忘れられないもの

蛇部 竜(ダブリュー)

忘れられないもの

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。



 

 安いボロアパートの畳の上、男は目覚めた。

 目覚めは最悪だった。

 また同じ夢を見たからだ。

 ―――忘れられないとある場面を切り取った夢。

 自分の後悔。


 

 自分の年齢としが23の時だった。

 初めて『彼女』というものが出来た。

 年上でとある劇団で知り合った。

 彼女は『女優』、自分は『脚本家』だった。

 告白したのはクリスマス。

 イルミネーションが輝く場所で告白するというベタなシュチュエーションだったが、成功し、初めてキスもした。

 あの時の自分の有頂天っぷりも二度と忘れることはない思い出だ。

 

 自分には夢があった。

 それは舞台でも小説でも映画でも、どんな媒体でもいいから面白い『物語』を描くことだった。

 彼女にもそれを恥ずかしげなく語った。

 彼女は心の底から応援してくれた。

 

 彼女は社会人をしながら様々な舞台に出ていた。


 『ホントは演技一本で食べられたら良いけど、そこまで才能はないからね。』

 

 そう言っていた。 

 けど、参加した舞台にはどれだけ会社が忙しくても台詞を完全に覚え、舞台に立っていた。

 役者ならそれは普通の事。

 その時はそう思っていた。


 一方、自分も社会人をしながら、『脚本』や『小説』を描いていた。

 しかし、仕事が忙しくなるにつれ、どんどん描かなくなっていた。

 それは今思えば言い訳だった。

 疲れを言い訳にアイデアが浮かばない。

 何度も彼女にそう愚痴った。

 実際はヤル気がなかっただけだ。


 この頃から自分は言い訳が酷くなった。

 自分に嘘を吐くことが多くなった。

 物語を描かない言い訳を探していた。

 

 一応、頭の中で何度も物語は描いていたが、そんなものは実際に書き起こさないとただの妄想で終わる。

 しかし、その妄想で自分は物語を描いた気になっていた。

 

 彼女から『新しい話は描かないの?』と何度も言われた。

 その度に言い訳をした。

 

 だが、彼女はそんな駄目な自分に愛想を尽くすことなく、変わりなく接してくれた。

 ―――ずっと一緒にいたいと。


 そう言われた時、何故か不安が一気に襲い掛かってきた。

 彼女を「重く」感じたのだ。

 今、思い返すとそれは彼女を幸せにする自信がなかっただけだったと思う。


 彼女に『ずっと一緒にいたい』と言われた数か月後、自分は彼女をフッた。

 フる理由は『君を幸せに出来るか不安になった』という、なんとも情けなさすぎる理由だった。

 彼女の片目から涙が零れた。

 自分からフっておいて気まづくなった。

 別れの話をし、最後に彼女を最寄り駅まで送ろうとしたその時―――。

 彼女が最後のキスをした。

 傍から見ればそれこそまるで映画のようだった。

 彼女は最後に涙を流したまま「バイバイ」と言った。


 ―――あれから10年経つ。

 自分は当時、働いていた会社を辞め、偶に仕事をする自堕落な生活をしている。

 ―――結局、描きたい物語は自分の頭の中だけにある。

 彼女とはあれから一度も会っていない。

 しかし、何度も別れの場面が夢でフラッシュバックする。

 

 おそらく、また10回目の同じ夢を見るだろう。


 だが、何度、後悔してもあの時に時計の針が戻ることはないのだ。

 

 

 

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