ケロイド
鴻 黑挐(おおとり くろな)
第1話
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
「……!」
夢の中で悲鳴を上げて、俺は布団を放り投げた。三月の半ば、震えるほど冷え込む夜が来る時期には、決まってあの夜の夢を見る。
炎の爆ぜる音、熱風、消防車のサイレン、中学一年生の春休み。
―
うずくまって丸めた背中の上。風呂のフタをドン、ドンと叩く音。
違う。それは炎が爆ぜているだけだ。父も母も祖母も、遺体が見つかったのは寝室だった。誰も俺に助けを求めにこなかった。
―開けてくれぇ、開けてくれぇ―
分かっている。分かっているのに、それでも俺は。
―助けてくれ、閃光―
家族を見捨てて生き残る自分を、夢に見る。
「っ……!」
ついさっき見た夢の残像を辿っていると、背中が脈打つように痛んできた。
「薬、薬、っと……」
枕元に置いた救急箱からクリームを取り出す。
「うー、寒」
寝巻きの上を脱ぐ。背中の皮膚はほぼ全面がケロイドになっていて、10年近く経った今でもまだ引きつって痛む。だから、時折こうやって痛み止めのクリームを塗ってやらなければいけない。
こうやって夜中に一人で背中に薬を塗っていると、心の空洞に隙間風が吹き込むような心地になる。
家族と家を失った俺は、高校を卒業するまでの5年間を児童養護施設で過ごした。アパートの近くに捨てられていた郵便局の通帳だけが、俺に残された全てだった。
(どうしてこんなことになってしまったんだろう)
家に火をつけたのは、姉ちゃんだった。『状況から見てまず間違いない』と、刑事さんからそう伝えられた。
『閃光。一緒に東京に行かない?』
『行かない』
『どうして?』
『だって、学校あるし』
『……そう』
思い返せば、あれが姉ちゃんとの最後の会話だった。あの時、きっと姉ちゃんは俺にイラついていた。
(お前まで、私を蔑ろにするの?)
だって、そんな事を言いたげな目をしていた。
『どうして大学に行っちゃいけないの⁉︎』
『そうは言ってない。ただ、
『私が女だから⁉︎だからこの町で死ねって事⁉︎』
『そんな話はしてない。ただな、父さんはお前のことが心配で……』
オヤジもオフクロも姉ちゃんの事を心配していた。夏休みには遊園地に連れて行ってくれたし、誕生日にはでっかいケーキと欲しかったゲームを買ってくれた。クラスのみんなに自慢したいくらいの優しい両親だった。
でも、その優しさは姉ちゃんには伝わっていなかった。
『閃光はいいよね。長男だもの、弟だもの、後継ぎだもの。なんでもやりたい事やらせてもらえて』
ソファーでくつろいで誕生日に買ってもらったスマホをいじりながら、姉ちゃんはそんな事を言っていた。
姉ちゃんは『自分が世界で一番可哀想だ』と、そんなふうな態度で生きていた。
だから姉ちゃんは東京に出て行った。
寒い朝でも仕事は行かなきゃならない。
「おはようございます」
ごみ収集の仕事はキツいし辛いけど、顔のヤケドを隠すためにマスクをつけていてもイヤな顔されないのは好きなところだ。
「柏木ぃ、元気か?」
「まあ、そこそこっすよ」
『柏木』と書かれたネームプレートを見ると、あの夜の事を思い出してめまいがする。
(姉ちゃんはあの夜出て行った。……俺はいつ、あのアパートから出ていけるんだろうか?)
血の気が引いた唇をマスクの下で噛み締めて、俺はトラックに乗り込んだ。
ケロイド 鴻 黑挐(おおとり くろな) @O-torikurona
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