災害記録7

「氏名、年齢、出身地をお聞かせください」

「雪白硝子、二十五歳、出身は――」

 ほとんど取り調べに近かった。強面の警部補と向き合いながら、硝子は椅子の上で身を縮めていた。おそらく多くの凶悪犯と相対してきたのだろう。面相もさることながら、その貫禄かんろくを肌で感じた。

 会議室は静かだった。若い刑事がノートパソコンのキーボードを叩く指の音がする。短躯たんくながら筋肉質な自衛官が身をかがめ、カーテンの隙間から窓の下に双眼鏡を向けている。奥では書類が擦れる音。タンクトップにジャケットを羽織った嶋子が離れた位置で腕組みをし、真剣に事の成り行きを見守っている。

 対照的に、羽座間は両手を腰に当てて壁にもたれかかっていた。硝子を現状に追いこんだ張本人にも関わらず、目の前で行なわれている事情聴取に関心がない様子だった。たまに欠伸あくびを噛み殺している。

 彼に恨めしげな視線を送る。飯豊の質問は続いた。

「現在の勤め先は」

「今は、働いていません」

「以前は何かのお仕事を?」

「その、葬儀社の方に」

 会議室の耳目じもくが集まっているのを感じる。据わりが悪くて仕方がない。

「葬儀社を辞められた理由を聞かせてもらっていいですか」

「私の素行そこうが、問題になって……」

 彼は追及する。

「具体的には」

「それは今、関係のある話ですか」

 小声ながら、思わず口に出てしまった。いかつい顔面の眉が寄る。前のめりになった姿勢で顔を寄せた。低い唸り声にも似た声で言う。

「関係があるかどうかはこちらで判断します。多くの国民の生命に関わる緊急事態なんだ。ご協力願えませんかね」

 その眼光は硝子を怯えさせるのに十分だった。下を向いてしまう。心臓が早鐘はやがねを打っていた。

「あんた、『黒い女』でしょう」

 キーボートを打つ手を止めないまま、若い刑事が言った。振り向くと、その眼鏡はノートパソコンの画面を映したままだった。

「薊、口を挟むんじゃねえ」

「自殺現場に現われる、呪われた都市伝説の女。その黒い服装が引っかかって調べてみたら、どんぴしゃだ。ストリートビューにもあんたが写っているよ」

 そういえば羽座間が同じことを言っていた。自分が都市伝説になるなど思いもしなかった。ましてや、自分の姿が撮られているなどと。

「呪いや祟りだのと言っても、ある意味でこれは人災だ。被害が拡大している中でそんな目立つ真似をしていたら公安警察にも目をつけられるでしょうよ。目的は何です?」

「お前、いい加減にしろよ」

 怒気どきを孕んだ制止にも彼は止まらず、言い放った。

「そんなに他人の死が好きなんですか」

 衝撃を受けた。そういったつもりは毛頭なかったからだ。人を弔う行為が、そこまで悪いことなのだろうか。

「違います。私はただ……」

 消え入りそうな声で反論を試みる。ただ最後まで言葉にならず、涙がこぼれる。沈黙を破ったのは、大隈班長の通りの良い一声だった。

「――現在、我が国は曾有ぞうの災害に見舞われている」

 彼は書類の束を机に置き、指で叩く。そこには男女の顔写真と、氏名や年齢などの個人情報が記載されている。

「この一週間で被災したと思われる自殺者の名簿だよ。自殺する動機が見当たらず、いずれも遺体は携帯電話を握り締めていた。呪いによって自殺を強いられたものと推測される」

 飯豊警部補が憮然ぶぜんとした顔で腕組みをする。いちいち横槍を入れられるのが気に食わないのだろう。班長は構わず続けた。

良波らわ夜美よるみ。この災害を引き起こした祟りの主だ」

 長机に一枚の書類を滑らせる。学生証のものとおぼしき顔写真を目の当たりにして、硝子は目を見開く。生前のものながら、その髪の長い少女の幼い顔立ちに見覚えがあった。下膨れで、前髪の下に表情を隠している。

「彼女は学校で同級生からいじめに遭い、駅のホームで電車に身を投げた。その生首の死体が撮影され、インターネット上に拡散された――怨念を宿しながら」

 大隈班長は色が濃い眼鏡の下で両手の指を組んだ。

「ダウンロードしたら呪われる画像……噂が噂を呼び、面白半分で画像を落とす者が後を絶たなかった。結果、全国各地で自殺者が急増することになった」

 静かな声音で告げる。

「政府の中央防災会議はこの事態を特殊激甚災害に認定し、『ケース:毛羽けう毛現けげん』と呼称することにした」

 会議室に再び沈黙が下りる。大隈は大きく息を吐いた。

「だが、防災省はまだ未熟な組織だ。怪異が引き起こした災害に対し、あまりにも経験が少ない。陸上自衛隊の隊員を災害派遣し、警視庁のハイテク犯罪対策課の刑事たちを特殊激甚災害対策班に参加させた。それでも事態の打開には至っていない」

 特殊激甚災害対策班の班長は会議室に居る面々を見渡す。嶋子三等陸尉は奥歯を噛み締め、窓の下で駅の監視を続ける蒲陸士は気まずそうに眉を垂れた。飯豊警部補が苦虫を噛み潰した顔をし、若い刑事は眼鏡を光らせてノートパソコンの画面を凝視していた。

 キーボードを叩く音だけが響く。

「そこに君が現われた。どうして雪白さんが呪われてなお無事でいられるのか、我々はその理由が知りたい。手詰まりになった現状の突破口になり得るかもしれない」

 再び注目が硝子に集まった。思わず俯いてしまう。未だに自分が呪われているという実感がなく、なぜ無事でいられるかを問われても答えようがない。

 目線を漂わせた先に、祟りを蔓延させたという夜美の顔があった。長い髪の毛の中に眼差しを隠し、素朴で控えめな印象を受ける。多くの人間を死に追いやった元凶だとはとても思えない。硝子は、思いついたことを口にした。

「あの、この子をいじめていたっていう同級生は……」

「全員死んだよ」

 目の前で仏頂ぶっちょうづらをした飯豊警部補が答えた。硝子は言葉をなくした。

「皆、自殺だ。一体何があったのか、遺族にはとても話を聞ける状態じゃない。和良波夜美は学校や家庭で孤立していたらしく、家族と学校関係者に事情を聞いても捜査は進展していない。呪いだの祟りだの、俺たちは拝み屋じゃねえって言うのによ」

 彼は忌々しげに吐き捨てる。硝子は改めて彼女の写真を見つめた。孤立した果てに選んだのが自殺だったのか。年頃の娘が自分の死に顔を撮影されて、不特定多数の目に晒された。その境遇にあわれみを覚えた。

 彼女は下唇を噛み締め、飯豊の顔を上目遣いに見た。

「……携帯電話に入っているあの子の画像は、私がダウンロードしたものじゃないんです」

「何だと?」

「実は――」

 経緯を説明しようとしたとき、不意に薊の鋭い声が遮った。

「警部補、これを見てください」

 そのただならぬ様子に、飯豊が椅子を鳴らして立ち上がる。回りこみ、薊の後ろからノートパソコンの画面を覗きこむ。眉根が強く寄った。

「……『呪いのメール』?」

「ええ、これを見てください」

 ノートパソコンのタッチパッドに指先を触れ、オカルトサイトでアップロードされた『呪いのメール』の詳細を開く。本文のないメールだった。件名に『あなたは呪われました』とだけあり、モザイクがかかった生首らしい画像があった。

「こいつは……」

 薊はその四角い光を眼鏡に映していた。

「間違いなく和良波夜美の画像です。これがスパムメールに添付てんぷされて不特定多数に送られている。まだ噂の段階ですが、このメールを受け取った人間は呪いの画像をダウンロードした扱いとなり、自殺へと追いこまれるそうです」

 彼は断言した。

「これは、無差別テロだ」

 その視線が硝子に注がれた。尋常の人間はこの画像を所持した時点で呪い殺される。呪いを受けて生きながらえている人物は限られていた。刑事二人の鋭い眼差しに、硝子は訳もわからず狼狽ろうばいした。

 その人間たちのやり取りを、丸眼鏡の男は顎を撫でて興味深そうに眺めていた。

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