離婚された魔宝石令嬢、最後の恋は王子でした

佐倉ロゼ@『のろ恋』1巻発売中

第1話:離婚の申し出

「アリシア、離婚してほしい」


 夫であるケインから差し出された離婚状をアリシアは無言で見つめた。

 夫のかたわらには愛人であるローラがニヤニヤしながら立っている。

 アリシアは心がすっと冷えていくのを感じた。

 ローラの自分の優位を疑わない傲慢な笑みも見飽きたところだ。


「はい、わかりました」


 アリシアはざっと離婚状の要項を確認した。

 特に問題はない。妥当な内容だ。

 すらすらとサインをするアリシアに、ケインは少し慌てたようだ。


「本当にいいのか、それで」

(貴方から望んできたくせに、何を言ってるの)


 ケインの戸惑った顔が面白く、思わず笑みがこぼれそうになる。

 そんなアリシアの余裕のある態度を、ローラが憎々しげに見つめる。

 てっきりアリシアが驚愕し、ケインにすがりつくとでも思っていたのだろう。


 これまで正妻としての権利を主張せずにいたアリシアを、愛人であるローラがあなどっていたのはよく知っている。

 ケインも同じだ。アリシアのことを面白みのない何の取り柄もない女だと信じ切っている。


 自分を軽んじる相手に心を向けない、相手にしない、というアリシアの信条など彼らの想像の埒外らちがいなのだ。

 アリシアは一切顔色を変えることなく、サインし終えた離婚状を迷うことなくケインに差し出した。


「慰謝料も適正ですし、問題ありません」


 ケインにも伯爵夫人としての生活にも、まったく未練はない。

 アリシアはさっと立ち上がった。

 左手の薬指から結婚指輪を抜き取ると、離婚状の上にコトリと置く。


(これで終わり)


 結婚生活はあんなに大変だったのに、終わらせるのは一瞬だった。


「では、これで。お世話になりました」


 一礼して部屋を出ると、アリシアは大きく伸びをした。


「うーーーーん! これでさっぱり自由だ!」


 二十歳で結婚したアリシアは、まだ二十二歳だ。

 これからなんでもできると思うと心が軽くなる。


「もう結婚なんかり!」


 アリシアはさっさと自分の部屋に向かった。

 もともと、ケインとは政略結婚だった。

 親同士が決めた結婚だったが、貴族の婚姻事情としてはさほど珍しくない。


 もちろん、結婚したからにはちゃんと夫婦関係をきずく努力するつもりだった。

 だが、ケインには五年来の愛人がいた。

 村娘のローラ――豊満な肉体と金色の髪をもつ、華やかな美女だ。


 ケインはローラとの関係を断ち切れず、愛人がいるにもかかわらず結婚をしたのだ。

 しかも、ローラを屋敷に招き入れていた。

 愛人のいる新婚生活にアリシアは愕然としたが、婚姻届を出してしまったので受け入れるしかなかった。

 新婚だというのに、あまりにも不誠実な夫の態度にアリシアの心は重く沈んでいった。


(ケインは私との結婚生活を始めるつもりがないのね……)


 初夜から別々の寝室で、食事のときもたまに顔を合わせるだけだった。

 なのに、女主人としての仕事は問答無用で押しつけられた。

 散々な結婚生活に耐えるだけの二年だった。


(あんな男と縁を切れてさっぱり!)


 もちろん、外聞は悪い。

 世間的には平民の愛人に負けて、家を追い出された貴族のバツイチ女だ。

 貴族たちは面白おかしく噂するだろう。

 だが、それがなんだというのだ。


(もう屋敷で窮屈な思いをすることも、ローラからの嫌がらせを受けることもない……)

(それって最高じゃない!?)


 屈辱よりも清々すがすがしさが勝る。

 自分でも驚くほど心が軽かった。

 こんなことならば、さっさと離婚するべきだった。だが、実家の侯爵家の面子めんつを潰すわけにはいかないと耐え忍んでしまった。


(でも、相手から離婚を言い渡されたのだから仕方ないわよね)


 自然と足取りがはずむ。

 アリシアは自分の部屋に入ると、メイドを呼んでさっさと荷物をまとめた。

 持っていくのは最低限のものでいい。

 アリシアは身も心も身軽になりたがっている自分を感じていた。

 離婚されたばかりというのに、ウキウキしている自分に驚く。


(私、こんな人間だったんだ……)


 最低限の慰謝料で帰る家もない。

 これから住む場所と自分一人で暮らせるだけの仕事を見つけなくてはならない。

 不安がないと言えば嘘になる。


(でも、きっと何とかなるわ)


 アリシアは右手の人差し指につけている、虹色に光る石がついた指輪をそっと撫でた。

 自分を唯一心の底から愛してくれた祖父からのプレゼントの指輪だ。


――おまえならきっとこの石を使いこなせるだろう。

――この指輪がきっとおまえを守ってくれる。


 祖父の温かい手の感触を思い出し、アリシアはふっと涙ぐんだ。


(大丈夫、私にはこの指輪もあるわ)


 心が折れそうなとき、いつもこの指輪を見て元気をもらっていた。


(これからもよろしくね)


 アリシアは顔を上げ、一度もケインが訪ねてこなかった私室を後にした。

 アリシアは馬車にトランクを積み込むと、すぐに出発させた。

 二階の窓から視線を感じた気がしたが、アリシアは振り返らなかった。

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