チネレッタ家の下から数えて2番めのオオカミ

ミコト楚良

1  捨て子

 草の匂いがした。

 気がつくと大きな木の根元に、私は仰向けに転がっていた。


 さっき産まれた。

 母親らしい女は、私を産み落としてすぐに立ち上がって去って行った。

 丈夫な女だ。ほぼ排せつと変わらないじゃないか。


 とたんに激しいいきどおりりで胸がいっぱいになり、私は泣きはじめた。

 今度こそ、愛されて産まれたかったのに。

 魂のクセというものは繰り返されるのだろうか。


 今世で赤子である状況は把握した。

 今世というなら、前世があった。思い出せないけれど。

 もしかして、これが明晰夢めいせきむなら早く覚めてほしい。

 だが、これは夢ではないと自分の鼓動が示す。


 私の目は次第に見開かれていく。

 揺れる緑陰に、空が青かった。

 夜でなくてよかった。晴天なのもよい。寒くも暑くもない。春なのかな。

 前向きだなぁ、私。いいぞ、前向きなのは、いいぞ。

 しかし、赤子のうつわに引きずられ泣くしかできん。


 ほぎゃー(おねがいー)。

 ふぎゃー(たすけてー)。


 あぁ。前世でも泣けばよかった。誰か、気づいてと。そんなことを考えていると、近くのやぶがガサガサと揺れた。

 一瞬、助かったのかと錯覚した。

 視界に入って来た灰色の毛むくじゃらを見て、絶望した。

 オオカミだ。

「オワタ……」

 思わず私はつぶやいた。


如何いかにも。ワシはオワター』

 灰色はそう言って、おもむろに私のほっぺをその舌で、びろ~んとなめた。

 それから、その湿った鼻先で私は胴を半回転させられた。

 がばぁと牙が整列した口が開いて、私の胴体を背中から口中に収めた。喰われる。

 タイ焼きの尻尾から食べる派だ~。私もだヨ~。共感しても、むなしい。


 すると灰色は私をくわえたまま、ゆっくりと歩き出した。

お持ち帰りテイクアウト……」

 新たな絶望に白目になった。

 この獣は私を巣穴に持ち帰る。おそらく巣穴にはがいて私は、その生餌いきえになるのだ。

 弱肉強食。どの世界でも。


 ここでも私は弱肉側なのか。




 灰色は私をくわえ、小走りに森の中を移動した。頭が下になった体勢で地面が通り過ぎていく。

 オオカミの体格がよくて、よかった。でなければ、私は頭を地面に引きずられて、それで絶命しただろう。この期に及んでも、1分1秒でも生きることを渇望している。見苦しいだろうか。のどが枯れて、泣く気力もない。


 灰色の歩調が緩んだところを見ると、どうやら巣穴にたどり着いた。

 巣穴の入り口をオオカミは身をかがめてすり抜けた。中の通路は思いの他、広い。灰色は私を、そっと何か柔らかいものの上に降ろした。

 そこには、やはり毛むくじゃらが横たわっていた。それは、白銀の毛むくじゃらだった。灰色は白銀に話しかけた。

アモーレ愛しい者。この赤子に乳をやってもらえないか』

 アモーレと呼ばれた白銀は、大儀そうに私を見た。

『人の子ではないか。どこから連れて来た』

『森のはずれだ』

『また、あなたは〈境界〉に近づいたのね』

 責める声色だ。

『この子の泣き声が聞こえたのだ。それに』

 灰色が続けた。

『ダンシャリン。この赤子は、ワシの名を呼んだぞ。と』

『〈名を知る者〉だったの。では、助けぬわけに行かぬ』

『そうだ』

『では、我の乳をやってもよい』

『頼んだ』


 そして、私は灰色の鼻先で、また転がされた。1回転半で、白銀のやわい腹へと導かれた。そこには見事な8つの乳頭が2列に並んでいた。

 本能だろう、これこそ自分の命綱だとわかった。わたわたとしていると白銀の前脚が差し伸べられて私の肩を押した。乳頭のひとつに口元を持って行けた。

 あとは吸いつくだけ。

 夢中で乳を吸った。

『元気のよい子だ』

 白銀が目を細めた。




 私を連れ帰ったの灰色の名は、オワター。雄のオオカミである。

 私に乳をくれた白銀の名は、ダンシャリン。雌のオオカミである。

 私は――。



 

 ――私は気を失うように眠ったようだ。

 目を覚ますと、初見の小さな灰色の毛むくじゃらが私を見ていた。青いガラス玉のような目だ。

『ママ。こいつ、ゼンシンダツモウなの』

 丸裸のわたしのことだ。

 全身脱毛ゼンシンダツモウって言った?


 ここはどういう世界?

 動物がしゃべる不思議世界ワンダーランドなだけではなくて?


『この子は人族ゲーマーだ。身体からだの一部にしか毛は生えないよ』

 白銀の尻尾が、私をかばうようにくるんだ。

『ふぅん。赤黒くて気味が悪い』

 おそらく私は、新生児特有の肌色をしている。 

『そんなことは言わない。今日から、この子は、おまえの妹だよ』

 白銀は、小さな灰色をいさめた。

『それじゃボクがおにいちゃんだよ。ゼンシンダツモウ』

 小さな灰色は、ぎゅうぅと、その身をわたしに押し付けた。

 小さいと言っても私の倍以上の大きさ。その密集した毛並みに息が詰まりそうになっていると、白銀が小さい灰色の首根っこをくわえて、私からはがしてくれた。

『軽々しく名付けてはいけない。この子の名は、長老につけていただく』


 よかった。おにいちゃんに任せていたら、とんでもない名にされるところだった。



 それにしても、この世界の言語は私にとって、わかりみがある。

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