第4夜 ベビーベッドの中
「たぶん、召喚事故だと思うのよね……。もしそうなら、最低限の住むところと、何かしら仕事は斡旋してもらえると思うけど」
「仕事? 元の世界に戻せたりはしないんですか?」
「私も協会所属の魔法使いだけど……召喚事故の後、自分の世界に戻ったっていう話は、聞いたことがないわ。……ごめんなさい」
エミリアはとても言いにくそうに、慎重に言葉を選びながら言ったようだった。
「そっか……」
戻るという選択肢自体、存在しないのかもしれない。
ちょうど家を出ようとしていたくらいだし実家に未練はないけれども、友人や日本での生活は恋しくないわけではない。
正直、複雑な気持ちだ。
しかし、いつまでもルカやエミリアに迷惑をかけ続けるわけにもいかない。
ならば、この世界で自力で生きていく覚悟を決めなくては。俺は短く息を吐いた。
「その魔法協会って、どこにあるんですか?」
「町にあるわ。ここからそれほど遠くないわよ」
「明日は僕も仕事で町に出るから、明日でもよければ魔法協会の前まで送ってあげようか。今夜もうちに泊まっていいから」
「いいんですか?」
「行くところもないんだろ。乗りかかった船だしね」
異世界に来て、見ず知らずの夫婦にこんなに良くしてもらえた俺は、かなり運が良い方なのかもしれない。
「本当に助かります……。ありがとうございます」
あの時ゴブリンにやられていなくて本当によかった。
ゴブリンってあんまり強くないイメージだったけれど、丸腰で武術の心得もない俺には倒せる気がしない。
今思い返しても結構ゾッとする。
「ひぇーん」
その時、ベビーベッドの中のミーニャが泣き始めた。
「あら、ミーニャがお腹すくにはまだ早いけど……やっぱり
エミリアが手を拭いてベッドの方に歩いていき、ミーニャを抱き上げてあやし始めた。
「痒い?」
「ああ……。なぜか何度もミーニャの手足や顔が真っ赤になるんだよ。昨夜森でソータを見つけたのも、町の診療所に行った帰りだったんだ」
エミリアに抱き抱えられたミーニャの頬は、確かに少し赤かった。
「医者には赤ん坊によくある肌荒れだろうって言われたけど……妙に繰り返しているんだよね」
ルカは顎に指を当てる。医者の診断に納得していない様子だ。
「食べ物は? アレルギーとかじゃないんですか?」
「アレ……何だって?」
ルカが首を傾げた。
どうやらアレルギーの概念が無いようだ。
「ミーニャはまだ母乳しか飲んでいないよ」
「そうですか。……お腹や背中は赤くならないんですか?」
「そっちは大丈夫なんだよね」
なるほど。
赤くなるのが手足や顔に限られているなら、何か物の接触が原因だったりするのだろうか。
「……」
ベビーベッドに置かれたぬいぐるみが気になった俺は、椅子から立ち上がり、近づいてぬいぐるみに手を伸ばした。
「!」
ざり、と布越しに予想と違う感触が触れる。
ぬいぐるみを持ち上げてみると、見た目よりもずしりと重く、中に詰められた物がシャラシャラと音を立てる。
「これ……中身はそば殻ですか?」
「え? ああ、そうだよ。そのぬいぐるみは
「なるほど……」
そばは痩せた土地でも乾燥した土地でも育つ。
育てやすく収穫も早いため、俺のいた世界でも世界中で作られて様々な料理の材料として使われていた。
ロシアのブリニ、イタリアのピッツォケリ、フランスのガレット。副産物として出るそば殻も様々な用途に使われる。
そして、どうやらこの世界にもそばの実があるようだ。
ぬいぐるみの中身に使われていたのは意外だったが。
「ルカさん。念のため、このぬいぐるみをミーニャの近くに置くのをやめてもらってもいいですか」
「え、どうしてだい?」
「俺のいた世界でも、そばアレ……そばが身体に合わない人は、そば殻の枕に反応して肌が荒れることがあったんです。そばが原因かどうかはまだ分かりませんが、念のためやめてみてもらえませんか」
「……ふぅん? 君の世界ではそうなのかい。わかった。そういうことなら、そうしてみようか」
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