【フリー台本】お前は何も悪くないよ【朗読】

月見里つづり

お前は何も悪くないよ

 人生をやめたくなる瞬間ってなくない?


 サーサーと静かな雨になった夜中、彼女がスマホをいじりながら、呟いた。

 同じ部屋にいる自分に対して言ったのだろうか。

それともただの独り言なんだろうか。


 判断のつかない口調だった。

言葉自体は重いのに、彼女の声の感覚はさらりとしていて

まるで通販サイトでいいもの、見つけたんだけど、というノリだった。


 笹口は彼女の言葉を、どう受け止めればいいかわからなかった。手元にあるココアをすする。

熱は冷めて、ぬるくなった甘さを舌で感じた。ぬるりと喉奥におちるココアは、しみる、何かがあった。


 笹口と彼女は、仕事の上司と部下に当たる関係だった。

とはいっても、チェーンレストランの社員とホールのバイト。

 大学生の彼女に、アラサーの笹口が、こんなそれなりのホテルにいるのには

理由があった。


 こんないいホテル、しばらくぶりだよ。

 笹口は心のなかで思った。


 仕事が終わって、店を出ると、夜中なのに、すごい豪雨になった。

もともと予報で聞いていたが風も出ていて、電車が停まり地元に帰れそうにない。

その時点で、もともとホテル⋯⋯といっても、カプセルホテルかなとなっていた。


が、話が変わったのはそこからだ。


「笹口さんっていい人ですよね⋯⋯あんなところで、川見つめてる私をほっとかないなんて

どう考えてもヤバいやつじゃないですか?」


「逆にあそこで、放置するヤツのほうが、よっぽど悪いやつだろ」


 目覚めが悪い。


 そう言い切ると、彼女は目を丸くして、ぷふふと笑った。


「変な人、ヒーローみたい」


 彼女の寂しそうな笑顔を浮かべたと同時に、静かだったはずの雨音が強まった気がした。



 真夜中、彼女は川べりでしゃがみこんでいた。そもそも、普段の笹口はそんなものを見たら

なにかやばいと感じて声をかけることがない。ただ、その目にした瞬間、どうしても目が離せなかった。


 真夜中の豪雨に打たれる、背中の頼りなさ。それに目を奪われたのかもしれない。

孤独というものを具現化したのなら、きっと、あの背中だった。


 やがて、笹口は気づく。その背中の服に見覚えがあるのを⋯⋯。

淡いセーラー風のワンピース。薄紫がカワイイくもあり、おとなっぽさもある。


 ちょっとしたブランド物なんですよーと、自慢げに鼻高々にしていた⋯⋯。


「え? ⋯⋯うそだろ」


 笹口の口から声が漏れた。

少し声が裏返りそうだった。ひゅっと息を吸う。


 自分の確信が、じわじわと胃の奥からせりあがるようで、笹口は走り出していた。


 空いてる部屋がないので、彼女を助けた笹口は、とあるそれなりに良いホテルの

部屋を借りた。周りのビルより、高層の部屋で、カーテンを開けて窓を見ると、いつもの町並みが遠くに感じる。ジオラマみたいだ。神様がいるなら、この視点で世界をみているのだろうか。


