一緒にいようね

葛瀬 秋奈

9

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 息苦しさに耐えかねて目を覚ますと、弟が私の顔をのぞき込んでいた。彼の寝床は二段ベッドの上段なので、下におりようとして苦しむ私に気づき心配したのだろう。私が起床したのを確認して安心したように微笑む。


「おはようございます、お姉ちゃん」

「おはよう、ミカ」


 黒髪直毛の私と違って全体的に色素が薄い天然パーマな我が弟の名は御影ミカゲという。ネーミングセンス皆無な父のせいで小学校でのあだ名が「ミカルゲ」になってしまった不憫な子だ。あだ名を付けた子は翌日からなぜか学校に来なくなったそうだが。



「お姉ちゃん、うなされてたけど大丈夫?」


 朝食を食べていると、改めて御影ミカゲが尋ねてきた。


「ああ、あれね、夢の中で誰かに刺されてリアルに痛かった」

「えっ、どうして」

「わかんない。しいて言えば『異世界転生に断罪要素は必要ですか?』って聞いたかも」

「……もしかしてまた小説書いてる?」

「ダメかな」

「お姉ちゃんにライトノベルは向いてないよ。詩とか短歌とかだけ書いてればいいのに」


 ハァ、と御影ミカゲはわざとらしく大げさにため息をついた。なかなか痛いところをつかれたのでぐうの音もでない。しかしやたらと人を正論で殴りたがるというのは、もしや反抗期だろうか。


「……ちょっと前まで天使みたいだったのに」

「なにか言いましたか?」

「なんでもない」

「人間はね、いつまでも天使や妖精みたいに純粋な子どもじゃいられないんだよ」

「しっかり聞こえてるじゃん!」


 小学生はまだ十二分に子どもだろう。背丈はそろそろ私を追い抜きそうだが。


「まあ、お姉ちゃんが妖精になったらボクが養ってあげるけど」

「いらないよ別に」


 妖精になったら、ってどういう想定だ。姉をペットみたいに飼おうとするな。そう言うと御影ミカゲは「やれやれ仕方ない」みたいな顔をして無言で首を横に振った。解せぬ。


「ところで今日出かけるって言ってなかった? 時間大丈夫?」

「全然大丈夫じゃないや。ごめん、着替えてすぐ出るから後片付けお願い」

「うん、いってらっしゃい……気をつけて」


 支度もそこそこに慌てて家を出る。今日は友達の家で勉強会の約束をしていた。



 勉強会が終わって友達の家から帰る途中に雪が降ってきた。傘もないので急ぎ足になった矢先、自宅近くで見知らぬ黒猫に遭遇した。


 チチチ、と舌を鳴らして呼び寄せると、その場を動かず甘えるような高い声で鳴いて寝転がる。見たところ首輪はないが、毛ヅヤもいいのでどこかの飼い猫が逃げ出したのかもしれない。


「君はどこの子かな? こんな道路で寝ころんでると危ないよ。おうちにお帰り」


 声をかけながら近づこうとすると、黒猫は弾かれたように走り出した。うっかり私も反射的に追いかけてしまう。交差点の死角から自動車が来ていることにも気づかずに。



 視界の端に車をとらえた瞬間、咄嗟に目をつぶってしまったが、覚悟していた衝撃が一向にやってこない。


 不思議に思って目を開けると世界が静止していた。車は止まっていた。猫も止まっていた。降っている雪すらも止まっているのに、私だけが動いていた。いや、違う。私だけじゃない。


「雪を心配して迎えに出てみれば……本当に、あなたって人は」


 いつの間にか、交差点の角に傘を持った少年が立っていた。深緑のパーカーに色素の薄い髪と肌。御影ミカゲだった。


「僕がいなきゃどうなってたことか」


 でも、つかつかと歩み寄って安全な場所へ手を引く彼は声も口調もいつもの御影ミカゲより大人びている。


「ミカ……なの?」

「はい」

「違うよね。だってミカは賢いけど私の弟で普通の子だし、こんなことできるわけない」

「取り替え子と魔法使いならどっちの方が信じられる?」

「どっちも信じないよ」

「じゃあ信じなくていいよ、今までみたいに全部忘れなよ。ずっとそうしてきたんだから。僕はもう慣れた」


 御影ミカゲが私を片手で抱き寄せて、空いたもう片方の手で私の両目を塞ぐ。


「やだ、何するの」

「ごめん、受け入れて。一緒にいるために必要な措置なんだ。きっと今度こそちゃんと助けるから」


 視界が暗くなる。手のひらから熱が伝わってくる。少し熱い。少しずつ、少しずつ眠くなってくる。意識が刈り取られる。


 だんだん記憶が曖昧になる。


 とてもねむい。



 息苦しさに耐えかねて目を覚ますと、弟が心配そうに私の顔をのぞき込んでいた。


 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

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