第10話 ホワイト医師はリチャードと話す

 ホワイト医師の診療とメカニックトゥー探索の簡単な報告を終了したPZはサブマシンガンを抱えながら、地面に直接座って寝始めた。少しでも疲れを取れるように。いつでも出撃ができるように。


「おお。もう寝てるのか」


 デイビスはホッとするような笑みになりつつ、貴重な休息を取っているPZに近付く。何もかもの色素が薄く、人によったら気味の悪い男と見られがちな男だ。アメリカの州の一部の法律上、成人している年齢に達しているが、寝顔はだいぶ幼くなっていた。


「ベッドで休めって言ってもこれだからな」

「カンペ渡しておいて正解だった」


 機械整備や医療のスタッフの声を聞いたデイビスは彼らにサムズアップをする。


「少しでも多く、彼奴を休ませてくれてサンキューな」


 明るく礼を言いながら、デイビスは少年リチャードを探し始める。何度も顔を動かしていることに気付いた眼鏡のスタッフが聞く。


「何かお探しで」

「リチャードはどこにいるんだ。このテントにいないみたいだけど」


 眼鏡のスタッフは無言でリチャードがいる方向を指す。その先にタブレット端末に睨めっこをしているようなリチャードと、そのリチャードを撮影している女性スタッフがいる。


「アメリカ国籍持ちだから、リチャードのデータを探してるんだよ。膨大な量だけど、住んでいた州の名が分かっているだけマシかな」


 彼の言葉でデイビスは納得する。


「ああ。だから撮影とかもしてるのか」

「成長してるからね。見比べて合致するかどうかを見るって感じだ。あとはDNAも鑑定すれば、本物のリチャード・チャンだと証明ができる」

「つまりそれさえ達成できれば、彼奴は帰ることが出来るってことだ」


 視線に気付いたリチャードが手を振る。デイビスも手を振る。


「リチャード・チャンの証明はいつ終わる?」


 真面目な声でリチャードを撮影していた女性スタッフに聞く。


「三日はかかりますね。遺伝子検査は整った施設でないと出来ませんから」

「それはしゃあないか」


 笑いながら、デイビスはリチャードを目で追いかける。彼の予想通り、リチャードはPZのところにいた。


「リチャード。ちょっといいか」

「なに?」


 デイビスが声をかけると、リチャードは可愛らしく傾げた。


「ホワイト医師から話があるってよ」

「でもピーターを放っておけない」


 心配性のリチャードの髪を乱暴に撫でる。リチャードはデイビスの手を追い払おうとする。猫とじゃれるように遊ぶデイビスは安心させるような言葉を使う。


「安心しろ。PZの単独任務が終わってるわけじゃねえ。離れたりしねえよ」


 リチャードは何かに縋るような、か細い声を出す。


「……本当に?」

「夜だからな。今から別の任務に行けと指示を出したところで、周りの交通が止まってるし、足での移動も危険が伴う。奴らもそれは理解してるから、何もしねえのさ」


 更に具体的なことを聞いたことで、リチャードは安心するような表情になる。


「だからホワイト医師のところに行って話をしよう」


 デイビスは明るい兄貴部分から真面目な男に切り替わる。雰囲気を感じ取ったリチャードは静かに頷く。


「ピーター。行ってくるね」


 PZに声をかけ、少年はデイビスに付いていく。ホワイト医師がいるテントに入ると、甘い香りが充満していた。


「おいおい。ホワイト医師。いくら何でもリラックスし過ぎじゃねえか?」


 呆れているデイビスの発言に、ホワイト医師は否定する。


「リラックス目的ではない。このココアはリチャード君のものだからね。お前のものはないよ」

「ケチ」

「さっきチョコを食っただろ」


 軽快なやり取りをしながら、医師は少年にココアが入ったマグカップを渡す。その後は折り畳みの椅子に座るように手で促す。小さく頷いた少年はその厚意を受け取る。そっと口に入れて、ごくりと音を鳴らす。


