魔法で口封じされた目撃者のわたしから、捜査担当の侯爵騎士様がなぜか片時も離れようとしません
のま
Ⅰ
「アリッサ! 怪我はないか? 何があった?」
わたし、アリッサ・ハーネケンはユリウス・カーネリウム様にぎゅっと抱きしめられて、命が助かったことを実感した。なぜ彼が助けに来てくれたのかはわからないけれど、とにかく御礼と体には傷一つないことを伝えなければと思い、口を開く。
「……」
恐ろしい思いをしたばかりだから全身震えている。だからなのか、声が出ない。
「アリッサ?」
少し体を離してユリウス様がわたしを見た。彼の美麗な顔が間近にある。急に動揺したけど、心配そうに揺れる青い瞳を見て気をとりなおす。大事なことを伝えなきゃ。
「……」
えっ? 声が。
どうして……しゃべれないの?
『犯人は二人組でした』
あらためて言葉にしようとすると、今度は喉に鋭い痛みが走り、思わず喉を押さえた。
「どうした? アリッサ⁈ もしかして喉に怪我を?」
喉を切られたわけじゃない。一瞬の痛みで、今はもう感じなかった。
けれど
どうしても声が出ない……というか出せなかった。これはいったい?
そういえば
あの男が去り際にわたしの喉をつかんで、こう言った気がする。
『おまえは今から一切口をきけなくなる。このことを誰かに伝えることは決してできない』と。
一時間ほど前。
わたしは王宮主催のお茶会という名の『新婚約者カミーラ・ディグビー嬢を褒め称える会』に参加していた。
王妃陛下のお取り計らいで借りた庭園の一角。大切に育てられた薔薇が華やかな芳香を放っていた。五月の午後の陽光は少し強めだったけれど、そこも抜かりなく太陽光を跳ね返すとされる白い天幕の下に席を用意してある。
「ご招待いただけて光栄ですぅ、カミーラ様。今日も御髪からお足下まで完璧ですのね!」
「本当、見習いたいわぁ。白金色の髪も艶やかで、とってもいい匂いがして。どんな香油を使ってらっしゃるんですの?」
「そんな……大したものじゃありませんのよ。宮廷御用達のミカエル・ラブローシャが調合したオリジナルなんですけど」
「まぁあ! それでは、わたくしたちにはとうてい手が届きませんわね。羨ましいですわぁ」
「ドレスもそちらコウエン・アッシャーのデザインでしょう? 先日の新作発表会で見ましたもの。もう入手されましたのね。さすがですわ」
「今、流行の最先端て噂されてますものね。買いたくても三年は待たされると聞きましたわ。しかも完璧に着こなしてらして」
「そうかしら? 流行っているなんて全く知らなかったの。お父様がわたくしに似合うだろうってプレゼントしてくださったものだから」
カミーラ嬢の高い鼻がさらに上向いて天に届くのではないかと思うくらい、いい気持ちになっているのは伝わってきた。
カミーラ嬢はわたしより一つ年上の十九歳。学園時代は高等部からしか知らないけれど、当時からその美貌は学内の噂に疎いわたしでも聞いていた。
白金のゆるふわ髪にクリーム色の艶肌、わたしにはキツい印象だけど顔立ちも整っている。そのうえ、父親は内政宰相のタウロン・ディグビーだ。つまり国王陛下の左腕と言ってもいい人。
もっとも彼女は実の娘ではなく、数年前に宰相が再婚した女性の連れ子らしいけど。そして彼女の着飾った身なりを見れば言葉通り可愛がられているのもわかる。
ただ、それでも、わたしはカミーラ嬢をたとえ上っ面の言葉でも、褒める気にはなれなかった。
「この菓子と茶葉も素晴らしく美味しいですわ」
「もしかしてホドワ茶房店の御茶菓子ではなくて? まだ宮廷御用達ではなかった気がしますけど?」
「でも王都では大人気ですって。たしかに甘すぎず、柔らかな口当たりは癖になりそう……」
「さすがカミーラ様、流行をとらえるのがお上手!」
「まぁ、そんな、素朴な見た目で心配でしたけど、気に入っていただけたなら嬉しいですわ」
「……あら、でもたしか、今回の幹事はアリッサ嬢とお聞きしていたような?」
「しっ、黙ってらして、デボラ嬢」
「あ、あら? ご、ごめんなさい。わたくしったら」
令嬢たちの視線が空気と化していたわたしに集中する。ふいに沈黙が下り、気まずい空気が流れた。
でもデボラ嬢の言ったことは当たっている。
