災害記録2
事件当夜、雑居ビルの屋上は強風が吹いていたという。
打ち放しのコンクリートの壁に囲まれた階段に、不規則なヒールの音が反響した。乱れた息遣いとともに、マニキュアが塗られた手に握られた携帯電話の明かりが狭い通路を照らす。
やがて屋上へと通じるスチール製の扉が見えた。震える手がドアノブに近づく。その指先から黒い髪の毛が這いずり、小さな鍵穴へと潜りこむ。音を立てて鍵が開かれた。
屋上の扉が開け放たれると、強い夜風が髪をなぶった。さして広くはない雑居ビルの屋上には貯水タンクの影があり、太いパイプが這いずり回っている。ぎこちない、操り人形に似た動きで人影が横断する。ゆっくりと屋上の縁へ近づいていく。
片手で手すりを掴み、短いスカートを
ヒールのつま先が空中に突き出て、手すりを掴んだ左手だけが体を支えていた。濃いリップクリームが塗られた唇が震える。
「ごめんなさい、もう許して」
片手に握り締められた携帯電話が虚空に光を放っていた。
そのとき背後から複数の足音が聞こえた。入り乱れる足音が近づいてきて、屋上にまで到達した。首がぎこちなく巡り、長い睫毛が何度も上下した。
二人の警官が懐中電灯を握っており、さらに先頭には
「落ち着いて、こちらへ」
強風が吹く中、手を差し伸べた青年と警官たちが距離を詰める。手すりの外にいる人影が体の向きを変えた。不安定な姿勢で、いつ落ちてもおかしくない。駆けつけた人々が息を呑む。
懐中電灯に照らされたその女性の顔は、涙で化粧が崩れていた。携帯電話を掲げながら、悲痛な面持ちで彼らに訴えた。
「助けて、死にたくない」
彼らの目には見えなかった。携帯電話の小さな画面から
「やめろ」
青年が駆け出した。女性が助けを求めて手を伸ばし、その腕を掴もうとする。その指先は空を掻いた。
夜空に悲鳴が尾を引いて、小さく肉がひしゃげる音が聞こえた。青年は手すりを両手で掴み、雑居ビルの下を見下ろした。薄暗い裏路地の底で、手足の向きがねじ曲がった人影が仰向けに倒れていた。
くそ、と力任せに手すりを殴る。広がる血だまりの中で、明滅する携帯電話の明かりが彼を
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