第7話 希望


「はぁっ……、はッ、みんなありがとうー! お疲れさま!!」


 赤いフラッグの前で、息が整わないままの羽山がA組全員をねぎらう。一人一人と両手を打ち合わせ、勝利の余韻に浸る。岩崎とも手を合わせ、羽山はニカッと笑った。


「浩司、声援サンキュ。聞こえたよ。壱って呼ぶ声」


 まさかあれほどの喧騒の中で聞こえているとは思わなかった。先輩を呼び捨てにしてしまった恥ずかしさから、地面に視線を落として自身の口許を手で覆う。


「呼び捨てちまって、すいません」

「あっはは、全然いいよ。気持ちこもってて、すげー嬉しかったしさ。それに、お前が呼んだら絶対駆けつけるって言ったろ」


 まるであの日のことを思い出すような羽山の一言にハッとして、顔を上げた。だが羽山は他の人達とも手を打ち合わせるために移動し、クラスメイトである佐々木の元に歩み寄った。


「佐々木も応援ありがとな」

「ううん、壱くんなら大丈夫だって思ってたよ。お疲れさま」


 柔らかなタオルを羽山の頬に押し当てて流れる汗を拭いながら、佐々木は優しく笑んで羽山に何か耳打ちしている。その一部始終を見ていた岩崎はそっと場を離れて、クラスの元へ戻った。





 リレーが最終種目だった為、運動会の閉会式を告げるファンファーレが鳴り響く。

 後片付けは先生や委員が中心となるので、生徒達はまばらに集まって話をしたり、片付けの手伝いをしたりしている。岩崎はクラスメイトから離れ、自販機でカフェオレを買っていつもの場所に向かう。

 リレーは見事に勝利し羽山の笑顔も見られたにも関わらず、岩崎の心は晴れなかった。理由は羽山と佐々木のやり取りを見たからだ。隣りに並ぶ姿があまりに自然で、もしかしたら2人はもう付き合っているのかもしれない。そう考えて、モヤモヤした何かが引っかかる。それが何かわかっていて、それでも意識を振り払うように頭を振った——その時だった。


「あのね。私、壱くんのことが好き」


 いつも昼休憩の時に過ごす校舎裏に行こうとした岩崎の足が止まる。校舎の角を曲がって行こうとしたその先には、羽山と向き合うように佐々木が立っていた。聞いてはいけない、今一番聞きたくない言葉を意図せず聞いてしまい岩崎は慌てて踵を返す。とにかくこの場を離れようと足音を立てずに歩き出したが、岩崎の思いとは裏腹に話は続いていく。


「ありがとう、佐々木。でも、ごめん。俺、気になってる人がいるから」

「そう、なんだ……。どんな人?」


 予想できなかった羽山の言葉に佐々木は悲しい色を声に滲ませ、岩崎は思わず足が止まった。羽山の気になる人。それを聞いても仕方がないことなのに、どうしても身体がその場から動かなかった。


「——バイト忙しいのに、俺と鬼ごっこしてくれる人」


 背中越しに聞こえる羽山の発言に岩崎は耳を疑った。

 鬼ごっこをした人。

 それは間違いなく自分だった。しかしバイトのことを羽山に言ったことは一度もない。

 それ以前に羽山が言っている人が自分であるはずがない。

 突然のことに混乱し、早鐘を打つ心臓の音を落ち着けようと岩崎は胸元をぎゅっと掴む。


「そっか。片思いなの?」

「まぁ、そうだね。勝手に気になってるだけだし」


「それなら、その……、思い出にキスくらい許されるかな?」

「え……?」


 告白を断っているにも関わらず、羽山の動揺を誘うように佐々木が近付いていく。憂いを帯びた表情で近付く佐々木の言動を制止するのは躊躇われるのか、羽山は後退るだけで否定の言葉を発することができない。岩崎は咄嗟に走り出していた。


 佐々木が羽山に詰め寄り、肩に手を置いた瞬間——岩崎が背中越しに羽山の口元を手の平で覆い、身体を引き寄せて佐々木を見下ろしていた。


「え、岩崎くん……?!」

「突然すいません。佐々木先輩、先生が呼んでましたよ」


 なるべく穏やかな口調で嘘を並べたが、岩崎の冷ややかな眼差しに気付いたのか佐々木は慌てた様子で「わ、分かった!」と羽山から手を離して足早に去っていった。走っていく佐々木を見送り小さく息を吐き出すと、じたばた身体を動かし始めた羽山に気付き、慌てて口元を抑えていた手を離した。


