災害記録13

 駅の上空を、ヘリコプターの機影が飛んでいた。

 周辺は交通規制が敷かれていた。通行止めの赤いカラーコーンが並ぶ前で警笛けいてきを鳴らし、交通課の警官が迂回をうながす。予告のない大規模な道路規制のために、高空から俯瞰ふかんすると駅を避けて大渋滞が起き、至るところでクラクションが鳴り響いていた。

 日中から人通りが絶えた駅前は異質な空気だった。厳重なバリケードが施され、封鎖された正面口の前に警察車両が停まる。ドアが開き、中から降りてきたのは喪服と見紛う服装をした若い女性だった。

 黒いブラウスにタイトスカート、パンプスと上から下まで黒ずくめだった。長い黒髪を揺らし、日光を浴びて顔は白く際立っている。胸のポケットには小型のライトを収め、耳にはインカムを嵌めていた。その胸元には、一輪の白百合を携えている。

 見張りに立っていた警官は、その佇まいに一瞬気圧された。我を取り戻し、指示に従って蛇腹じゃばら型のバリケードフェンスを一部解いた。

「雪白さんよ」

 警察車両の助手席のドアが開き、掠れた声がした。雪白硝子が振り返ると、化繊のコートを着た飯豊警部補が半身を乗り出していた。表情はやつれたままだ。

「散々疑って悪かったな」

「いえ、そんなことは」

 彼女は恐縮する。その平素と変わらない態度の彼女に、刑事は目元を細めた。

「不甲斐ない話だが、ここから先は警察の出る幕じゃないらしい」

 角刈りの頭を深々と下げた。後は頼む。

「生きて帰ってきてくれ」

「飯豊さん、頭を上げてください」

 硝子は慌てた。年嵩としかさの男性にへりくだられては、こちらが困り果ててしまう。彼女を見上げた飯豊警部補は弱々しく頬を歪めた。

 別れの言葉を告げて、助手席のドアが閉まる。発車する警察車両をお辞儀をして見送った。直立不動で佇む警官に一礼をして、その横をすり抜けた。

「お気をつけて」

 まだ巡査だろうか。硝子より若い男性は、同情心ともつかない複雑な表情を浮かべていた。この駅の内情を知っているのだろうか。彼女は微笑みかけ、彼の鼻先に長い黒髪をなびかせる。

 駅名を掲げた正面口は、濃密な闇をたたえていた。インカムのマイクに話しかける。

「嶋子さん、今から駅の中に入ります」

『了解しました』

 大きな駆動音と風の音がした。その騒音に混じって、彼が短い一言を絞り出した。

『ご無事で』

 硝子は苦笑する。最も彼女の身を案じたのは嶋子三等陸尉だった。この作戦の立案と準備で多忙たぼうな中、自衛のためにと小型の銃の取り扱いを指導しようとした。その心遣いに感謝しながらも丁重ていちょうに断った。自分に扱えるとは到底とうてい思えず、何より弔いに武器は必要ない。

 何度も考えを改めさせようとする彼の表情は懸命だった。

 胸元のライトを点けると、構内のタイルが浮かび上がった。人が立ち入っていないにしては汚れておらず、黄色い点字ブロックの線が見通せない暗闇の奥まで続いていた。

 鼻腔を懐かしい匂いが通り抜けた。以前勤めていた職場で嗅いだ、悲しくも愛おしい匂い。その饐えた空気を肺一杯に吸いこみ、彼女は唇をほころばせる。

 これは死臭だ。

 足を踏み入れる。広々とした闇にパンプスの足音が反響した。無人の小型店舗があり、陳列されたままの商品と当時の新聞が見受けられた。円柱には広告代理店のポスターが巻かれている。旅行代理店、仕事の帰りによく夕食を済ませた喫茶店、見慣れた運賃表の下には券売機が並んでいた。

『通信状況はどうですか、何か変化は』

「ええ、大丈夫です。とても静かで、ずっと封鎖されていたとは思えないぐらい……」

 嶋子の状況確認に応答する。ライトの光量が及ばない先は闇が滲んでいる。足元に気を配りながら進んでいると、奇妙な物体が床に落ちているのが見えた。複雑な造形で、細長い輪郭をしている。

 硝子に知識がなくとも銃器であることはわかった。消音器が装着された、20式5.56mm小銃であることは知る由もない。

『何かありましたか』

「多分、床に銃が落ちて――」

 小銃の前に近づき、屈む。ふと頭上に気配を感じた。見上げると、彼女は短い悲鳴を上げた。耳元のインカムから焦燥しょうそうした声が響く。

『雪白さん、どうしました』

 思わず尻餅をついた硝子の胸ポケットが上向きになる。上を照らす形になった光の中に、つま先を垂れたコンバットブーツが浮いていた。その人影は迷彩柄の戦闘服を着ており、構内の高い天井に吊り下げられていた。蠢く闇の中で小首を傾げている。

 一人や二人ではなかった。天井の底で闇に溶けた髪の毛によって絡め取られ、数十本の足が醜悪しゅうあくなインテリアとして飾られていた。その真下には鉄帽や小銃などの装備品、至るところに薬莢やっきょうが散乱していた。

『応答してください。一体――』

 応答を求める音声が耳障りな雑音に呑まれた。その渦の中から、低い少女の囁きが耳朶に触れた。

『帰れ』

 その一言を告げた後、切断音とともにインカムは一切機能しなくなった。吊り下げられた部隊の死体たちは沈黙を守っている。見上げる硝子の目から静かに涙が伝っていた。白百合の花を床に置き、その場で両手を組んで冥福を祈った。

 ごめんなさい。あなたたちもきっと弔います。

 外部との連絡を断ったインカムを耳元から外した。改めて白百合の花を胸に携え、立ち上がる。まずはあの子を弔わなければならない。警告には従わず、天井から垂れた死体の足のあいだを歩き出した。

 道順は覚えていた。駅員のいない改札口を抜け、弱々しいライトでタイルの床をなぞる。いつも通勤で使っていた乗り場の階段を上ると、陽光が差しこんだ。硝子は瞼を細める。そのまま淡い光の中を進むと、駅のホームへと辿り着いた。

 何もかもあのときのままだ。ホームの上には青い空が覗き、かすかにヘリコプターのローターの音が聞こえる。錆色の線路に沿って黄色い点字ブロックと白線が敷かれ、色褪せたベンチや時刻表、電気が通っていない自動販売機が設置されている。煤けたコンクリートの地面を進むと、陰った奥に黒々とした跡があった。周辺にも黒い飛沫の痕跡が見受けられる。

 そこへと向かう。乾いた血痕に変化が現われた。鮮血がとめどなく溢れ出し、その中心から黒い頭頂部が浮上してくる。白目を剥いた両目を覗かせ、放射線状に長い髪の毛を広げながら、下膨れをした少女の死に顔が立ち現われた。

 雪白硝子は立ち止まり、その生首に向かって微笑みかけた。

「画面の外で会うのは二度目ね、和良波夜美さん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る