四章
第25話 来客たち1
国王の祝祭から三日が経ったうららかな昼過ぎ、ネイトは机に向かい、午前中にジョセフから出された課題を粛々とこなしている。
しかし、いつもとは違う部屋の雰囲気に、ネイトは眉根を寄せ、問題を解く手を止めた。
「うるさいんだけど。静かにしてくれる?」
ネイトの呆れた眼差しの先には、紅茶のカップを手にしたミラーナが椅子に座っている。
ミラーナの傍らにエルザが立っていて、ふたりは笑い声を交えながら会話に花を咲かせている。
「ごめんなさい。静かにするわね」
すぐさまミラーナはネイトに謝り、エルザも申し訳なさそうな表情を浮かべた。
気まずそうに紅茶を飲み干したミラーナが、「もう一杯いただけるかしら」とエルザにお願いする。エルザは快く頷いて、すぐに動き出した。
(俺の部屋じゃなくて自分の部屋で飲めばいいのに。母さん、いつまでここにいるつもりだろう)
ネイトは心の中でため息を吐くが、テーブルの上に置いてある大量のお菓子に目が行くと、ミラーナを追い出す気にもなれず、再び問題を解き始めた。
『私についてきてくれないかしら。一緒にあの家を出て、母さんの実家がある田舎で暮らすの』
ふと、カメリア教会からの帰り道にミラーナから言われた言葉が脳裏に浮かんだ。
結局あの時、なんの返事もできなかったため、ネイトはミラーナと顔を合わせるのを気まずく思っていた。
しかし、そんなばつの悪さを打ち破るように、ミラーナ自ら大量のお菓子を持って部屋にやって来たのだ。
そしてなぜか、こうして紅茶を飲みながらエルザとお喋りして、一時間以上もネイトの部屋に居座り続けている。
若干、声の音量を落としつつ、ミラーナはお喋りを再開した。
「それでね、ネイトのオカリナが話題になっているせいか、どこで聞けるのかってカメリア教会に多くの問い合わせがきているみたいなの」
「そうなるのもわかります。とってもお上手でしたものね。私は吹けると思っておりませんでしたから、ものすごく驚きましたが」
エルザのひと言にネイトはぎくりとする。
(しまった。確かに、初めてオカリナを手にした子どもが、それなりに吹けてしまうなんて、どう考えてもおかしいよな)
しかも、五歳のネイトにとっては、オカリナどころか楽器に触れること自体が初めてだった。
後先考えず行動してしまった三日前の自分に文句を言いたくなるのを、ネイトはぐっとこらえる。
どうにかして誤魔化さなければと必死に考え始めたところで、ミラーナがひと言であっさりと片付けた。
「ネイトはね、天才なのよ」
「ええ。私も最近、ネイト坊ちゃんに限りない才能を感じております」
(ちょっとふたりとも、大真面目な顔で変な発言しないで……まあズレていてくれて、俺は助かったけど)
本気の口ぶりでそんなことを語り合っている大人ふたりへ、ネイトは憐みの目を向ける。
「しかもね、みんな口をそろえて、あの美形の子って言うらしいわ。もう大評判よ!」
「わかります。ネイト坊ちゃんに末恐ろしい色気を感じる時があります。大人の私でもどきっとさせられるくらい魅力的です」
「わかるーー! 五歳児の色気じゃないわよね!」
興奮と共にミラーナたちの目の輝きが増し、声もどんどん大きくなっていく。
(……俺には止められそうにない。もういいや)
そう悟り、ネイトはペンを置いて席を離れた。
喉の渇きを潤すべく、コップが置いてあるテーブルに近づいていくと、ミラーナがいち早く反応した。
「お勉強、終わったのね?」
「え、いや。まだ少し残っているけど、休憩したい」
「そうね。そろそろ休憩しましょう。どうぞ座って、これでも食べて!」
コップを掴み取ろうとしていたネイトの前へ、ミラーナが小さな箱を置いた。
「ルナリータルトだ」
中身が好物だったことにネイトの声がわずかに弾み、それにミラーナは嬉しそうに微笑んだ。
「そうよ。この前、食べ損ねちゃったでしょ? だからネイトに食べてもらいたくて買ってきたのよ」
「……あ、ありがとう」
さっそくネイトはルナリータルトをひとつ掴み取り、ひと口頬張る。
「うん。美味しい」
唇が柔らかな弧を描く。穏やかな面持ちで感想を述べた後、しっかり味わいながらも、あっという間に食べ終える。
そこでネイトはミラーナとエルザが目を見開いて自分を見つめていることに気づき、怪訝そうに眉根を寄せた。
「な、なに?」
ミラーナは震える指先で摘まみ上げたルナリータルトを、ネイトの口の前まで移動した。
「はい。あーん」
キョトンとして数秒後、ミラーナが自分に食べさせようとしていると理解し、ネイトは一気に嫌そうな顔をする。
「本気?」
「いいから、お食べ。そしてもう一度、その幸せそうな顔を見せてちょうだい」
どうしても食べさせたいらしく、ミラーナがルナリータルトを口元に押し付けてきた。ネイトは手で押しやってから、膨れっ面で言い放つ。
「子ども扱いしないで」
途端、ミラーナが歓声を上げた。
「きゃーー! ネイト様! 顔も声も言い方も、すべてが尊い!」
「……様って……母さん、もっとしっかり医師に頭を診てもらった方がいい」
ネイトは再度憐みの眼差しをミラーナに向けたあと、コップへと手を伸ばした。
ごくごくと水を飲んでいる最中、窓の向こうで手を振っているドレイクと目が合い、ネイトは動きを止める。
(来るなって言っているのに、なんでまた来るんだよ。嫌がらせか)
ドレイクはどうやら窓を開けて欲しいらしく、身振り手振りで訴えかけてくる。ネイトは気づかなかった振りをして、そっと視線をそらした。
(開けなければ、諦めて帰るだろう)
そう考えてのことだったが、次の瞬間、どんどんと音がし始める。
慌てて窓へ視線を戻すと、ドレイクの横にリリンナもいて、遠慮なしに窓を叩いていた。
明らかに、彼女の視線はテーブルの上のたくさんのお菓子に向けられている。
(……あの様子だと諦めなさそうだな)
それどころか、満足いくまでお菓子を食べてからじゃないと帰らないだろうと予想し、ネイトは諦めの気持ちと共にコップをテーブルに置いた。
「あら。この前の精霊さんたちじゃない!」
ネイトが窓に向かって歩き出すと、ミラーナも精霊たちの姿に気づいて嬉しそうに笑い、エルザは驚きに満ちた表情となる。
「なんで来たんだよ」
ネイトは台に乗って窓を開けると、ドレイクとリリンナに不満をぶつける。
しかし、二体の精霊はさらりと聞き流し、「お邪魔します」と部屋の中へ元気よく飛び込んでいった。
大きくため息を吐きつつ窓を閉めようとした次の瞬間、ネイトは庭の隅にある物置小屋へと素早く視線を移動させる。
(誰の視線だ)
そのあたりから感じたのだが、姿も気配も感じられず、ネイトは首を傾げた。
(……気のせいか?)
腑に落ちなかったが、何もない以上そう結論付けるしかなく、ネイトは窓を閉めた。
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