第9話 小さな幸せ

「はぁはぁはぁ……」


 ヤバい! このままじゃ遅刻する!

 昨日は早く寝ようと思ったのに、神代さんのことを考えるとなかなか寝付けなくて普通に寝坊した!

 家を出てから駅までの信号は全部目の前で赤になるし、信号のない道は車が途切れず渡れないし、影から飛び出た野良猫の尻尾を踏んで追いかけ回されるし……

 あぁ、なんて朝からついてないんだ……

 頼む! 電車に間に合ってくれ〜!


 そうして俺が駅に着いたのは8時19分。


「はぁはぁはぁ……良かった……間に合っ……!?」


 寝坊したのに、なんとかいつもの電車に間に合ってラッキーと思っていた俺だったが、俺は電光掲示板を見て驚く。


『強風の影響で10分遅れ』


 はぁぁぁあああ!?

 せっかく走ってきたのに意味ないじゃんかよ!

 ここまで疲れて10分遅れなら、ゆっくり次の電車に乗った方が良かった……

 俺はそんな後悔をしながら、10分遅れの電車を待つのだった。


 電車を降りると、俺は学校までダッシュで向かう。

 学校の近くまでやってきたところで、俺はある違和感を覚える。


 なんで皆歩いてるんだ?

 あと5分で着席時刻なのに……


「あっ、影山君〜!」


 するとその時、向かい側の歩道の後ろの方から、神代さんの声がした。


 えっ? 神代さん?


 俺が後ろを振り向くと、神代さんが笑顔で俺に向かって手を振っていた。

 せっかく声をかけてくれたから、止まって話をしたいのだが、そんなことをしていたら遅刻する。

 俺は再び前を向いて走る。


「うわっ!!!」


 だがその時、よそ見をしていたせいで、俺は道の端の方を走っていたことに気づかず、前を向いた時には、電柱に顔面から衝突してしまった。


「がっがっ……」


 俺はそのまま地面に倒れる。


「だ、大丈夫!? 影山君!?」


 そして、神代さんが俺の元へやってきて、俺の心配をしてくれた。

 鼻がそんなに高くないおかげか、鼻は折れていないようだが、ジンジンして痛い。

 俺は鼻を触りながら、ゆっくりと立ち上がった。


「は、はい……大丈夫です……って、そうだ、早くしないと遅刻する!」


 俺はカバンを持って、学校に向かって走ろうとすると、神代さんがそんな俺を止めた。


「影山君、メール見てないの?」


「メール……?」


 メール? なんの事だ?

 俺はよく分からず首を傾げる。


「ほら、今日は強風で電車が遅延してるから、いつもより学校始まるのが20分遅いんだよ」


 なぁぁぁあああ! そう言えば、俺が家を飛び出す前に、母さんがなんか言いかけていたような……

 だから皆、こんな時間でもゆっくり歩いてたのか……

 はぁ……せめてメールに気づいていれば、こんなことには……


「まだ学校まで時間あるし、一緒に行こ!」


 神代さんは少し歩いて俺の前に行くと、俺の方に振り向いて笑顔でそう言った。




「へぇ〜、そんなことがあったんだ!」


「はい……ほんとついてないです」


 俺は神代さんと歩きながら、ここまであった出来事を話した。

 すると、なぜだか神代さんはムッとした表情をして俺に近づく。


「えっ……えっと、なん……でしょうか?」


 まずい、不運な話なんかするべきじゃなかったか。

 これから学校なのに、気分の下がる話をしてしまったから怒ってるのか……?


