ON THE POOL

壬生諦

ON THE POOL

 ――急げ、急げ! グラウンドで見た奴がいるって!

 授業中というのに、廊下から男子の叫び声が聞こえると、クラスメイト全員、何なら先生までもが教室を飛び出していった。

「……いや、おかしいだろ。たかが丸い蛇なんかに……」

 沈黙となった教室で、隣のりゅうざきさんは呆れ果てていた。

 教室には僕と竜崎さんしかいない。まともなのは僕らだけということだ。

「でも、幻の生物みたいだし」

 僕も昨日、この街でツチノコが目撃された噂を耳にしていたし、ツチノコが、存在が不確かな伝説の生物というのも知っているから、それを捕まえれば一躍有名人に……あわよくば自分こそ伝説になれるのでは……と、内心踊る思いがある。みんなの気持ちはよく分かる。

 これほどの沈黙は感じたことがない。ここに限らず、多分もう、校舎の中には僕と竜崎さんの他に誰もいない。ツチノコがそれほど人の心を支配するものなのだと、今になって分かった。

 チラッと窺うと、竜崎さんがしかめっ面で僕を見ていた。

「……どうせもう授業にならないしさ」

「……はぁ」

 竜崎さんも溜め息を吐いて腰を上げた。


「嘘だろ……マジで狂ってる……」

 竜崎さんのドン引きも仕方ない。

 正面玄関を出ると、外は人で溢れ返っていた。学校関係者だけじゃない、街の老若男女、とにかく大勢の人で賑わっていたのだ。

 躍起になって探しているのは主にうちの生徒と、どこからともなく沸いてきた小学生の大群で、ただ談笑しているだけのおば様なども多い。何というか、場の雰囲気を楽しむだけのお祭り状態となっていた。

 ――おい、てん! 竜崎も、こっち来いよ!

 これだけ人の目がある中で名前を叫ばれてしまえばスカしていられず、竜崎さんと顔を見合わせてから声の方へ向かった。


 クラスの友達はわざわざ校舎裏にあるプールまで僕らを案内してくれた。

「グラウンドじゃないの?」

「プールの方に逃げていったって。すげぇ速さだったらしい」

 僕と竜崎さんを招いて満足したのか、彼はすぐツチノコ探しに戻った。

 何となくプールサイドに移り、フェンスに寄り掛かって濁った水面を眺めていると、あちこちから色々な話が聞こえてきた。

 ――これだけ探しても見つからないなら、もういないんじゃないか?

 ――ツチノコってすばしっこいんだろ? もうここにはいないんじゃね?

 ――プールの中とか?

 ――えっ⁉ 嫌よ、こんな汚い場所探すの!

 ――ツチノコって水平気なの?

 これは見当違いかと、碌に探してもいない僕まで諦めを感じた。

 すると、一緒に水面を眺めていたはずの竜崎さんが眉間に皺を寄せ、僕を睨んできた。

「お前なぁ……」

「え?」

「馬鹿じゃねぇの! 時間の無駄だろうが、こんなの!」

 竜崎さんの怒声にプールまでもが静まり返る。竜崎さんは素直で優しいけど、荒めの口調や喧嘩腰の態度が目立つため、ほとんどの人から恐れられている。成績優秀だから先生方からは一目置かれているけど、気さくに付き合える人は少ない。

