単発ショート

鳥羽 架

ポリスノシ

「誰か…、誰か。誰でもいい、僕を殺せ。殺せ!殺してくれえええ!!」

 男はもう、限界だった。


 時刻はちょうど六時ごろ。駅前に座す忠犬の視線から逃れた、ちょっとした暗がり。

 男は路上にへたり込み、頭を掻きむしって絶叫する。整髪剤で施された七三分けが、無二無三に崩れていく。掛け違えたのはどこだったか。


「もうだめだあ!…苦しい、助けてくれ。僕を、救えぇえぇ…」

 赤く腫れた目元からは、涙が溢れて止まらない。鼻を啜り、しゃくりあげ、狂ったようにうわ言を繰り返した。

 人通りは少ないが、屋外で出す声量では無い。ただ、今の彼に、そんなものに構う余裕など無かった。


 おろしたてのスーツは型崩れして、袖まわりは、拭った涙が染みをつくっている。数日前までは希望にあふれていた笑顔は、かけらも残っちゃいない。


 男を蝕むのは自責の念。どうしてあの時、あんなことをしてしまったのか。男がどんなに喚こうと、苦しみからは逃れられない。

 

 四月はまだまだ日が短い。項垂れる男に、月光が差して影を生む。


「もう、いっそ…」

 自分の影を睨みつけ、男はぽつりと、口にした。


「誰か僕を。…殺してくれ」



 さて、男が抱える辛苦とは?

 その理由わけと顛末を辿ると、話は数日前に遡る。



 上司はタバコを咥えたまま、ぶっきらぼうに説明をする。その中にあらわれた珍妙な響きを、男は思わず復唱した。


「シリアルキラー?」

「そうだ。異常な心理欲求のもと、複数の殺人を繰り返す殺人犯。…くだんの連続殺人からもう一月だ。そう呼ばざるを得ん」


 警部補として配属された男は、新米にもかかわらず、上司から込み入った話を言い渡されていた。

 確認も兼ねて、男は聞いてみた。


「どんなヤツなんですか、そいつ」

「知らないのか??テレビも散々特集してるだろ。あれか、最近の若いのはテレビ見ないってか。だとしてもなぁ?警察という立場の人間が知らないってのはなぁ、呆れた」

 一を言って銃を返された。男は言葉のマシンガンを全心で浴びる。それに男は耐え切ると、上司はご丁寧に教えてくれた。


「目だよ、目。被害者の目をブッ刺すんだ。ご遺体のほとんどにある争った形跡から、奴は最初、何が何でも目ん玉から突き刺して、くり抜いてやがる。それから嬲るように腹部をメッタ刺しだ。そして、被害者は全員あの町の住人」

 吐き捨てるように上司は告げ、紫煙をくゆらせる。あの町、とは署の管轄する地域の中で、最も人口の少ない町のことだ。


「あんなとこでこうもポンポン死なれちゃあ、そのうち人口ゼロも近いな」

「ちょっと先輩!」

「冗談だ」

「冗談で済みませんって」

「そりゃあすみません、ってな」

 上司は顎髭を撫でてしたり顔で笑う。


「はあ…。それで、そんな大きな事件の話が、なんで僕に?」

「お前も参加だ」

「はああ!?なんで!」

「特例だよ」

「特例?」

「犯行は小さな田舎町で起こっている。そのくせ、情けないことに犯人の足取りは一片も掴めていない。難航一直線のこの捜査。藁にもすがる思いで、上は新米のお前を使おうなんて言い出した。お前、生まれも育ちもあの辺りなんだろ?」