「なんだろー、あったかいお風呂入っちゃうと、頭がおかしくなりそー」


 彼女はごろりとベッドで転がった。 

さらりとしたシーツに、軽そうな彼女の体。

日焼けしづらいという肌は、少し暗めの証明の中で、存在感があった。


 水滴る百合の花のようだ。


「あんなに辛かったのに、なんとなく心軽くなっちゃって⋯⋯さっきまでの私はなんだったんだろ」


「わからん、もしかしたら、お湯と一緒にどっかにいったんじゃないか」


「そっかー、あー⋯⋯そうだったらいいなぁ」


 彼女はすくりと起き上がり、膝を抱えた。


「なんもかんも、夢であってほしいよ」


 そしたら人生をやめたくならないよね。


 ⋯⋯彼女はふわっとしか言わなかったが、どうも彼氏と思っていた奴が

既婚者だったらしい。相手の奥さんに詰められて、その事を知ったようだ。

 完全に悪いのは、相手の男ではあるが⋯⋯奥さんにとって、彼女は相当許しがたかったのか。


「最初、すごくってー⋯⋯頭おかしいって言われちゃって」


 彼女は自分の髪先を遊ぶようにいじった。


「まあ、実際の事実を考えちゃうと、ほんとに頭がおかしくなっちゃいそう」


 そう言う割に、どこか夢を見るような、他人事にも聞こえる、そんな口調だった。


「もう、さっさと次に向くのが正解なんだろうな」


⋯⋯自分の昔の話を聞いてるようだった。

笹口は、缶ビールを口にしながら思った。

 ビールの苦さが、際立つような思い出が、笹口にはあった。


 語るのも情けない思い出だ。

自分の付き合ってた女性が二股をしていて、自分とは別の男と結婚して

遠くに行ってしまった⋯⋯そんな思い出。


 人生をやめたくなることがあったとしたら、自分の立場も気持ちも

⋯⋯なによりも愛した事実も、ないがしろにされた、あのときだろう。


⋯⋯あのときの自分はどうやっていたのだろう。

何を支えに、次に行けたのか。


 むしろあのとき、何を望んでいたのだろうか。


「次って、あてがあるのか?」


 笹口の言葉に、彼女はびっくりするほどの笑い声を上げた。


「いるわけないじゃないですかー! これでも一途なんですよ? さっき着てたワンピースだって彼のために⋯⋯でも、もう、どうにもならないじゃないですか⋯⋯」


 明らかに感情が揺らいだ声だった。

いままでのどこか甘く、虚無感なのか、他人事感なのか、わからない口調から。

急に現実にもどったような、悲痛さが、そこにあった。


 しかしすぐに彼女は、場に不釣り合いな、満面の笑みを浮かべた。


「もしかして、笹口さん、あてになってくれるんですか? 確か相手いないんですよね、実際、私ってどうなんですか?」


 彼女は笹口のもとに近づき、覗き込むように見つめる。

笹口はそんな彼女を、少し、それこそ猫がゆっくり通り過ぎるような時間見つめた。

 そしてデコピンした。軽く、指をはじいた。彼女の素っ頓狂な悲鳴が上がる。


 彼女がごちゃごちゃと言い出すのが想像ついたので、笹口は言った。


「月山、お前はなんも悪くないよ」


 月山はあっけにとられた顔をした。


「え、え?」


 月山は恥ずかしそうに頭の後ろに手をやる。


「ま、まぁ悪くないですけど、勝手にあいつが、私と付き合っただけで⋯⋯」


「それもあるし、月山の彼氏への思いも、カワイイワンピースを見せようとしたことも

⋯⋯いま、ちょっとヤケクソになってることも、悪くないよ」


 月山は、なんて言葉を返せばいいかわからない、という顔で、ベッドの縁に座り込んだ。


「でも私は、間違ったことしちゃったわけで⋯⋯」


「結果はそうだとしても、月山の心で思ったこと、やったことは、何かまちがってたのか?

その気持になんの罪がある。今回は相手が悪かっただけだろう」


 だから、何も悪くないんだよ。


 笹口は持っていたビールを一口また飲んだ。ため息が出る。

きっと、これは、あのとき、自分が言われたかった言葉なのだろう。

 誰にも言われず、ただ痛みに耐えていた、あのときの自分が。


 少し楽になれたような気がした。


 月山は肩を震わせている。

顔を見せず、ただ、時折嗚咽が漏れる。

ティッシュを差し出すべきなんだろうか。

それとも、そっとしておくべきなんだろうか。


そう考えあぐねていると

月山は、顔を上げる。泣き腫らした顔で。


「そういうの⋯⋯ずるいって」


 深くため息をつき、月山はうなだれた。


「胸が痛くなるって、バカ⋯⋯」


⋯⋯雨音は彼女の声を、世界から隠すように、降り続いている。

 笹口は月山のために、水を用意しようと、立ち上がった。

 

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【フリー台本】お前は何も悪くないよ【朗読】 月見里つづり @hujiiroame

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