 そんな竜崎さんの怒りが、ツチノコ探しに躍起になっている自分たちを恥ずかしくするようで、何事かとこちらを見ていた人々も一様に視線を下ろした。

「くだらねぇ、教室戻る」

「ごめん……」

「お前はまともな方だと思ってたんだけどな」

「竜崎さんは興味ないの?」

「最初からねぇよ」

 踵を返す竜崎さん。入り口に固まる女子たちが慌てて道を空けた。

「じゃあ、どうして一緒に来てくれたの?」

 そう問うた時の竜崎さんが僕に振り返る速度は、きっとツチノコよりも速いはず。

 それこそ、在り得ざるものを見るように目を丸くする竜崎さん。彼女の頬が段々と赤みを帯びていって……。

「どうしてって……どうしてって……」

 男勝り、なんてとんでもない。突然モジモジし出した竜崎さんに僕は何もできなかった。

 普段、竜崎さんを恐れている様子の女子たちも一変して、「天田は鈍いなぁ」とか「乙女心が分かってないよ」とニヤ付く。いよいよワケが分からなくなった。

 ただし、こんな目の前の妙も、何もかも、気にしている場合ではない展開が訪れ、そのおかげで事なきを得る。

 ポトッ……。水面に小さな波紋が立った。

 そこに、普通より丸い気がする蛇の頭が出ていた。

「「ツチノコおおおおおおっ‼」」

 僕と竜崎さんは同時にプールへ飛び込んだ。


「プハッ! ……竜崎さん!」

「駄目だ、外した!」

 捕まえに掛かるも空振り、プールサイド全体が溜め息に包まれた。

 それでも、まだプールの中に潜んでいると分かり、小学生の男の子が次々に飛び込むと、みんなが期待に胸を膨らませた。

「これだけ濁ってたら潜っても見つけられない!」

「ちゃんと掃除しとけよ、クソ!」

 びしょ濡れの髪をかき上げる竜崎さん。いつにも増して口が悪い。

 僕も怒りたかった。もしプールが綺麗だったら……と思わずにはいられない。

 直後、一つのアイデアが思い浮かんだ。

「そうだ! プールの水を抜けば――」

「馬鹿! それやったらツチノコも下水行きだ!」

「あっ、そうか……」

「それに、チビ共で溢れ返ってる以上……ッ⁉」

 流石、僕より先を考えられる竜崎さん。

 そんな、本当に狩りの最中みたく険しい表情でいた竜崎さんが、飛び込み前みたく、またしても頬を赤らめていた。

「竜崎さん?」

「やっ……うそ……」

 慌ただしく両手を水中でバタバタさせ、濁った飛沫を撒き上げる竜崎さん。

「やめろ! この変態!」

 羞恥の赤面も、それよりもっと大変な惨状を思い、青ざめているようにも見えた。

「ひいいいぃぃっ⁉」

 竜崎さんが弱い悲鳴を上げるなんて信じられず、僕は赤でも青でもなく真っ白だった。

「この! どこ入って……やんっ!」

「ちょっ⁉」

 流石に、何をすべきか分からずも竜崎さんに近寄った。

 だけど、手を伸ばした瞬間、竜崎さんのワイシャツが吸い込まれるように水面の中へ消えていった。

「きゃああああっ!」

 よく見ると、よく見てしまうと、ブラまで失われていて、竜崎さんは上裸になっていた。

「殺す! 串刺しにして焼く! 絶対許さない、ツチノコ野郎ぉ……」

「……これを!」

 僕はセーターを着ていたため、脱いで竜崎さんに被せた。

 鼻をすする竜崎さんが目と鼻の先にいて、急激に顔が熱くなった。

 竜崎さんは僕と視線を交わすと、もう爆発するんじゃないか、というくらい真っ赤な顔で固まり、そこから潜る勢いで俯いた。

 一先ず裸を回避できたはずの竜崎さんが未だに動けずにいる様子から、僕ですら瞬時に最悪を把握できた。

「……下も?」

「……」

 竜崎さんは答えず。

 それでも、ポタポタと雫を水面に落とす様を見せられれば、僕はもう戸惑うわけにいかなくなった。

 僕は濁ってよく見えないうえ、水中ということで苦闘しながらもズボンを脱いだ。

「天田……」

「ごめん、他に思い付かない!」

「でも、天田が……」

「まあ、女子がなるよりはマシじゃない?」

 ズボンを手に竜崎さんの背後に回った。

 横目に、潤んだ瞳で僕を見つめる竜崎に逢い、こんな状況というのにドキッとしてしまった。

 そんな、かけがえのない瞬間も、教室で二人きりの方が美味しかったのでは、と今更気付こうとも、結局は奴によってメチャクチャにされるのだった。

 ポトッ……。

 再び、すぐそばで波紋が立った。ツチノコは顔を覗かせなかったけど、今どこに潜んでいるのかは身を以て知る羽目になった。

「痛って!」

 奴に急所を噛み付かれたのだ。

「天田⁉」

 あてずっぽうで水中に手を突っ込むも捕まえられなかった。

 代わりに見覚えのある布切れを拾った。

 見覚えがなくともそれが何か分かった竜崎さんは、またしても可愛い悲鳴を上げた。

 濁って視界が悪いプールへ迷わず潜水できる小学生の男の子がツチノコを豪快に引っ張り、捕獲してみせた。それで悲鳴を上げることになったのは僕だった。

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ON THE POOL 壬生諦 @mibu_akira

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