「もう、影山君また敬語になってる……昨日練習したじゃん!」


 あっ! そうだった……


「あっ、ごめん神代さん……」


 タメ口で話したと言っても、それは通話中だけで、実際に会うと、まだなかなか慣れない。

 俺がタメ口に戻すと、神代さんの表情もいつもの笑顔に戻った。




「あ! タンポポ!」


 しばらく歩くと、神代さんは道端に生えているタンポポを見つけ、無邪気にタンポポに駆け寄った。


「あっ! タンポポの上にテントウムシが乗ってる! 可愛い……」


 そうタンポポを眺める神代さんは、どこかとても幸せそうだった。

 俺には、神代さんの気持ちがよく分からなかった。

 タンポポなんかどこにでも生えているし、別に珍しいものじゃない。

 俺が神代さんのことをボーッと見ていると、神代さんが立ち上がって、俺に話しかけてきた。


「影山君……」


「ん?」


 神代さんは空を見上げながら、話を始める。


「確かに影山君は、鳥が通れば糞が当たるし、雨の日はトラックに水をかけられるしで、運が絶望的に悪いよ。どうしようもないくらいに」


 ぐっ……それは分かってるよ……


「でもさ、私は、運が良いことだけが、幸せだとは思わないんだ。ほら、私は運は良いけど、影山君に会うまでは、自分は不幸な人間だと思ってたからさ……」


 そうか……神代さんは、運が良すぎるせいで、昔はいじめられてたって言ってたな。

 運が良くても幸せとは限らない、ってことか……


「つまり影山君は、運が悪いからって落ち込むんじゃなくて、身近な小さな幸せに気づけるようになると、少しは気が楽になると思うんだ! そう思わない?」


 そう言って神代さんはニコッと笑った。


 言われてみれば、確かにそうとも思える。

 不運が呼び寄せるのは、必ずしも不幸ではない……


「確かに、もし不運がなかったら、今こうして神代さんと話すことも出来てませんでしたからね……」


「えっ……」


 神代さんはハッとしたような顔をして、俺から顔を逸らしてしまった。


「あっ、いやその、神代さんと話すのが不運とかじゃなくて、不運のおかげで神代さんと話せて幸せだなっていう……」


 もしかしたら誤解をさせてしまったかもと思い、俺は焦って訂正をする。


「影山君……また敬語に戻ってるよ……」


 あっそうだった……!

 焦るといつもみたいに敬語に戻ってしまう……


(もう、別にそういうこと言って欲しくて言ったんじゃないのに……)


 俺から顔を逸らした神代さんは、薄く赤らめた頬を手で押さえながら、心の中でそう零すのだった。


「お〜い陽花〜!」


 その時、後ろから神代さんを呼ぶ声が聞こえてきた。

 俺と神代さんが振り返ると、そこには知らない女子生徒が2人、手を振りながら俺たちの方へと歩いてきていた。


「あ! 龍子! リンリン!」


 神代さんは彼女たちの名前を呼んで手を振る。

 どうやら彼女らは、神代さんの親友らしい。

 背の高い方は、2組の太刀川龍子たちかわりょうこさん。

 女子総合格闘技の選手で、いくつもの大会で結果を残している化け物だ。

 もう1人は2組の林林はやしりんさん。

 皆からはリンリンというあだ名で呼ばれている。


「もう〜陽花ったら〜、彼氏が出来たなら言ってよ〜!」


 は、はぁぁぁあああ!?


 林さんが神代さんの頬をつつきながら、弄るように言う。

 それと同時、俺と神代さんの頬が染まる。


「え! えっ! ち、違うよ! まだ私と影山君はそんな……」


「え〜! まだってことは、そのうち彼氏にするってこと〜!」


「もう! 違うってば〜!」


 すると太刀川さんが、俺と肩を組むようにして近づいてきた。


「影山君〜、噂には聞いてるぜ? お前、すこぶる運が悪いんだってな〜? ちょっと私にお前の不運見せてくれよ!」


 そしてこんな無茶な要求をしてきたのだ。


「いや、狙ってできるものじゃないですし……」


「カァーカァー」


 するとその時、俺たちの上をカラスが通る。

 そして、ビチャッっという音とともに、俺の頭に何かが落ちる。


「うわっ! 汚ね!」


 俺の頭に落ちた糞を見て、太刀川さんは俺から手を離して距離をとる。


「……って、本当に運がねえ奴だな。まさか本当に鳥のくそが落ちるなんてよ……」


 顔を引き攣らせながらそう言う太刀川さんだったが、その直後、またしてもビチャッという音が響くとともに、今度は太刀川さんの頭にカラスの糞が落ちる。

 それに気づいた太刀川さんの顔が真っ青になる。


「ぎ、ぎゃぁぁぁあああ!!!」


 そして、太刀川さんは大声で叫び出した。


「リンリン! ティッシュとアルコールは!?」


「え? 私そんなの持ってないよぉ!」


「くっそ! アルコールは教室にしかねえ! 走っていくぞ!」


「あいさ〜!」


 そう言って太刀川さんと林さんは、走って学校へ行ってしまった。


「さ、騒がしいけど、面白い人たちだね……俺たちも行こっか」


「ふふふっ……影山君、頭に糞ついてるよ」


「えっ? あ、そうだった!」


 クスクスと笑う神代さんを横に、俺はティッシュで頭を拭う。


 それにしても、神代さんや彼女たちとの出会いも、俺の不運が招いたもの……

 こんな俺と関わってくれる人がいるというだけで、俺は幸せ者なのかもしれない……

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