第10話:大使のパーティー

 二日後、アリシアは外国人居留地へ馬車で向かった。

 王都の郊外にある居留地きょりゅうちは、ゆったりした敷地にぽつぽつと屋敷が建っていた。


 風景も美しく、貴族が住む一等地に引けを取らない。

 スフィア王国大使の屋敷に着くと、アリシアは軽く息を吸った。


(さあ、仕事よ! 切り替えて!)


 ここからは華やかな女の戦場だ。

 綺麗に飾り付けされた庭に、もうたくさんの人が集まっていた。

 美しく咲く薔薇のアーチをくぐり、アリシアはヴィクターと共にガーデンパーティーへと赴いた。


「あら、ヴィクター様!」


 びしっと貴族服に身を包んだヴィクターに、女性たちがうっとりと目を向ける。

 そして、傍らにいるのがアリシアだと知ると、一様に皆目を見開いた。


「ええっ、アリシア嬢!?」


 予想どおり、アリシアは女性たちの注目のまとになった。

 アリシアはなんとか平静を装って笑顔を作る。

 好奇心に満ちた視線が矢のように突き刺さるのを感じた。


 やはり自分の離婚は格好の娯楽として周知されているようだ。

 ひそひそと囁く声が嫌でも耳に入ってくる。


「アリシア様よ……」

「離婚されたのよね?」

「平民の愛人に盗られたらしいですわ……」


 揶揄やゆするような貴婦人たちの言葉に顔が引きつるのを必死で耐える。


「よく社交界に顔を出せますわね」

「私なら無理! 愛人に負けて離婚されるなんて恥さらしもいいところ!」

「見かけによらず、図太いのね、あの方って」


 聞こえよがしの嫌みを、アリシアはぐっと扇子を握って耐えた。

 あざけられるのは予想できたはずだ。


(堂々と振る舞うのよ、アリシア……)


 自分を鼓舞したとき、軽く背に手が添えられた。

 顔を上げると、微笑んだヴィクターと目が合う。

 優しい水色の目がいたわるようにアリシアを見つめていた。


(そう……私は一人じゃない。仮にも王子の婚約者なのよ)


 アリシアはくっと顔を上げた。

 そのとき、奥から薄緑色のドレスを着た若い女性が駆けてきた。


「あ、あの、初めまして。マリカと申します。スフィア王国大使の妻です」


 マリカは黒髪に緑色の目をした美しい女性だった。

 自分と同い年くらいだろう。その若さで大使夫人の重責をになうとは、苦労が忍ばれる。

 愛らしい笑顔に、アリシアは自然に微笑んでいた。


「初めまして、マリカ様。アリシア・ハミルトンと申します。今日はお招きありがとうございます」

「わざわざ足を運んでくださり、ありがとうございます」


 マリカは社交の場に慣れていないのか、おどおどした様子を隠せていない。

 貴族の夫人たちから好奇やさげすみの目を向けられるアリシアを、どう扱って良いのか思いあぐねているようだ。


(素直でいい人そう……。でも、貴族社会には向いていないわね)


 貴族社会で渡り合っていくのならば、弱みは見せないのが鉄則だ。

 隙を見せず、笑顔の仮面をまとい、いついかなる時も堂々と優雅に――強靱きょうじんな精神が必要だ。


「マリカ様! 今日は僕と婚約者をお招きいただきありがとうございます」


 傍らのヴィクターが笑顔を向ける。


「え……?」


 ヴィクターの言葉に、マリカだけでなく、周囲の貴婦人たちが唖然としている。


「婚約者って……」

「アリシアと婚約したんです。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします」

「そ、それはおめでとうございます……」


 マリカのお祝いの言葉は、周囲の驚きの声にかき消された。


「ええっ、婚約ですって!?」

「どういうことですの!?」


 勇気を出した一人の貴婦人がヴィクターに近づく。


「あの、ヴィクター様……婚約って、その……アリシア嬢と?」

「ええ」


 ヴィクターが落ち着いた物腰で穏やかな目を向けると、貴婦人はたじろいだ。


「で、でもアリシア嬢は離婚したばかりで……」

「一目惚れなんですよ! 彼女が離婚していてよかった! あやうく道ならぬ関係になるところでした!」


 からっと明るく笑うヴィクターに、貴婦人たちが絶句する。


「一目惚れ……」

「離婚してまだ一週間もたってないのに……?」

「アリシア様ってやり手なんですわね」

「ヴィクター王子を落とすなんて!」


 こそこそとさえずる貴婦人たちを牽制けんせいするように、ヴィクターがアリシアの肩を抱いてきた。


「皆様もアリシアをどうぞよろしくお願いします。僕の大事な人ですから!」


 屈託のないヴィクターの笑顔に、貴婦人たちが顔を引きつらせながらも微笑んだ。


「もちろんですわ、ヴィクター様!」

「ええ。それはもう!」

「ずっと独身宣言をしていたヴィクター様を落とすなんて、アリシア様は本当に魅力のある方なのね」

「すごいわ、アリシア嬢」


 ぎこちない賞賛を浴びながら、アリシアは落ち着かない気分で肩を抱かれていた。


(婚約者といっても、期間限定の形だけのもの……)

(こうして祝われるといたたまれないわ……)


 安易に婚約者などと名乗ってよかったのだろうか。

 後悔が胸に押し寄せる。


(ううん、もう決めたことよ。しっかり自分の仕事をしなくては)

(マリカ夫人の悩みを聞き出して、解決するのよ)


 ざわめく人の波を縫ってすらりとした黒髪の若い男性が現れた。


「スフィア王国大使、シオンです。我が屋敷に足をお運びいただき感謝する! では男性たちは奥の部屋で酒やゲームに興じるので、ご婦人方はぜひここでお茶会を!」


 シオンの晴れやかな笑顔に、その場の空気がなごむのがわかった。


(この方が大使……! 本当にお若いのね)


 太陽のような明るい表情で、シオンが客を案内する。


(でも確かに……夫人と目を合わせないわ)


 大使夫妻は笑顔を浮かべながらも、一度も視線をわさなかったことにアリシアは気づいていた。

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