横道トライバー

枕木 幕良

第1章:もしも君が歌うなら

第1話:ストレイガール

 雨が、降っていた。着の身着のままで家を飛び出してきた私の体には、小雨に過ぎないそれですら刺さるような寒さだった。

 何も考えずにひたすら歩き続けていた私が辿り着いたのは、ある空地だった。そこにはダンボールやブルーシートで作られたテントが建てられており、いわゆる路上生活者の人々が住んでいた。


「おあつらえ向きか……」


 自然と私の足はフラフラとそこへと動いていた。

 何もかもを捨てるつもりで家を出た私には、もう居場所と言えるような場所は存在していない。実家も学校も何もかもだ。それならば、社会からつま弾きにされてしまった人達が集うこの場所は、そんな私にピッタリだと感じた。

 その辺りに捨てられていた適当なビニール袋を手繰り寄せ、傘代わりに頭に乗せる。気休めにしかならなかったが、パツパツと響く雨音は私の心を包んでくれた。

 そうして冷えていく体を抱えて座り込んでいると、濡れた地面を踏みしめる足音が響いてきた。その足音は私のすぐ前で止まった。


「それ、わたしの」


 薄汚れた厚着に身を包んだ少女は、小さなビニール袋を重そうに片手にぶら下げてこちらを見下ろしていた。ぼさっとした長い黒髪は全く手入れされているようには見えず、一目でホームレスだと分かる風貌だった。

 少女はビニール袋からジャラジャラと不思議な音をさせながら片手を伸ばし、私の頭を守っていたそれを掴む。


「わたしの。返して」


 傘代わりのビニール袋を掴んだ彼女は、ジャラジャラと音を立てながら近くのダンボールで出来たテントの中へと入っていこうとした。あんな小さなビニール袋にしか興味を向けておらず、私にはこれっぽっちも興味が無いといった様子だった。

 寒空の中での雨を受けながら夜を明かすのは危険だと考えていた私は、せめて今日一日だけでも凌ぐために彼女に声を掛けてみる事にした。


「あ、あのっ……」

「なに?」

「私、住む所が無くて……今日だけでいいんで、泊めてもらう事っていいですか……?」

「なんで?」


 少女の声は聞いているだけで引き込まれそうになる不思議な波長だった。低いとも高いとも言えない音域で、そこにはこれといった感情のようなものさえ感じられない。しかし冷たい人という印象も抱けない奇妙さがある。


「私……かがり 灯火とうか。えっと、色々あって……家に帰れなくて」

「わたし、家ここ。狭いからわたしだけ。ばいばい」

「え、ちょっと……!」


 少女は私の事情など一切興味無しといった様子でテントの中へと入ってしまい、私は小雨降る寒空の下に取り残されてしまった。

 よくよく考えてみれば、自分の生活で精一杯であろう彼女からすれば、赤の他人である私の事情に構っている余裕など無いだろう。むしろ、一瞬でも助けてもらおうとした私が浅はかなのだ。まだ、信じようとして期待してしまっている。


「さむ……」


 せめて何か雨を少しでも凌げるような物がないかと立ち上がる。周囲には先程の少女が入っていったのと同じようなホームレステントがいくつかあり、様々な物が雑然と散らばっている。どれが誰のもので、どこまでが所有物でどこからがゴミなのか区別がつかないが、そこから使えそうな物を見つけなければ命に関わる事になる。

 ふらつき始めた足取りで探し始め、数分も経たない内にびしょびしょに濡れているタオルを発見した。何故まだ使えそうなタオルが外に出してあるのか不明だったが、今はそれを考える余裕も無い。


「こ、これで……」


 そのタオルへと手を伸ばした瞬間、立ち眩みがしてしまい私はバランスを崩して地面に倒れ込んでしまった。目当てのタオルを掴むことは出来たものの、それを自分の体に掛けることも出来ないほど体が言うことを聞かなかった。

 呼吸と意識が薄くなっていく中、聞き覚えの無い女性の声が私の耳へと入って来た。


「何だ、こいつ……。おい、お前大丈夫か? おい」


 返事を返すことも出来ず、ぼやけている視界に映るブーツを見たところで私の意識は冷たい闇の中へと落ちていった。

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