第27話:アリシアの婚約話

 ケインの剣幕に、友人たちは一様に怯えた表情を見せた。


「あ、ああ、すまない。驚きすぎて……」


 ケインはなんとか引きつった笑みを浮かべたが、皆の表情は固いままだ。


「ほら、あいつって何の面白みもない地味な石みたいな女だったからさ。そんな電光でんこう石火せっかで他の男を捕まえるなんて想像もしていなくて」


 言葉にすると、とてもしっくりきた。

 おそらくは何かの間違いだろう。


 あのお堅いアリシアが積極的に他の男をたぶらかしにいくとは思えないし、あんなつまらない女に一目惚れするような酔狂な男がいるとも思えない。


「それがさ……本当みたいなんだよ」


 おずおずと友人の一人が口火くちびを切った。

 途端に皆がうなずき合う。


「ああ。俺の妻もギャレット夫人のパーティーで実際に目にしたって」

「俺の妻はスフィアの大使夫人のガーデンパーティーでエスコートされて、王子自らが婚約者だって紹介していたって……」

「ちょ、ちょっと待てよ!」


 立て続けの情報に頭が混乱してケインは大仰に手を広げた。


「王子!? 王子ってなんだ?」


(男ができたばかりではなく、相手が王族だというのか?)

(そんなまさか――)


 だが、友人たちは当然のように口を開く。


「ああ。第五王子のヴィクター殿下だ」

「あの方、独身主義だと宣言されていただろう? だから皆びっくりして……」


 ヴィクター王子。由緒ゆいしょ正しき正妃の王子だ。

 一度だけ遠くから見かけたことがある。


 白銀の髪と水色の目をした品のある、いかにも王子然とした人物。

 女性たちが周囲を取り囲み、こぞって話しかけていた。


「あのヴィクター王子が電撃婚約なんてなあ……」

「よっぽど惚れ込んだんだろう。王族の結婚なんて慎重に進めるはずなのに……」

「ちょ、ちょっと待てよ!」


 動揺を隠せず、ケインは乱暴に葉巻を灰皿に押しつけて火を消した。

 優雅に煙をくゆらせる気分は吹き飛んでいた。


「アリシアがヴィクター王子と婚約? そんな……そんなわけ……」


 地味で陰気なアリシアの顔が浮かぶ。

 離婚を申し出てもその表情に何ら感情は浮かばず、粛々しゅくしゅくとサインをしていた。


 あんな面白みのない女が離婚して間もなく王子の心を射止めるわけがない。

 ケインは思わずふきだしてしまった。


(そうだよ、あり得ない!)


「おいおい、誰かと間違ってないか?」

「間違ってないよ。俺の妻がギャレット夫人のお茶会で実際にアリシア嬢本人から聞いた話だ」


「へ?」

「ヴィクター王子がアリシア嬢に一目惚れしたらしい。彼女は今、ヴィクター王子の屋敷で一緒に暮らしているし、彼の婚約者として外交も含めた社交をしている」

「嘘だろ……」


 わけがわからず、ケインはうめいた。

 無表情で離婚届けを出したアリシアを見たのは、ほんの二週間前だ。


 そんな短期間で、王子と再婚するなど信じられるわけがない。

 だが――離婚して屋敷を出たアリシアがどこに行ったのか、ケインはまったく知らない。


(あいつの実家の侯爵家はもうない……。友達もいなかったし、手切れ金でどこか部屋を借りて暮らしているのだと……)


 二年もの間、仮にも夫婦だったというのに、アリシアのことを何も知らない。


「嘘だと思うなら、今度手紙を出してみたらどうだ。ヴィクター王子の屋敷にいるそうだから」


 ヴィクター王子は第五王子で、継承権はあるものの王になることはないだろう。

 だが、明るく気さくな人柄で貴族平民を問わず人気があり、外交を任されていると聞く。


(そんな人の婚約者……)


 まだ愛人というならばわかる。女の趣味は人それぞれだ。

 だが、婚約者ということは、アリシアは王族の一員となると認められたということだ。


(あのアリシアが?)


 有能なのは、彼女がしっかり伯爵領の管理をしていたことからわかる。

 だが王子を一瞬でとりこにする魅力があったとは知らなかった。


(しかも、あんなに女性に人気があって選び放題の方から……)


 アリシアの、どんな嫌がらせにも顔色一つ変えなかった凜とした姿が浮かぶ。


「アリシアに……話を聞きたい。アリシアから直接聞くまで信じない……」


 ケインは無意識に立ち上がっていた。

 仲間たちが慌ててケインの肩を押さえる。


「やめておけよ。仮にも王子の屋敷にいきなり押しかけるなんて、大問題になるぞ」

「そうそう。もう離婚したんだからさ。おまえに関係ないだろ?」

「……」


 友人たちの言葉はほとんどケインの耳に届いていなかった。

 アリシアを追い出したのは自分だ。


 あのときは最高に気持ちよかったのに――。

 自分の思い通りにいったはずなのに。

 今、なぜ全然幸せではないのだ。


「それより、おまえ、どうするんだ?」

「何が?」


 友人がケインをうかがうように見た。


「本気でローラ嬢と結婚するのか? 確かに彼女は女神のように美しいが――平民だろ?」

「愛人にしておくな、俺なら」


 仲間たちの笑い声がうつろに響いた。

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