煩悩は力なり
沢丸 和希
第0章
1‐1.6歳の頃の思い出
僕が画家を志したのは、六歳の頃。
エドゥアール叔父さんに連れられて、美術アカデミーが主催する絵画コンクールの受賞作品展覧会へやってきた時だった。
展覧会には、叔父さんの作品が二つも飾られていた。一番下の三等賞だったが、それでも入選に変わりはない。
しかも入選した二つの内、一つは僕とギュスターヴ兄さんがモデルを務めた絵なのだ。
「ギュスちゃんとイレちゃんのお蔭で賞を貰えたよ」
という言葉が嬉しくて、芸術に何の興味もないのに見にきたわけだが。
「うわぁ……」
最優秀賞を受賞した作品の前で、僕は口を開けて立ち尽くした。
真珠のように滑らかな肌の女性が、海の上で横たわっている。
バラの花が挿された金色の髪は波に揺らめき、また女性の顔も半分ほど覆っていた。
頭上では、翼を持った裸の子供達が空を舞い、楽しげに笑っている。
「いやぁ、素晴らしいねぇ。流石は最優秀賞の作品だ」
僕と手を繋いでいたエドゥアール叔父さんは、のんびりと微笑んだ。
反対に、ギュスターヴ兄さんは珍しく真剣な顔で、前のめりとなる。
「すっげぇおっぱい……」
そう呟きながら、女性の剥き出しの胸を凝視した。それからくびれた腹や、ふっくらとした尻、滑らかな太ももと、彼女の裸を
周りにいた見物客や、アカデミー会員らしき偉そうな男性達も、じーっと見つめては、褒め言葉のようなものを言う。
「ねぇ、エドゥアール叔父さん」
僕は、叔父さんの手を引っ張った。
「あの女の人は、なんで海の上で寝ているの?」
「それはね。あの女の人は、女神様だからだよ」
エドゥアール叔父さんはその場にしゃがみ、目の前の絵を指差す。
「ほら、あの女の人は、髪にバラの花を挿しているでしょう? バラは、女神の象徴なんだ。その象徴を持つことで、絵の中の人物が誰なのかを説明しているのさ。こういうのを、アトリビュートって言うんだけどね? まぁ要は、バラを持っている女の人は、女神様だと思ってくれればいいかな。
因みに、背中に羽を持つ子供はキューピッドって言って、神様の使いとか、恋愛成就、つまり、好きな人と上手くいくよう、お手伝いしてくれる存在なんだ。そういう、人間ではない存在だからね。キューピッドは空を飛べるし、女神様は海の上に寝転がれるんだよ」
「じゃあ、なんで服を着ていないの? 女神様とキューピッドは、服を着ないの?」
「うーん、それは、とっても難しい質問だなぁ」
叔父さんは、眉を下げて曖昧に笑う。
「まぁ、昔からね。女神とか妖精とかは、服を着ていないものだってことになっているんだ。勿論、着ている女神や妖精もいるし、着ていたら駄目だとか、アトリビュート的にどうだとか、そういうわけではないんだけどね。でも、大体は着ていないかな。とても説明が難しいから、そういうものだと思って貰えると、ありがたいんだけどなぁ」
頼み込むような眼差しに、僕は渋々頷いた。
エドゥアール叔父さんはほっと胸を撫で下ろし、
「ありがとう、イレちゃん。じゃあ、次に行こうか」
と僕とギュスターヴ兄さんを連れて歩き出す。
優秀賞、特別賞、一等賞、二等賞、と順々に眺め、
「お、あったぞ、叔父貴」
兄さんが指差した先には、ドレスを着た僕と兄さんの絵があった。タイトルは『ジェネヴィーヴとイレイン』。ギュスターヴとイレールを文字って、そんな女装名が付けられている。
ノリノリでポーズを決めていただけあり、カンヴァスの中の僕達は、大層可愛らしい少女に変身していた。周りの見物客の評価も上々。三人で顔を見合わせ、にやにやとほくそ笑んだ。
しかし。
「なんだこれは」
隣から聞こえた声に、すぐさま表情を変える。
「何故このような絵が入選しているのだ」
「これを描いた者は、芸術のなんたるかを分かっていないと見えるな」
「モデルは恐らく娼婦だろう。欲深い人間の内面がよく表現されているよ」
すぐ傍に人だかりが出来ていた。誰も彼もが顔を顰めたり、鼻で笑ったりしつつ、目の前の絵を眺めている。
裸の女性が、ベッドの上で寝そべっていた。
ネックレスやブレスレットを付けており、胸元にはバラの花束を携えている。
脱げ掛けの靴を揺らしながら、まるで睨んでいるとさえ思えるほど力強い眼差しで、じっとこちらを見つめていた。
タイトルは、『夜の女神』。
その下には、叔父さんの名前が記されている。
「うーん、駄目かぁ」
エドゥアール叔父さんは眉を下げて、自分の絵と、それを酷評する人間を眺めた。けれど、傷付いている様子はない。ある程度は予想していた、とばかりに、小さく肩を竦めるだけ。
「今回はいけると思ったんだけどなぁ」
「いや、駄目じゃねぇよ、叔父貴。いいおっぱいだと俺は思う。入口のとこにあった絵のおっぱいといい勝負だ」
「あはは。ありがとうギュスちゃん」
ギュスターヴ兄さんの頭を撫で、叔父さんはいつものようにのんびりと微笑んだ。
「……ねぇ、エドゥアール叔父さん」
僕は、繋いだ叔父さんの手を揺らす。
「なんであの人達は、叔父さんの絵を悪く言うの?」
「んー、そうだなぁ。多分、裸の女の人を描いたからかなぁ」
「でも、さっき見た絵も、女神様が裸だったよ。キューピッドだって裸だった」
「あれはね、女神様とキューピッドだから許されるんだ。僕やイレちゃんが、裸でその辺を歩いていたら、警察の人に怒られるでしょう? それと同じで、女の人の裸を描いたら、怒られてしまうんだよ」
「でも、あの女の人は、夜の女神様じゃないの? バラの花も持っているよ」
「まぁ、僕もそのつもりで描いたんだけどねぇ。どうやら伝わらなかったみたいだ。モデルをしてくれた子には、悪いことをしちゃったなぁ」
笑う叔父さんを、僕は見つめた。
「僕はね、どうも女神とか妖精とか、人間ではない、架空の存在を描くのが苦手なんだ。だって目の前にいないんだから、正解が分からないでしょう? 自分なりに想像して描いてみるものの、どうにも生々しいというか、人間味溢れる絵になっちゃうんだよね。今まで何度『これは女神ではない。ただの人間だ』って言われたか。
それでも、画家として宗教画や神話画は描けないといけないからさ。だから頑張ってみたんだけど、結果は
「なんで、その、しゅーきょーが? とか、そういうのを描けないといけないの?」
「画家というのはね、自分の描きたいものではなく、お客さんから依頼されたものを描くんだ。そしてその依頼の大半が、宗教画や神話画、つまり、神様とか女神様とかが出てくる絵なんだよ。だから、そういう絵が描けないと、お仕事を貰えなくて、結果画家として生きてはいけないというわけなんだよね。
まぁ、肖像画とかで食べていくことも出来なくはないけど、それでも相当運が良くないと、まず無理だろうなぁ」
「なんで、神様とか女神様とかの絵ばかりが、依頼されるの?」
「それはねぇ、えーと、あー、うーん」
途端、エドゥアール叔父さんは、眉間に皺を寄せる。
「言っていいのかなぁ。でも、言ったらお姉ちゃんに怒られるかもしれないしなぁ」
と頻りに首を捻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます