第二章 第四話
翌日、奏太は練習の代わりに、ある場所を訪れていた。大学から少し離れた市立図書館。地域の新聞や雑誌のバックナンバーが保管されている場所だ。
電子データだけでは見つからなかった情報を探すため、奏太は古い雑誌を次々とめくっていた。紙の匂いと静けさに包まれながら、彼は集中して資料に目を通した。
そして、三年前の音楽雑誌に、ようやく手がかりを見つけた。
《期待の若手ピアニスト水上響、国際コンクール直前に辞退――手首の怪我が原因か》
記事には詳細は書かれていなかったが、水上が十八歳の時、国際ピアノコンクールへの出場を直前で辞退したことが報じられていた。理由として「腱鞘炎の疑い」という言葉が小さく記されていた。
奏太は記事を見つめながら考えた。手首の怪我――それが昨日の包帯と関係しているのだろうか? そして、あの機械的な演奏と輝きを失った表情の理由も、そこにあるのかもしれない。
もし深刻な腱鞘炎になったとしたら、ピアニストにとっては致命的だ。特に水上のように若くして頂点を目指していた天才にとって、その打撃はどれほど大きかったことだろう。
図書館を出た奏太は、その足で大学のジャズ研究会の部室に向かった。今日は定例のセッション日だった。ジャズの世界に身を置くことで、少しでも気持ちを整理したかった。
部室には、すでに数人の仲間が集まっていた。ドラム、ベース、ピアノ、そして奏太のサックス。シンプルなカルテットだ。
「よう、奏太! 今日はどの曲からいく?」
ドラマーの山田が声をかけてきた。
「そうだな……『Take Five』でどうかな」
奏太はそう言いながら、サックスを組み立て始めた。
カウントが入り、セッションが始まる。奏太はサックスを吹きながら、水上のことを考えていた。ジャズとクラシック、一見異なる音楽世界だが、どちらも「表現」という点では同じだ。水上があんなに輝いていた演奏を失ったことは、きっとジャズミュージシャンが即興する喜びを失うようなものなのかもしれない。
奏太のソロパートになり、彼は目を閉じて演奏した。サックスの音色が部屋中に響き渡る。仲間たちはその演奏に聴き入っていた。
セッションが終わった後、ベーシストの田中が言った。
「今日の奏太、なんか違うな。いつもより感情が入ってる気がする」
「そうかな」
「うん、何か思うところでもあるの?」
奏太は一瞬考えてから、ためらいがちに言った。
「ちょっと……気になる人がいるんだ」
「おおっ! 春だなあ」
仲間たちはからかうように笑ったが、奏太の心の内は複雑だった。水上への関心は、単なる好奇心を超えていることに、彼自身が少しずつ気づき始めていた。
サックスを拭きながら、奏太の心には一つの決意が生まれていた。
「水上先輩の本当の音楽を、もう一度聴きたい」
そのために、自分には何ができるのだろうか。夕暮れの空を見上げながら、奏太は考え続けた。
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