第15話 偉大なる爺様精霊

 十九才の時の癖か、咄嗟にネイトの手が腰に移動する。

 しかし、もちろんそこには将来持つことになる剣はまだなく、指先が虚しく空を切った。

 ネイトは丸腰であることに心の中で舌打ちしつつも、今にでも攻撃を仕掛けてきそうなルイモールから目をそらさずに、ベンチから腰を浮かす。


(やる気か)


 軽く奥歯を噛みしめた瞬間、ネイトの左目を突き刺すような鋭い痛みが襲う。

 苦痛の声が口から零れ落ちると共に、背中を丸めて左目を手で押さえた。


「ねえちょっと、君、大丈夫?」


 女の精霊の問いかけに反応を示せないくらい、ネイトに余裕はない。


(この痛み……あの時と同じ……ルイモールのやつ、やっぱり俺に何かしたのか?)


 二回目の魔力鑑定の時も今も、ルイモールに目立った動きはないが、痛みはそっくりなため、なにかの魔法が発動した可能性が高い。


(なんの魔法だ)


 ネイトは荒い呼吸を繰り返しながら目をおさえていた手をおろして、木の上にいる相手へと疑念の眼差しを向ける。

 ルイモールはゆっくりと剣の柄から手を外し、怪訝そうな表情でネイトを見ている。

 続けて、隣にいる老体の精霊へと視線を移動した瞬間、ネイトははっとし、一気に表情を険しくさせた。


(ルイモールじゃない。あいつか?)


 老体の精霊は驚いた顔をしていたが、ふっと笑みを浮かべると、興味深いとばかりに目を輝かせていく。


「お前、俺に何をした」


 唸るように発したネイトの声はしっかりと届いたらしく、老体の精霊は笑みを深めて、手を払うような仕草をした。

 すると、左の視界のみ靄がかった状態となり、老体の精霊とルイモールの姿がゆっくり消えていった。


(去ったのか……いや、まだいる)


 気配は手に取るように感じられるため、姿を見えなくされてしまったのだと判断する。

 ネイトが警戒心を強めたところで、横からちょんちょんと肩を突っつかれた。


「ねえ、私の声聞こえているんでしょ? 心配してあげてるんだから、反応くらいしてよ」


 そこでようやくネイトは女の精霊へと意識を向けた。

 腰に手を当てて膨れっ面をしている彼女の傍らには、神妙な面持ちのドレイクもいた。


「……なんとか痛みは耐えているけど、見ての通り、大丈夫ではない……心配してくれているなら、あの爺さんにやめろと言え」


 ネイトがふたつの気配に向かって指をさすと、女の精霊はぎょっとし目を大きくさせた。


「あなた、ルイモール様とエイモン様が見えているの? お二方とも姿を隠されているっていうのに嘘でしょ?」

「さっきちらっと見えただけ。今はもう見えない」


 責められていると勘違いしそうになるほど、女の精霊がネイトに詰め寄る。

 ネイトが面倒くさそうに補足すると、ドレイクが勝ち誇った様子で話に割って入ってきた。


「ほら、だから言っただろ! こいつは、俺が姿を消していても見えるって」

「それはドレイクが気配を消すのが下手すぎだからでしょ。でも、あのふたりが見えているとなれば、話は変わってくるわね!」


 女の精霊が容赦なく放った言葉に、ドレイクは「なんだと!」と頬をひきつらせた。

 ネイトはドレイクをほんの少しだけ気の毒に感じながらも、女の精霊に問いかける。


「あの爺さんは何者?」

「爺さんじゃなくて、エイモン様ね。あの御方は数多の魔法を使いこなす大魔法使いであり、多くの知識を有して私たちに正しい道を示される賢者でもあるわ。ものすごく偉大な方なんだから、ちゃんと敬意を払ってちょうだい」

「へえ、あの爺さん、そんなにすごい精霊なんだ……あ、爺様」


 ネイトはちらちらと木の上を見ながら呟く。しかし、女の精霊にじろりと睨みつけられたため、すぐさま言い直した。

 苦笑いを浮かべたネイトに、女の精霊は渋い顔で「まあ、それでいいわ」と頷いたあと、気を取り直すように話し始めた。


「不思議ね。こうしているとあなたからあまり魔力を感じないのに、実際はそうじゃないみたい。器用に力を隠しているって訳でもなさそうだし、ただ単に魔力をうまく生み出せていないってところかしら?」

(魔力を生み出せていない。……なるほど。言われてみれば、そうかもしれない)