「ありがとう。美味しい」

「良かった」


 素直な感想に医師の頬が緩む。それも一瞬だが。


「おっと。緩んではいけないね。改めて初めまして。リチャード・チャン。ローマン・ホワイト。ピーター・ジールが乳幼児だった頃から見守って来た、しがない医師だ」


 自己紹介をしつつ、医師は右手を前に出した。リチャードはそれに応じる。


「初めまして。リチャード・チャンです。よろしくお願いします」


 握手を交わしながら、リチャードは医師の顔を窺う。視線に気付いた医師は優しい声を使って、受ける態度を示す。


「聞きたいことがあるなら遠慮なくどうぞ。流石に守秘義務があるから、限度はあるけど」

「……それでは遠慮なく。今のピーター・ジールの容態をどう思っているんですか」


 医師は真剣な顔で少年の質問に答える。


「正直言って、ドクターストップをかけたい。オーバーワークをしている状態でね。生まれ付き回復力が高いから、どうにかなっている所も大きいんだ」

「もし現状が続いたら」

「間違いなく倒れるだろうね。いや。死ぬリスクだってあり得る」


 見解を聞いたリチャードは拳に力を入れる。何となく察した医師は仕掛ける。


「初対面という割に、やたらとピーターに好意的だね」


 リチャードの小柄な身体が跳ねて、頬が一瞬で赤くなる。その変化を見たデイビスはニヤリと笑う。


「なんでそう……思ったの?」


 震える声にホワイト医師は老齢に近いからこその余裕の笑みを見せる。


「場数を踏んでるからね。一応私は六十代だし。恋も結婚も子育てもした身だ。ある程度はなんとなあく分かる」


 小休止を挟むように、医師はコーヒーをひと口だけ飲む。


「ピーターの身体を診て、すぐにあれだなと理解したしね。赤い斑点と彼は表現してたあれは君が付けたんだね?」

「……はい」


 リチャードは恥ずかしいからか、小さく答えた。耳の先まで赤くなっており、湯気が出そうな程、熱くなっている。


「そのごめんなさい。こういうの感情はよくないっていうの、分かっているんですけど」


 同時に持っていた申し訳なさなどから、リチャードは必死に謝る。見ていた医師はクスリと笑う。


「謝る先がちと違うよ。リチャード君」

「……うん。だよね」


 やや委縮し始めている少年。医師は少しだけ様子見をする。少年の目が潤っている状態で涙が出そうになっている。どこかそわそわとしているのか、身体が揺れている。顔全体が赤く、熱くなっている。


「若いっていいねぇ」


 だいぶ歳を取っているからこその呟きをし、医師はチョコを中に入れる。ほぼカカオ成分という代物で、苦みが口の中いっぱいに広がる。少しだけクールダウンをする。コーヒーを再び飲みながら、言いたいことを整理していく。


「責めるつもりはないんだ。あくまでも年長者として意見を述べただけでね。個人的には」


 医師はワザと言葉を止める。不自然に止まったことで、リチャードも、デイビスも、瞬きをする。


「祝いたいぐらいだよ」


 ひゅーっとデイビスが口笛をする。


「分かるなぁ。彼奴に直接触れる奴なんて初めてだし」


 悪い笑みをする大人は両膝を曲げて、座っているリチャードと同じ目線にする。突然のことでリチャードはキョトンとする。悪い大人筆頭のデイビスは口角を上げて、少年の耳元で囁く。


「いっそ全ての初めてをお前が奪っちゃえよ」


 教育上よろしくない発言だったため、医師は右手で悪い大人の頭をチョップする。結構いい音が出ている。


「いて!?」


 デイビスは咄嗟に離れて、両手で頭を擦る。医師は真面目な大人として、正しいことを言う。


「君が良くないことを言うからだよ」


 医師の視線は当たり前だが、リチャードに移動している。


「奪う。全部。はじめ……て?」


身体を震わせながら、両手で口元を隠していた。その少年の目はどこかうっとりとしていた。


「俺……やっべえこと言った?」


 自分がやらかしたことに気付いたデイビスはリチャードを指した。医師はため息を吐きながら、再びデイビスにチョップをかます。今度は多少手加減をしている。ホワイト医師は痛みを堪えているデイビスをスルーし、リチャードの背中を軽く叩く。


「リチャード君、パニック状態になっている中で申し訳ないが」


 言われた少年はハッと現実に戻る。背後にいる医師に向く。


「うん」

「君はどうしたいんだ」


 医師ではなく、ローマン・ホワイトというひとりの人間としての問い。リチャードは真剣に考える。自分の胸の内にあるものは恋焦がれの熱。ダンジョン探索をしている時のPZを映像で見た興奮は生まれて初めてのものだ。自分が年下だからか。映画だと感じさせる遠い世界の出来事のように感じたからか。リチャードは横に振る。


 かっこいいと感じたことも事実だと少年は思っている。その一方で大人になる過程でどこか拾い忘れているようにもあった。加減ゼロのロボットが取った動きで、冷静な態度を取っていたPZが大きく戸惑っているところを見て感じたことだった。


「不思議だなぁ」


 管理者として、ロボットに回収命令を出して、間近でPZを見て、庇護欲が出始めていた。相手が年上なのに何故だろうと。放ってはおけないからか。別の何かがあるのか。少年は自問自答を繰り返す。


 尚……大人の二人が温かい眼差しで見守っていることに、リチャードは全く気付いていなかった。


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