猫又だけが見抜いてる
真崎 奈南
猫又だけが見抜いてる
ここは
都の中でもやや西よりの、大小さまざまな家屋が並ぶ区域に、ひときわ目につく大きな和風邸宅がある。
立派ではあるが少々古めかしいその邸宅に
庭に面した、こじんまりとした部屋の鏡台の前で、若妻の
今、茅が着ているのは着慣れた着物ではない。
スカートの丈が膝下まである薄緑色のワンピースドレスで、世間ではモダンガールといわれているような服装である。
これはつい先日、夫の
茅はため息をついた。
(ハイカラな服は、やはり地味な顔の私には似合っていない……お姉様だったら、もっと上手に着こなせただろうに)
こんな自分の隣に立たなければいけない旦那様が気の毒だと、茅の表情が曇っていく。
そもそもこの縁組も、元々は姉の方に来た話だったと茅は聞いている。けれど、姉が嫌だとごねたのだ。そこから幾度となく話し合いが行われ、結局、茅が嫁ぐことで話が進んでいった。
しかし、菖真が所望していたのは姉だ。
妹の方を娶らなければならなくなったことを、旦那様は心底残念に思っただろうと、茅はこの家に来て半年経った今でも胸を苦しくさせる。
庭から「にゃーん」と鳴き声が聞こえ、そこではっと顔を上げる。
鳴き声の主は真っ白な猫だが、普通のそれではない。一般的な猫よりも、体は三倍大きく、二本の尻尾がゆらゆらと揺れている。
現れたのは
「まあ、大変! 旦那様がもうすぐお帰りになるわ」
菖真と行動を共にしている猫又がここにいるということは、帰宅の合図である。そして、いつの間にか曇天になっていたことにも気づき、茅はさらに慌てる。
その恰好のまま縁側に出て、草履をひっかけて庭へと降りていった。
庭には布団が干してあり、取り込むべく触れた茅の手に、ふわりとした感触と日差しのぬくもりが伝わってくる。自然と茅の顔に笑みが浮かんだ。
「いつもお忙しい旦那様には、ふかふかのお布団で眠っていただきたいものね」
布団を掴む手に力を入れるが、しっとりとした重みと竹を組んで作った布団干しの背が少しばかり高いことにより、思うようにいかない。
「私がやろうか」
後ろから声と共に手が伸びてきて、茅は勢いよく振り返る。
「旦那様!」
背後に立っていた菖真に、茅は目を真ん丸くする。
続けて、自分がワンピースドレスを着たままであるのに気づいて、今度はうろたえ始めた。
菖真は茅の慌てぶりを特に気に掛けることなく、布団を一気に手前に引っ張った。
そのまま布団を抱え持って縁側へと歩き出した菖真を、茅はぱたぱたと足音を響かせて追いかける。
「旦那様、私が運びます!」
「いや。これは俺の布団だ。自分で運ぼう」
「お疲れのところ、申し訳ございません」
「気にするな」
ふたりは縁側から家の中へ上がって、廊下を進んでいく。
(旦那様は本当にお優しい方。皆さんが誤解していらっしゃるのが、私は心苦しいです)
寝起きする部屋へ、共に足を踏み入れる。押入れの中には、茅の布団が入っている。部屋は一緒でも、実はひとつの布団で寄り添い眠ったことは一度もない。
菖真が自分に手を出さないのも、姉への思いを忘れられない故ではないかと茅はどうしても考えてしまう。
茅が大きな背中をじっと見つめていると、音もなく現れた猫又が甘えるように菖真にすり寄っていった。菖真は畳に布団を下ろすと、猫又に微笑みかけ、その頭を撫でた。
藤奏家は異能を操る家系である。異能を操る家系はいくつかあり、その中でも群を抜いて強大な霊力を誇っている。
菖真も例外ではない。あやかし討伐を行う國の組織に所属し、その実力は他に並ぶ者はいない。
ただ、天下無双といっても過言ではないほど、躊躇いなく次々とあやかしを討ち取っていく姿は、時として人々に恐れをもたらすことがある。異能を持たない者からしたら、心を捨てた鬼人のように見えてしまうらしい。
しかも、人々にとってあやかしは敵である。
相容れない存在のあやかしである猫又と、菖真は幼いころから一緒にいるため、両親からも理解されず、孤独に生きてきた。
ふわりと身をひるがえし、猫又が茅の方に近づいてくる。茅は身を屈めて、菖真と同じ様に、猫又の頭を優しく撫で、微笑みかけた。
「猫又さんのお気に入りの座布団も天日干ししましたよ」
茅にとって、あやかしは怖い存在ではない。もちろん害をなそうとしてくるあやかしは怖いし敵と認識もするが、心優しいあやかしだってたくさんいるということを、ちゃんとわかっている。
茅も幼い頃からあやかしが見え、最初にできた友人もあやかしだった。そして、家族から、特に姉から気味悪がられ、藤奏家に嫁ぐその日までずっと虐げられていたのだ。
不意に茅が視線を上げると、穏やかな眼差しで自分を見つめる菖真と視線がつながる。
「洋装も似合っている」
ぽつりと発せられた自分への感想に、茅の頬が一瞬で赤く染まる。
「……そ、そうでしょうか。私は似合っていないように思えて……当日、こんな姿をお見せしたら、旦那様が笑われてしまうのではと不安です」
実は、菖真の友人が賓客をもてなすのに舞踏会を開くため、それにぜひ夫婦で参加してほしいとお願いされたのだ。
「私は可愛らしい妻の姿をほかの男に見せたくないが」
ぼそぼそと告げられた菖真の言葉は残念ながら茅の耳にははっきり届かず、三秒ほどおいて「え?」と聞き返しの言葉が続いた。それに「何でもない」と返した後、菖真は茅に恭しく手を差し出した。
「毎日ダンスを練習していると聞いている」
「で、でも、まだうまく踊れなくて」
「茅はダンスが初めてなのだから仕方ないだろう。それに俺も似たようなものだ……練習相手になってはくれないだろうか?」
菖真にお願いされて、茅が断れるはずがない。はにかむような笑みを浮かべながら、茅は菖真の手に自分の手を重ね置いた。
(茅はお役に立ちたいのです)
そのまま力強く引き寄せられ、茅は菖真と踊り出す。菖真の優雅な足の運びに圧倒されつつも、茅はぎこちなくもなんとか食らいついていく。
(お慕いしております、旦那様)
目が合うと、どちらからともなく自然と笑みがこぼれる。手と手が離れないように、菖真が軽く力を込めた。
幸せそうなふたりの姿を眺める猫又も、機嫌よくゆらりと尻尾を動かした。
猫又だけが見抜いてる 真崎 奈南 @masaki-nana
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