災害記録5

 息子の返事はなかった。

 階下でため息をする。このままでは夕食が冷めてしまう。階段を軋ませながら、母親は億劫おっくうそうに二階へと上っていく。

 最近、あの子はスマートフォンに夢中だ。家族と一緒に食卓を囲っていても、小さな画面に食い入っている。瞳に長方形の光を映しながら、学校の話題を振っても生返事だ。何度か注意しても治らなかったため、口を出すのは諦めた。

 目の前ではなく、どこか別の場所を覗き見ている気がした。

 息子に買い与えたのは失敗だっただろうか。今の子たちは誰も彼も持っている。古い世代だからわからないのかもしれない。あの手の中に収まる機械の中に、どれほど重要な情報が詰まっているというのだろう。

 また吐息が漏れた。踊り場の窓に月が浮かんでいる。折り返し、二階へと上がる。暗がりに包まれていた。手探りで明かりを点けると、視界がまたたいて短い廊下が現われた。

 息子の名を呼ぶ。やはり返事はない。

 フローリングの床の冷たさを足の裏に感じて、廊下を進む。息子の部屋は奥だ。二階は静まり返っている。あの子は眠っているのだろうか。

 彼の部屋に辿り着いた。ドアを手の甲で叩く。夕食の時間を告げても反応はない。どうせ自室には鍵がかかっているだろう。また後で呼びに来ようと、ドアの前から立ち去ろうとした。

 少し遅れて、ドアの鍵が開く音が耳朶じだに触れた。

 怪訝に思いながら振り返る。起きているではないか。どうして何も応えないのだろう。少し声音に怒りをこめながら、部屋のドアを開く旨を告げる。無反応だった。冷たいドアノブを握ると、抵抗なく開いた。

 金具が軋みを上げ、ドアの隙間から暗闇が漏れる。明かりを点けておらず、わずかな光源が部屋を照らしていた。おそらくスマートフォンの光だろう。ベッドに勉強机、壁にかかった制服。最初はベッドの上に立っているのかと錯覚した。足の指が朦朧と浮かび上がっている。

 目を凝らした。よくよく見れば、足のつま先が浮かんでいる。何かの液体が伝っていた。視線でなぞると、垂れ下がった手の中でスマートフォンの画面が発光していた。

 天井の近くで首を傾げている息子の影を目撃したとき、理解するより先に悲鳴を上げた。股間が濡れてズボンの中をしたたっている。ベッドのシーツを汚していた。

 スマートフォンの中で本文のないメール画面が開かれていた。

『あなたは呪われました』

 件名はそう告げていた。

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