【KAC20255】ラーメン日和【参加作品】

優美香

ラーメン喰いてえ

「お、重い……っ」

 アラーム音と同時に、どすんという音がした。

 布団の上に家の爺さんが乗っていた。正確にいうと、こちら腹部のあたりに跨っている。

「なにしてんだよ!」

 ジジイはニヤニヤしながら、俺のほうへとチラシをひらひら。その手つきといったら、三歳児が雨ごいの踊りでもしているみたいだ。

「なにって? 単なる『ラーメン大好き』ダンスですけど?」

「ダンス、じゃねえ!」

「愛しい孫よ。近所にラーメン屋ができた、食べに行こう。昨日は夜勤だったから、今日は休みだろ? ラーメン食べよう、おまえさんの奢りで」

「図々しいな」

 全力でジジイを撥ね退ける。身長も低くて体重もない爺さんは、ころんと脇に転がった。

「あいたたた、孫の分際で酷いことをする」

 年寄りが入れ歯を装着する前の唇を、にっぱり開けて笑っている。

「それはこっちの台詞だろうがよ」

 起き上がって、ついでにジジイも起こしてやる。わざとらしく、腰のあたりをさすりやがって。

「被害届は出さんといてやるわ、ほほほ」

「うるせー」

「ねえねえ、行こうよー」

 上目遣いに媚びるような顔をされるのなら、若くてきれいな女がいいんだが。

 しかし現実には七十代後半の爺さんが、笑いかけてくれているわけで。ぜんぜん、まったくうれしくない。

「開店したばかりのラーメン屋なんて混むに決まってんだろ。行きたくねー」

 こちらがいうと、ジジイはちょっぴり恨めしそうな顔をした。

「そういうなよー。だって、ここらへん『天下無双』は一番近くても電車で二駅も離れているじゃないの。それが家から徒歩十分圏内に出来たって、爺ちゃんにとっては大ニュースだ。一回でいいから連れて行ってくれよぅー」

 ジジイがいうのは京都発祥が売り言葉のラーメン屋のことだ。美味いと聴いたことがあるが、俺自身は喰ったことがなかった。

 爺さんが言う通り、電車で二駅も離れている。通勤定期が使える範囲だったら、ちょくちょく行っていたかもしれない。が、あいにくと通勤先とは反対方向に立地している『天下無双』。

 その店舗が家の近所に出来たという。

 相手からチラシを取り上げ、しげしげと見つめた。

 そのあいだ、爺さんから何度も聞かされた蘊蓄らしき独り言がはじまる。

「京都というと和食はサッパリ和食って言うくらいなんだから和風なんだけど、ラーメンは油っ気たっぷりなんだよねえー。そのギャップがたまらんねー」

「俺自身は『ずんどう屋』が好きだね」

「姫路のラーメン屋だねえ、こってり。昔は、よく喰ったよ。婆さんが生きてるときに、カウンターに並んでさぁ。美味かったなー、今はとてもじゃないけどムリだけどさー」

「ばあちゃんの寿命を縮めた原因とかじゃないのか?」

「まさか」

 ジジイは無垢な笑みを浮かべる。

「アレもラーメンが好きだったんだよ、俺らが小さいころは『支那そば』って看板が掛かってたね。濃い醤油味の、ほっそい麺で」

「ふーん」

 祖母は俺が中学二年のときに亡くなっている。あんまり行き来がなかったので、婆ちゃんのことはよく知らない。ひとり暮らしになった祖父を両親が呼び寄せて、一緒に住んでいるのだ。

「じいちゃん、俺さ。明日も休みなんだ。どうせなら、ゆっくり奈良県まで行かね? 天理に美味いの、あるじゃん」

「奈良?」

 ジジイは目をぱちくりさせた。「ふたりぶんの交通費だけで何万円もかかるよ……近所で、いいよ」

「なんだ、弱気だなあ」

 笑ってしまうと、相手はきまり悪そうにうつむいた。

「そりゃあ、彩華さいかラーメンは食べたいけどさ。婆ちゃんと結婚したてのころ、ラーメン旅行で食べに行ったし」

「仕方ないなあ」

 ぶつくさいう年寄りを置いて、身支度を済ませる。財布の中身をたしかめてみる。まあ、二人分の半チャン定食分くらいは……なんとかなりそう(笑)。

 財布から顔を上げると、爺さんが無言でピカピカの笑顔を向けていた。入れ歯が、きちんとハマっている。

 俺は思っていた。たしかに、思っていた。

 あと何年、こんなふうに。くだらない、当たり前の日があるのだろう。

「爺ちゃんが亡くなったら、命日にはラーメンを食べることにするよ。神戸の第一旭まで」

「わざわざ神戸まで? 遠いなぁー」

「ラーメンは、あくまでも『ついで』に決まってるだろ! USJに行ってみたいんだよ」

 憎まれ口を叩きながらも、爺さんの足元を気遣っていた。

 そんな軽口ジジイが亡くなって、もうすぐ一周忌がやってくる。

 俺は今、パソコンモニタを見つめながら「ラーメン旅行」を企てている。さて一体、何食を制覇できるだろう。

 










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