 どうかしてるよ、そう言うと上司は煙を吐き出し、それからため息を吐いた。

 煙が顔にかかって、男は顔を顰めた。


「昔の話ですよ。あんな田舎町、もう随分と行ってないです。ソーラーパネルか植林だかのせいで、実家も取り壊されましたし」

 かつて男の住んでいた地域は、過疎化や企業の買収、自然保護をのたまう胡散臭い集団など、さまざまな角度からの施策で姿を変えてしまっていた。


「それに僕はまだまだ未熟者です。こんな捜査加われても、役不足ですよ」

「んなことは百も承知だ。上が言うんだからしょうがねえんだよ。お前、そんなんでもキャリア組だろ?その道の先輩から、ご寵愛受けてんだろうよ」

 意図的に吹きかけられた煙に、男はむせる。息を整えて、渋々と頭を下げた。


「…じゃあ、精一杯努めさせていただきます」

「それでいいさ。猫の手も借りたい現状なんだ。従順な犬の手なぞ、黙って差し出しやがれ。それと…」

 吸い殻を捨て、男を置いて上司は喫煙室を出る。男は慌てて後を追う。


「役不足の意味、間違えてんぞ。あとで辞書でも引いておけ。しっかりしろよ?キャリアの坊ちゃん」

「痛っ」

 男の額、七三分けの隙間を、上司はぴん、と指で弾いた。




「おい、コーヒーなんか飲むな。飲食厳禁だ。こぼしたらどうすんだよ」

「ごめんなさい」

 あんたの車内喫煙の方がよっぽどだろう、そんな言葉を呑み込んで、口に含んだ分だけ飲み込んで、男はカフェオレのペットボトルをバッグにしまった。


「すぐ着くんだから。ガマンしろよな、甘ちゃんが」

 法定速度を守るのは警察の仕事ではない。荒いハンドル捌きで、突き当たりを左折。上司の機嫌が悪いことが、手に取るように男はわかった。


 男が捜査に加わってから、もう一週間がかかった。未だ殺人鬼の情報は無いに等しい。被害者は絶えず出続けているが、もうメディアはさほど取り上げていない。


「…もうこんな事件とっとと持っていってくれ。まったく上は何を考えてんだか」

 誰もいない横断歩道を、赤信号で停車。上司はハンドルを指で叩く。ウィンカーとズレた運指のリズムは、車内の鬱屈とした空気を加速させる。


 男は助手席の窓から外を見る。もうすっかり茜色の町並み。夕日に照らされるのは、生い茂る木々ばかり。

 闇に潜む殺人鬼のイメージが、男の脳内で愉快に笑う。

 そこに沸き立つ苛立ちは、殺された被害者たちに寄り添うなんて大層なものじゃなく、


「どこのどいつだあゴラァ!!出てこいやあ犯罪者ぁ」

 姿の見えない犯人への怒り。先の見えない捜査への鬱憤でしかなかった。


 上司の叫びはけたたましいが、男は黙って目を瞑る。

 なぜって彼と、まったく同じ気持ちだったから。




 いや、違う。

 それどころですら、なかったかもしれない。


「じゃ、今日もお疲れさん」

 挨拶だけは律儀な、上司の声を上の空で聞き、男は駅に向かって帰路を行く。

 

「ああ。もう、駄目だ」

 男は限界だった。

 バッグからものを取り出そうと試みるが、思うように行かず、路上に腰を下ろす。

 おかしくなったみたいに一心不乱にバッグを漁った。


 電柱の明かりが、前から現れた通行人を照らす。

 その者は男を見てぎょっとする。


 その表情が、男の目に留まった。苛立ちが高まる。


「あ…」

 男はバッグから取り出したもので自身の顔を覆い、人相を隠す。

 そして。

 もう一つ、取り出した’’もの’’を利き手で構える。くたびれた顔をあげ立ち上がると、明かりを頼りに、


 目を。


 ただ、目だけを狙って、勢いよくさした。


「ああ。ああああ!!」

 男は快感に酔いしれ大声を上げた。

 対して男を前に、困惑のせいか。通行人は声ひとつもあげられない。


 解放感と言おうか。もう男は止まらない。飛び散る液体に目もくれず、声を上げたまま笑う。何度も何度も。さして、さして。


 その度に、自分の目からは雫が滴る。男は冷静に悟った。


「もう僕は。どうしようもないんだ!!」

 男は夜道に立ち尽くして、声が枯れんばかりに叫んだ。


 それから、壊れた目覚まし時計みたいに。自然豊かな夜の町に、男の笑い声だけがこだましていた。





 

 その翌日。


「あれ、新人くん遅刻?めずらしい」

「さあな。あの馬鹿ならやりかねん」

 同僚の問いかけに、男は興味なさげを装い、そう答えた。

 舌打ちして立ち上がると、喫煙所に向かう。


 今の行動でわかるだろうが念の為。顎髭を蓄える彼こそ、新任警部補の上司である。


 喫煙所に着き、今日も今日とて男は一服する。


「…らしいぞ」

「マジかよ!キリがねえな」

 聞こえてきた若い警官たちの話に、男は聞き耳を立てる。


「いやぁ、遂に町の外か…。一体犯人は何者何だろうな」

「流石にプロの犯行だろう。猟奇的な手口は演出だって俺は睨んでる」

 男は気付けば彼らの肩を掴んでいた。


「その話、詳しく聞かせろ」



 二人の警官から聞いた噂話は、その後の朝礼と、上からの連絡ですぐに事実だとわかった。

 昨夜、例の連続殺人の一環と思われる事件が起こったこと。被害者は例によって、両眼をナイフでくり抜かれている、とのこと。

 ただ今回は、今までと違う点がひとつ。

 犯行現場はあの町ではなかった。殺人鬼が行動範囲を広げた、と考えられる。



「こんな時にあの馬鹿は何やってんだか」 

 午後になってから、ようやく電話が後輩に繋がった。


「おはよう。おいゴラお前コラ。何やってんだ?今何時だと思ってる!」

「先輩」

 電話越しの声には、言いようのない凄みがあった。男は思わず口ごもる。


「もう今の僕は、そこで働けません」

「は…」

「ごめん、なさい」

 一方的に電話を切られる。無機質なビジートーンだけが鳴り響いていた。



 

 捜査チームは昨夜の事件を、例の連続殺人に倣った、模倣犯による犯行であると結論づけた。遺体の死亡推定時刻が、他の被害者たちと大きく異なったことなどが根拠として挙げられた。