 ネイトは左目の痛みがようやく和らいできたことにホッとする一方で、自分の右手へと視線を落として納得する。


 十九年の間、思うように魔法を発動できなかったことは、数えきれないくらいたくさんあった。

 戦いの場は剣術で補えもしたが、生活の面ではそうはいかない。

 夜、身を隠すようにして逃げ込んだ洞窟の中、所持していた魔石を火の魔法で温めて、暖を取ろうとした。

 しかし、火魔法を放ち続けるのが難しく、結局魔石に熱を込めるまでに至らなかったため、寒い思いをしながら一晩を過ごしたのだ。

 その時ネイトは、生活魔法もままならない己の無能さに心底辟易した。


 しかし今、当時を振り返り、『魔力をうまく生み出せていない』状態だったと考えると妙にしっくりくる。


(……仮にそうだったとしても、わかったところでどうしようもないけどね)


 改善方法がわからない以上、無能からの脱却は難しい。

 心をじわじわと蝕んでいく重苦しい感情に、ネイトが憂鬱さを覚えていると、女の精霊が硬い声音で言った。


「秘めたる素質、末恐ろしいわね。成長したあなたが私たちの敵にならないことを祈りたくなるわ……って、ミルツェーア家の人間だし、祈るだけ無駄かしら」


 最後に添えられたひと言で、彼女の眼差しが鋭くなる。言葉の真剣さが増した気がして、ネイトは気まずさから視線をそらした。


(俺だって繰り返さずに済むならそうしたい。罪もない人や精霊を殺めたいとは思わないけど……)


 父という逃れられない鎖に体をきつく締め上げられている感覚に陥りかけた時、ネイトの耳が微かな音を拾った。

 屋敷の裏手にある門が、ギイっと不快な音を立てながら開いたのが聞こえたのだ。

 即座にネイトは表情を強張らせ、ドレイクと女の精霊へ小声で告げる。


「ふたりとも、今すぐここから消えろ」

「なによ。怒ったの? 子どもだから何も知らないかと思っていたけど、もしかして、もうすでにいろいろ把握しているのかしら。痛いところを突かれたとでも……」

「静かにしろ!」


 ネイトに強い口調で遮られ、女の精霊は不満げに言葉を飲み込んだ。


「あいつに見られる前に逃げてくれ」


 急かすようにネイトが告げると、精霊ふたりも屋敷の裏手から近づいてきた足音にようやく気づき、そちらへと視線を向けた。

 建物の陰からぬっと姿を現した荒くれ者風の男の姿を確認し、ネイトは唇を噛む。


(父さんの手下)


 ドレイクは男が放つ野蛮な雰囲気から何かを感じ取ったらしい。

 怪訝な表情を浮かべている女の精霊の腕をすぐさま掴んで、ふたり一緒にその場から姿を消した。

 ほっとしたのも束の間、男の目が真っすぐネイトへと向けられる。

 探るように目を細めたその表情から、精霊の気配に気づかれてしまったのが読み取れた。


 この男はゴードンの手下のひとりで、のちにネイトが命令を遂行する際に、何度か行動を共にすることになる。

 たくさんいる手下たちは、みんな粗野な見た目の者ばかりで、ゴードンは彼らがミルツェーア家の敷地内に足を踏み入れることを決して許可しなかった。

 しかし、この男だけは別だった。この男が、精霊の誘拐を主に行っているからだ。


 ゴードンがすでに精霊で金儲けをし始めているなら、この男も動いていると思って間違いないだろう。

 そんな相手に精霊との繋がりをかぎ取られるのだけは避けたいと、ネイトは冷静に状況を判断する。


(大丈夫。姿までは見ていないはず。気配ぐらいなら誤魔化せる)


 ネイトは何気ない様子を装いながら、近くの花壇へと視線を移動した。


(このままどこかへ消えてくれ)


 その思い虚しく、男の足音がネイトに近づいてくる。すぐそばまで来ると、軽い口調で話しかけてきた。


「ああ、これは坊ちゃんじゃないですか。こんにちは。ゴードンさんに会いに来たんだけど、いるかい?」

「お父様の姿は見ていないです。でも僕が気づいていないだけで、どこかにいるかもしれない。ごめんなさい。わかりません」


 申し訳なさそうな顔までしてその場をやり過ごそうとしたが、男は下卑たにやけ顔を崩さぬまま、一歩踏み込んできた。


「そうか……ところで今、誰と話をしていた?」

「は? ただの独り言だけど」


 鼻で笑ってそう答えると、男はネイトの態度にカチンときたらしく、すっと表情の温度下げた。


「おい坊主……」

「ネイト坊ちゃん、お待たせしました!……あの、どちら様ですか?」


 タイミングよくやって来たエルザに不思議そうに話しかけられ、すぐさま男は嘘くさい笑みを顔に貼り付ける。

 そして、ネイトをちらりと見た後、「ゴードンさんに会いに」と言ってエルザに向かって歩き出した。

 そんな男の後ろ姿を見つめながら、ネイトは出かかったため息を飲み込んだのだった。



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