感応の街の姑獲鳥

ナイカナ・S・ガシャンナ

おめでとう、ウバクティーラメトリ様

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 そこはとある街の中だった。恐らく日本の街ではない。西洋のどこか別の国のようだった。高層ビルや自動車のような近現代的な代物は一つもない、古風な街並みだった。そういうデザインなのか空間が歪んでいるのか、全ての建物は路地に向かって斜めに傾いていた。今にも崩れ落ちてきそうだ。


 そんな路地の真っ只中に私は突っ立っていた。

 これまでの9回、私は気付くといつもこの路地にいた。


 私の身体は毎回、私の意思によらず勝手に歩き始める。すれ違う街の人々は一見すると普通だ。だが、その会話をよく聞くと、皆が皆、奇妙な事を口走っていたのだ。


「おはよう御座います。おめでとう、ウバクティーラメトリ様」

「お疲れ様です。おめでとう、ウバクティーラメトリ様」

「ありがとう。おめでとう、ウバクティーラメトリ様」


 このように挨拶に関して必ず「おめでとう、ウバクティーラメトリ様」と付け加えるのだ。それは絶対のルールだった。


 しかし、私はウバクティーラメトリなるものを知らない。聞いた事もない単語が何故私の夢の中に登場するのか不思議だった。現実、目が覚めている間に調べたが、何も分からなかった。


 これまでに何度も余所者のふりをして通行人に「ウバクティーラメトリとは誰の事なのか」を尋ねた。だが、誰も答えてくれなかった。


「なんと、ウバクティーラメトリ様を知らないとは不幸な。ですが、御安心を。もうすぐです。もうすぐ貴方もウバクティーラメトリ様とお会いになられます」


 誰に尋ねてもそんな調子で、結局何も教えてくれなかった。

 私の足は勝手に歩き続ける。やがて私は礼拝堂らしき建物に辿り着いた。


「我らが神・ウバクティーラメトリの降臨を迎えよ、我らが主・ウバクティーラメトリの生誕を讃えよ」


 礼拝堂の中では祭司が天井へと手を掲げ、そんな文言を繰り返していた。


 祭壇の奥、ステンドグラスから陽光が差す中に巨大な女が鎮座していた。肌は石のような質感で、目は閉じられ、呼吸一つすらしない。初見であれば巨女の石像だと思うだろう。


 しかし、私は知っている。この巨女がただの石像ではない事に。

 この巨女は元々人型ではなかった。巨大な一個の卵だったのだ。


 最初に見た時には、卵らしいただの楕円形だった。


 2回目に見た時には、卵の一部が膨らんだり、凹んだりしていた。その時点では何なのか判然としなかった。


 3回目に見た時には、卵の表面に人の顔らしき形が浮かんでいた。そこでようやく卵の四つの膨らみが手足である事が判明した。


 4回目に見た時には、卵が前回よりも人の形へと近付いていた。


 5回目に見た時には、完全に人の姿になっていた。自分の腹部を両腕で抱いた妊婦だ。材質は卵のままで硬いのか、瞼はずっと閉じていた。なんとなくモナリザを思い出す風貌だった。


 ここまでの変化に留まっていれば、私はこの巨女を不気味に思う事はなかっただろう。


 6回目に見た時には、巨女の両腕は翼に変化していた。鷹のような茶色の羽根だ。


 7回目に見た時には、巨女の両脚がまるで蛸の触手のように枝分かれし、骨がなくなって、ぐにゃりとしていた。


 8回目に見た時には、二つだった目が六つに増えていた。


 そして9回目――今日に見た時には、顎が嘴に変化していた。背中には両腕の翼とは別にもう一対、骨が剥き出しの翼が生えていた。


「我らが神・ウバクティーラメトリの降臨を迎えよ、我らが主・ウバクティーラメトリの生誕を讃えよ」


 祭司は相変わらず同じ文言を繰り返していた。

 巨女は『ウバクティーラメトリの母』と呼ばれていた。となると、あの妊婦の腹の中にいるのがウバクティーラメトリとやらなのだろう。


 私の足は歩みを止めない。祭壇の前、巨女が鎮座するすぐ近くにまでやってきて、ようやく立ち止まった。

 巨女を見上げる。彼女は一体どこの誰なのだろう。何故私はこんな不気味で意味不明な夢を何度も見ているのだろう。そう考えたその時だった。


 唐突に巨女が六つの目を開いた。


 思わず息を呑む。六眼が私を見下ろす。瞬間、心の中が恐怖で満ちた。相手に認識されていないと思っていたから今まで平静を装えていられたのだ。認識されてしまえば、何をされるか分かったものではない。その不安が恐怖心を掻き立てた。


 怯え竦む私を見た巨女の口元が弧を描く。暗く、冷たく、嘲りに満ちた笑みだった。


「キョロロロロ……キョロロロァアアアアアァァァァァ――――ッ!」


 六つの目をバラバラの方向にぎょろぎょろと動かしながら、巨女は甲高い声を上げた。鳥の鳴き声のような高音だった。


 私は巨女が産気付いたのだと私は直感した。


 そこまでだった。そこまで見たところで私の目は覚めた。視界に映るのは普段と何も変わらない私の自室――変哲もない現実の世界だった。


 ところで、私は妊娠している。

 人間の妊娠期間は十月十日とつきとおかだと言われている。あの夢を見始めたのは妊娠が判明してから一ヶ月もしない内だった。そして、もう九ヶ月が終わる。


 あの夢と私の妊娠がどう繋がっているのか分からない。何も関係していないのかもしれない。いや、関係していない事を祈るばかりだ。あんな得体の知れないものの事なんて一刻も早く忘れてしまいたい。


 だが、次にあの夢を見た時、10回目になった時にどうなってしまうのかという恐怖がずっと頭の片隅にこびりついている。もし次があれば、あの巨女は出産するだろう。あの腹部から何が現れるのか。それが現実の私にどう影響するのか。想像したくもない。


 私の腹部はあの巨女と同じように膨らんでいる。もうすぐ我が子が誕生する。

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