「ふはっ、息苦し! 鼻も抑えられてるし……」

「す、すいませんッ!!」


 まさか鼻も塞いで酸欠状態にしていたとは思わず、岩崎は狼狽えながら頭を下げる。佐々木の大胆な行動に居ても立ってもいられず行動してしまったが、立ち聞きしていたうえに邪魔したのだ。罵倒されても不思議ではない。岩崎が怒られるのを覚悟でおずおずと頭を上げると、何度か深呼吸を繰り返した羽山は頬を薄く染めて視線を落とした。

 

「あの……、どこから聞いてたの?」

「すいません。その、告白された後から」


 確認するような羽山の質問を誤魔化しきれず、岩崎は正直に答えた。


「そっか。聞いてたんだ。……浩司、ごめん」

「何で謝るんスか?」


 立ち聞きして謝らなければいけないのは岩崎の方なのに、突然謝罪の言葉を口にした羽山に首を傾げる。


「俺さ、知ってたんだ。お前が朝も夕方もバイトしてること」

「え、何で……?」

「新聞配達は中学の時からだろ? 朝練で家出る時に、自転車で走りながら新聞入れてく浩司を見かけて知ってた。夕方のバイトは偶然かな。たまたま本買いに行って知った」


 羽山がバイトのことを知っていた事には面食らったが、岩崎はそれ以上に気になることがあった。もしかして本当に先程言っていた『気になる人』は自分なのだろうか。そのことに動揺している岩崎の心とは裏腹に、羽山は苦笑いしてこれまでの事を話し始めた。


「バイトで忙しいって分かってるのに、リレー頼んでごめんな。ずっと、お前の事が気になってた。遊びにも行かないで、根詰めて働いてるから学校楽しいのかなって。ここで浩司を見かけてから何か一緒にできないかと思ってさ。リレー勝ちたかったのは本当だけど」

「何で、そこまで俺のこと——」


 話したこともなければ学年も違う後輩に対し、どうしてそこまで考えてくれるのかわからなかった。だが岩崎の問いに羽山は逆に首を傾けて口元を綻ばせる。


「さぁ、何でだろうね? 退屈させたくないって思ったから、かな」

「…………」


 純粋な好意からの言葉だと受け取りたいが、岩崎の胸中にはわだかまりがあった。

 中学の時から働いていることを知っていたのなら少なからず家庭の事情は察しているだろう。羽山に限って有り得ないことだと思うが、憐れみで構われるのはご免だった。


「俺は別に……平気なんで。友達もいますし」


 咄嗟にごまかしたが、クラスメイトとは友達と呼べるほどの交流はない。羽山の気持ちを無下にするような言い方をしてしまったことに気が咎めて、彼から視線を逸らす。その様子を見た羽山は眉根を寄せて、岩崎の頬を両手で掴んで引っ張った。顔と顔が近付き、至近距離になったことで真正面の羽山を見るしかない状況になる。


「言っとくけど、同情とかじゃないから。はぐらかした俺も悪いけど、そんな風に俺を見てる浩司も悪い」

「壱先輩……」

「——気になってるって言葉だけじゃ足りない?」


 女の子からの告白を断るほどの気になる人。それが自分だと岩崎はにわかに信じがたく、それでも真っ直ぐに揺るぎないその瞳が嘘を言っているとは思えなかった。


 羽山の言葉を聞く前から、同じように気になっていた。

 友達とか、先輩を越えて、いつの間にか存在に惹かれていた。


 気付いていた感情を改めて意識すると頬が熱くなる。居ても立ってもいられなくなり、羽山の腰に腕を伸ばして小柄な身体を抱き寄せた。


「浩司……?」

「壱先輩、俺と鬼ごっこしてくれませんか? 俺が勝ったら、連絡先交換してください」

「——ッ?! お、俺が勝ったら……?」


「俺の気になってる人、教えますよ」





 

 羽山と出会うまで、誰かと過ごすことに興味もなかった。

 でも今は知りたい。もっと、彼のことを。

 いつから気になっていたのか。もっと、話がしたい。



 二人の青春は、今始まったばかり。

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先輩の遊びから始まる1ページ @tumupin

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