、新郎新婦の友人だけが残った二次会の席。わたしは手洗いで両の手を流水にさらす。指の股から爪の先まで入念にすすぐ。邪念ごと水にながれるように、と。まともな大人は友達の祝いの席に水を指すようなことはしない。野暮なことを考えるのは止めるべきだ。
手洗いから戻る途中、男性に「野中さん」と呼び止められた。スラリとしたスーツ姿。参列者の一人か。わたしは曖昧にうなずいた。彫りの深い顔立ちには見覚えがあるけれど、うまく思い出せない。
「
「ああ楢崎くん、久しぶり。中学以来かな」
「話すのは小四以来だね。野中さんも呼ばれてたんだ」
そのとき、なぜかひらひらと空を舞う羽のイメージが脳裏に湧いた。アスファルトに落ちる白い羽。彼の記憶とともに想起する不可解な感覚。これはいったい何だろう。
「野中さんは笹井と仲良かったっけ」
続けざまの問いかけが現れかかった心象を押し流す。笹井とは新郎の姓だ。
「えっと、わたしは新婦の方の友達枠だよ、大学のころの。まさか新郎が小中同じとは知らなかった」
「まったく世間は狭いな」と彼はつぶやいた。ほんとうにその通りだ。
そうしてわたしは楢崎くんに案内されて小中の同窓の島に入った。懐かしい顔がちらほら。
渡辺くんはそれほど話したことはなかったけれど、少なくとも当時とあまり変わらない印象。今はITの仕事をしているらしい。ネットワークインフラとか言っていたがよくわからなかった。田中さんは出版社の人事担当とのこと。西村さんは結婚して苗字が高橋になっていた。今は二歳の子供もいるそうだ。
空気も打ち解けてきて、昔話に花が咲いた。
「小四のときの担任、名前なんだったっけ」
「佐藤先生?」
「斉藤だよ、たしか」
「そうだったかな」
「そうだったかも」
「あだ名はトウフ先生」
「そうだっけ」
「ないない」
「そういえば笹井くんってご両親は北海道出身だったよね」
「そんなこと言ってたかも」
「ソ連が解体して北海道が併合されたときにこっちに引っ越してきたんだって」
「そうなの?」
「聞いたことあるような、ないような」
「あったかなあ」
「ていうか北海道ってソ連だったんだっけ」
「いやいやそうでしょ」
「常識」
「そうかなあ」
小学生時代の担任の名前も、少し前の歴史も、みな曖昧な様子。わたしは釈然としなかった。そんなものだろうか。
その後、余興で渡辺くんが披露宴でもやっていたダンスを見せてくれた。彼は席に着くと次は楢崎も何かやれと横腹をつつく。やれやれと言って楢崎くんはトランプを出した。まんざらじゃなさそうだ。
「じゃあ
ひとつ咳払いをして、
「仕掛けはないが種はあります」
披露宴のときも言っていた、楢崎くんの手品の前の前口上だ。
「おいおい始める前からネタばらしか」観衆からのツッコミにゆるい笑いがおきた。
彼はなめらかな手つきでトランプの山を割り、下の山の上一枚をひっくり返して観衆に確かめさせる。ハートの8。
「このカードをよく覚えていてください」
ふたたび裏返しそれをガラステーブルに置く。その
「よく見てください」視線が集まる。
そして手をよけると、カードがガラス面の下からぽとりと落下した。
「えっ?」
みんなが思わず驚きの声を漏らした。拾って裏返す。ハートの8。なんとカードがガラスを貫通したのだ。少なくともそのようにしか見えなかった。
「仕掛けはないが種はある」
澄ました声で彼が言うと、たちまち拍手が湧いた。
楢崎くんがこの言葉を言うのは三度目だ。はじめは余興を盛り上げるための話術だと思っていた。だがたぶんそれだけではなさそうだ。手品が成功したタイミングで言う意味がない。魔術なんて存在しない、
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