だってこれは本当はわたしの親友で前婚約者だったマリアンヌ(マリー)・サマセットのために用意していたお茶会なのだから。
幼い頃から決まっていた結婚相手アレクシス王子との婚約式が間近に迫った、ひと月ほど前。
マリーを襲った突然の不幸。彼女は王子を想い、自ら身を引いた。
つまり婚約が解消されたので、二年前から次の候補として名があがっていたカミーラ嬢が急遽正式な王子の婚約者に決まったのだ。
マリーのためのお茶会だったし、わたしが幹事だし、当然中止になるものと思っていたら、どこから聞きつけたのかカミーラ嬢から予定通り催したいと連絡があって、慌てた。
内心ものすごく不本意だけど、国王の主治医である父と宰相であるカミーラ嬢の父とでは立場は当然宰相の方が上。わたしに逆らえるはずもなかった。
だから私情は消して、参加する令嬢がたに楽しんでもらえるよう準備したのだ。
「そ、それにしても、マリアンヌ嬢は大丈夫なのかしら?」
デボラ嬢は失言を取り戻すべく場に話を振ったのだが、マリーの名前を出した時点でさらに失敗の上塗りをしているのに気づかないのだろうか。人のことを言えないけど、デボラ嬢は少し天然なところがある。
わたしも宮廷政治には全く興味はないのだけれど、それでも親の立場を鑑みて情勢が一変したのを気取った令嬢がたが、手のひら返しでカミーラ嬢に媚び始めたのは理解出来た。
「……ま、あ、マリアンヌ様はああなってかえって良かったのではないかしら」
「良かった、とは?」
聞き捨てならなくて、ミュリエル嬢に噛みつくように問い返してしまった。
「あ、ち、違いますわ。たしかにお辛いこととは思いますけど。マリアンヌ様も次期王妃と噂される重圧にかなり苦しんでらっしゃったから」
額に浮かんだ冷や汗(?)をハンカチで押さえながらミュリエル嬢は答えた。
それもまた、間違ってはない。マリーも迫る婚約に少しナーバスになっていたとは思う。
それでもマリーは王子と結婚したいと強く覚悟を決めていた。
「でしたら、わたくし、マリー様の重圧を取り除くことが出来たのかしら」
「そ、そうかもしれませんわね」
「でも、わたくしだったら何があろうと王子のお側を離れませんわ。気落ちしてらっしゃる王子のお力になりたくて、連日こちらに足を運んでますのよ」
「まぁー、カミーラ様、健気でらっしゃいますのね!」
マリーが、どんな気持ちで、王子を手放したと思ってるの!
少しも悪気のない……いやむしろマリーが悪いみたいなカミーラ嬢の言い方に我慢ならなくて、気づいたら席を立っていた。
「アリッサ嬢?」
「……わたくし、御化粧室に。みなさま、どうぞそのまま楽しんでらして」
わたしが席を外すと、少し離れた辺りから張りつめていた空気が解けて談笑が漏れ聞こえてきた。
うんざりだ。
わたしがいない方が、きっとみんなも気楽だろう。
言葉通り手洗いなど行くはずもなく、わたしは王宮の下にある古い地下道へ足を運んだ。
あー、涼しい。
ここは昔、本殿と召使の住居塔を結ぶ通路として使われていたらしいけど、今は地上の通路を使っているので、必要なくなった。ただ王宮地下だけあってやはりとても広く、じつはわたしも全貌は把握していない。噂では罪人を閉じ込めてた地下牢もあるとか。
そんな怖い噂があるからか、わたしみたいな令嬢はもちろんのこと、召使たちも存在は知っていても使うことはないみたい。
お父様へのお使いついでに庭園をぶらついていて、去年偶然見つけた入り口。じめっと暗い入口を下っていくのは少し勇気がいったけど、中に入ってしまえば地上からの光が差し込む採光部がちゃんと設けられていて、意外と先まで見通すことが出来る。
とはいえ、多くの柱以外は何もない、本当にただの通路だ。
入口は他にもありそうだけど、出口もおそらく何ヶ所かある。以前、王宮正門のすぐ側に出てしまい、衛兵に見つかりそうになって焦ったこともあったっけ。
今日はどこから出ようかな。というか、もうこのまま自宅へ帰ろうかな。
後片付けもカミーラ嬢の召使がたくさんいたから大丈夫でしょう。
……なんて、そういうわけにもいかないか。うちのメイドたちも何人か来てくれてたし。と入ってきた入口へ踵を返しかけた、その時
「こ、こんなところへ連れてきて、どうするつもりだ?」
そちらの方から男性の声がして、思わず手近の柱の陰に身を潜める。