「んなわけねえ…」

 男はひとりデスクに腰掛け、顎髭を撫でる。長年のカンが、模倣犯では無い、一連の事件の内であると告げていたから。それに、


「午後六時ってのは、俺たちの退勤時間なんだよ」

 昨夜の現場は、駅へと続く小さな路地だった。

 職員の大半が車を使う中、今日不自然に欠席する後輩は、電車通勤をしていることが、男の頭をよぎる。


「まさか、な」

 男はポケットに手を伸ばし、シガーケースを開ける。

 残念、中身はからっぽ。タバコは切れていた。




 その日以降、後輩が出勤することも、電話に出ることも無かった。





 一方その頃。

 先輩や署の番号を着信拒否し、出勤することもなく、男は自室に引きこもっていた。


「ああ…」

 苦しみから逃れたくて、男は薬を摂取する。何度も、大量に。俗に言う、オーバードーズだ。

 苦痛から逃れようと手を出して、ドツボに嵌る。肌や体が荒んでいくことを、男は己で理解していた。

 これがまずかった。現状は薬に縋る男だが、数時間後、我に帰った男は自責の念で苦しむことになる。

 


 薬が切れて我に帰った。

 数日前から着たままのスーツ、その裾で口元の唾液を拭いた。

 戸棚を乱雑に開ける。薬は底をついていた。


「ああ…」

 薬を求め、数日ぶりに男は自宅を飛び出した。



 渋谷の街に繰り出すと、薬局を目指していた足は、自然と人混みに混ざろうと歩を進めていた。

 胡乱な表情かおで立ち尽くし、夜風にあたる。


「誰か、僕を助けてくれ…」


 

 さて、男が抱える辛苦とは?





 場面変わって、とある署の喫煙所にて。後輩警部補が出勤しなくなってから数日が経っていた。


「嫌な事件でしたね」

「ああ」

 町外での事件発生から数日。例の殺人犯は捕まった。

 犯人は、企業に雇われた殺しのプロ。自然豊かな町の土地を買い占めたいがために、町から立ち退こうとしない町民を殺害してまわるという暴挙に出ていた。

 警察はすぐに事件の顛末を発表。マスコミの力は凄まじい。犯人を雇った会社は、倒産を余儀なくされ、瞬く間に消滅した。


「目を狙ってたのはなんだったんですかね、狂気的なフリ?」

「本人が吐いたぞ。ジョークだとよ」

「ジョーク?」

「よっぽど自信があったんだろう。サツは”見る目がない”だとよ」

 同僚は鼻で笑う。


「馬鹿な奴。調子に乗って町外に飛び出したところが敗因ですかね」

 あの事件には目撃者がおり、そこからいとも簡単に犯人が見つかった。

 男の感覚の通り、模倣犯と思われていた町外の殺人も、同一犯によるものだったわけだ。が…

 今の男は、少しでも後輩を疑った自分を殴りつけたくてしょうがなかった。

 鼻頭を摘み、目をきつく瞑る。


「本当に、馬鹿だよ」

 男はぽつりと口にした。


「そういえば、彼は?」

「…辞めたよ。今は精神科にかかってる」

「精神科?」

「ああ」

 同僚に顔も向けずに返事をして、上司の男は伸びをする。

 捜査を共にした新人警部補は、精神を病み、辞職した。


「聞いた話だと、」

 数日前、知人が警部補の辞表をもって上に押しかけた、と聞いたことを同僚に告げた。


「上は適当だからよ。本人が来てないくせに辞職を許したとさ」

「そでしたか。でもどうしてメンタルいかれちゃったんすかねぇ」

「さあ、な」

 男は煙を吐き出し、天を仰いだ。



 話は冒頭に遡る。


 渋谷の町に男は立ち尽くしていた。

 人目も憚らず路上にへたり込むと、気休めながらも、いつものように男は行動する。

 ポケットからあるもの…マスクをつけて、吸い込む花粉の量を減らす。

 もう一つ、取り出した目薬を利き手で構え、くたびれた顔をあげ、自分の目に差した。

 花粉の薬はもう切れた。こんなものでは変化なし。

 あの日の帰り道と同様に。鼻水や涙を垂らし、ぐしゃぐしゃになったまま嘆く。

 薬の過剰投与で、全身は限界を迎えていた。


 月を眺めると、希死念慮が込み上げてくる。彼はとうに限界だった。

 吐き気を催した男は、白目を剥いて顔を上げる。

 そして、狂ったように声を上げた。


「誰か…、誰か。誰でもいい、僕を殺せ。殺せ!殺してくれえええ!!」

 男は誰も殺していない。

 そればかりか、自然の過大な力と、自身の過失から、誰かに殺して欲しいと乞うた。


 さて、男が抱える辛苦とは?


 止まらないアレルギー症状に、オーバードーズによる心身の摩耗。

 言うまでもない。忌々しい花粉ポリノシスのせいだ。


 




 



 

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単発ショート 鳥羽 架 @kakeru_toba

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