「貴殿はあまり聞き分けがよろしくないようですな」
落ち着いた別の男性の声も聞こえてきた。
「そんなこと言っていいのか。**に会わせろ。俺は**としか話さないぞ!」
なんだか不穏な会話だ。彼が言ってる人の名前はよく聞き取れなかった。
気になって陰から少し顔を出し様子を見てみる。
「……いくらなら満足するのですか?」
こちら側から見えるのは三人の男性の姿。一人は柱に背をつけて立つ貴族風の男性。ただ、見た感じではそんなに上等な服ではなさそう。子爵か男爵辺りの子息かな。
その男性と向かい合う形で、わたしの方に背中を向けている人は頭から足元まで隠れるマントのようなものを羽織っていて、声が聞こえなければ男性かどうかもわからなかった。でも紫色のマントは遠目から見てもかなり高級そうだ。きっと金持ちの貴族に違いない。
驚いたのは、そのマントの男性の隣にも人がいたこと。さっきから一言も口をきかない。見た目はずっと若くて、わたしとそんなに変わらない歳に見えた。召使のような簡素な服装。おそらくこのマントの男性の召使だろう。
かなり痩せてるけど黒髪にグリーンの瞳、すらりとした背丈といい、身分はともかく女性にモテそうな外見ではある。
なのに、目が怖かった。
彼は昏い目でじっと貴族の子息を見据えている。なぜかはわからないけれど……あれは「殺
言葉にしようとしてゾッとした。
「か、金でどうにか出来ると思っていたら大間違いだぞ」
「困りましたね。一番わかりやすくていいと思ったのですが」
「俺はな、**のことは隅から隅まで知ってるぜ。いいのかよ?大した醜聞だよな。あの」
何かを言いかけた子息は急に口を閉じた。
今までも精一杯虚勢を張ってる感じだったけど、今度は本当に驚いている。
わたしも驚いた。
召使の男が、子息にナイフを向けていたからだ。
「ウウッ!」
えっ?
えっ?
えええっ⁈
男の背中が陰になって、こちらからはよく見えなかったけど。
何が起きたかは、すぐにわかった。
くずおれて、床に倒れた子息の胸の辺りから、どくどくと赤い血が噴き出している。
さ、刺した! 召使が!
「……こちらが下手に出ているうちに、従っていればよかったものを」
マントの男が呆れたように吐き捨てた言葉もかすかに耳に入ってきただけ。
なぜなら、逃げたから。
「誰だ⁉︎ お、追え!」
早く地上に出て、人を呼べば、もしかしてあの人も助かるかもしれない。
いや、それもそうだけど、わたしもだいぶ危ない。
そんなに敏捷ではない自覚はあるけど、さらに焦っているから足がもつれそうになる。
ああ、ドレスなんて着てるから!
誰か!
「助けて!」
声を絞り出したけど、震えていて、とても外まで届くとは思えなかった。
そしてあっという間に髪をつかまれ、床に引き倒された。
召使の黒髪の男は、わたしの上に馬乗りになっていた。
手に持っている血まみれのナイフを見て、体が震える。
わたし、こんなところで殺されるの?
いや!
まだ結婚どころか、恋もしてないのに!
「待て!」
あとから近づいてきたマントの男が言った。
もしかして、助けてくれるの?
男の顔を見ようとしたわたしの喉元に黒髪の男がナイフを突きつける。その右手の甲には古い傷痕があった。
「面倒なことになったぞ、この娘は」
マントの男が心底うんざりした声で言い、血の気が引いた。
そうよ、助けてくれるわけがないんだわ。
わたしは見てしまったのだ、一部始終(事情はさっぱりだけど)。
ああ、お父様、お母様、兄様姉様。
先立つ不幸をお許し下さい。
目を閉じて、ナイフの刃先が喉を切り裂くのを覚悟した瞬間だった。
「おまえたち、何をしている!」
誰かの声が入口の方から聞こえてきた。
石畳を蹴るように走ってくる足音。
助かった!
思わず開けようとした目を誰かの手のひらが覆った。
「いやっ!」
抵抗しようとしたとき、わたしの喉を強くつかみながら(おそらく)マントの男の声が
「おまえは今から一切口をきけなくなる。このことを誰かに伝えることは決してできない」
と告げた。と同時に喉に燃えるような痛みが走って。
気づいたときには、なぜかユリウス様に抱きしめられていたのだった。
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