壊れたのなら直せばいい-5

 作業3日目の金曜日の放課後。私は美術準備室にすぐに直行した。そのはずなのだが、何故か真田くんが先にいた。教室では彼とこの話をしていないので報告は今になった。


「磨いた!」


「どうかな?」


 私は彼にレジンの半球を渡し、確認して貰う。


「うん。よく磨けているね。問題は接合部の縁かなあ」


「縁?」


「ヤスってると自然と縁は丸くなっちゃうよね。合わせてみよう」


 真田くんは作業台の上に置いておいた欠片と合わせる。そして窓から射し込む光を通して見る。


「どう?」


「ちょっと段差できてる」


 真田くんは珠を合わせたまま私にかざし、私は指で摘まむ。


「本当だ。レジンの方が縁が丸くなってる。注意するように言ってくれればよかったのに……」


「そしたらそれはそれで磨きが疎かになるから」


「なるほど」


 少なくとも私自身、縁を磨かないように気を付けていたのも確かだ。


「……ということは元々解決策を考えていたということだよね?」


「もちろん。しかし飲み込みが早いね。氷川さん、頭いいもんね」


「同じ高校に入学した時点であんまり変わらないでしょう。私の場合、現実逃避で勉強したらたまたま性に合っていただけ」


 バスケはリタイヤしたとしか彼には言っていない。しかしこれだけでなんとなく彼に伝わってしまったらしい。真田くんは優しい目をした。


「まずは早速接着してみようか」


「もう?」


「剥がれる接着剤という便利なものがあってね」


「へえ……」


 世の中には知らないことがいっぱいあることを実感する。


 彼はチューブの液体をちょっぴりレジンにつけて欠片と接着する。一見するだけならばいいが、よく見ると継ぎ目が分かる。黒い線のように見えてしまう。


「目立つね……」


 私はがっかりする。かなりがんばってレジンを磨いたので透明度が高くなり、見た目は悪くないに違いないと考えていたからだが、現実はやはり想像通りにはいかないようだ。


「でも想定の範囲内だ。方法はある」


「どうするの?」


「透明絵の具で埋めて、また研磨する」


「よかった」


 それならば目立たなくなることは想像しやすい。


「でも、僕は違うことを考えていた。せっかくここまでやったんだから復元よりもっと手が込んだことをしたい」


「そうなの?」


 私にはまるでその方法が見当つかない。しかし真田くんはやりたくて仕方がないようにワクワクを隠さない。だから私は彼を信用してみたくなる。


「その方法を教えてくれる? 検討するから」


「うん……ありがとう」


 そして私は真田くんのもう一つの方法の説明を聞き、頷いたのだった。




 約束の土曜日が無事に来て、私は修復を終えた髪飾りをつけて柚乃との待ち合わせのファミレスに向かう。スポーツ越境進学をして長距離通学の上、部活がハードに忙しい彼女だが、期末テスト前で練習が休みになるらしく、そのタイミングで会いたい、という話だった。


 店先で偶然彼女と一緒になり、思わず二度見してしまった。3ヶ月ぶりに会う柚乃は少し背が伸びていた。


「まだ伸びるんかい」


「この競技やってて背が高くなるのはメリットだ」


 彼女は得意げに笑った。私も女子にしては相当高い172センチだが、柚乃は更に高い。180センチに到達したのではないだろうか。


 私と柚乃はハイタッチしてから店内に入った。


 普通にデザートとドリンクバーを頼んで飲み物を持って、窓際の席に落ち着く。


「どうだ進学校は? まさか薫が勉強ができるとは思ってなかったからさ……」


 柚乃は心配そうな表情で私の顔をのぞき込んだ。


「優等生やってるよ。委員長だし」


「柄じゃないよぅ……」


「でも、割とうまくやってる。ある意味、高校デビュー?」


 柚乃は私の台詞に笑ってくれた。


「確かに。脱体育会系だ」


「柚乃はどうよ?」


「みんなできる奴ばっかりだから厳しいよ。もう1年生でレギュラーなんて化け物もいるしさ。落ちこぼれないようにしないと学校で居場所がなくなるよ」


「……そう言う割には楽しそうだけど」


「……楽しいよ。薫に言うのはちょっと憚られるけど」


「気にしなくていいよ。私は柚乃ほどの才能はなかったと思うし、こういう流れもあったんじゃないかなと思う」


 柚乃は小さく首を横に振った。


「ううん。薫ほどのセンスがある奴、今の学校にもいないよ」


「買いかぶりすぎ」


「一緒に行きたかったな……」


 それは叶わなかったことだ。


「でも、壊れても別の道を歩けることが分かったから、だいぶ気は楽になった」


 それは真田くんと一緒に髪飾りを直すことがなかったら口にすることはできなかったに違いない台詞だ。手を動かして、壊れたものでも元の形に戻そうと一つ一つ努力することは、心を落ち着かせる効果があると思う。


「安心した」


「心配されてたか」


「やっぱ変わったと思うし。髪も伸ばしてるし、バスケやってた頃の面影はもうあんまりない。でも、つけてくれてるんだな、それ」


 今日の私は髪をまとめてアップにして、例の髪留めをつけている。


「うん。毎日つけてるよ……あ、いや、ここ3日はつけてなかったかな」


「なんだそりゃ……」


 修理したことを話そうかと思ったところで柚乃が声を上げた。


「ちょっと変わった? それ、本当にあたしがあげた奴?」


「見覚えあるでしょ?」


「うん……でも、何が違う? あ! ちょっと見せてよ!」


 柚乃は気が付いたようだった。私は髪留めを外し、柚乃に手渡した。


「……うわ。きれい。金の網目模様がついてる。これ、どうしたの?」


「1度割っちゃって、直したついでにアップグレートした感じ?」


「なんだっけ、割れた陶器を直す奴……金……そう! 金継ぎみたいじゃん!?」


 柚乃は信じがたいという様子で髪留めを、正確には直した珠を見る。イエロークリスタルの上にメロンの網目のような模様を金粉で描いたものだ。


「実際、金継ぎだったりする」


 私は柚乃から髪留めを返してもらい、再び頭の上のお団子に取り付けた。


 昨日、真田くんが私に提案した継ぎ目のリカバリー方法が、その金継ぎだった。金継ぎは簡単に言えば接着剤を塗ったところに金粉をつけて継ぎ目を装飾する方法だ。今は金継ぎモドキの接着剤と金のように見えるものをつける方法から、昔ながらの漆に金粉という方法までいろいろあるのだが、真田くんは接着剤に昔ながらの金粉という豪華な方法を採ってくれた。


 彼曰く、ベースがシルバーだし、これくらいしてもいいと思う、とのことだった。


「すごいねえ。お金かかったでしょ?」


「ううん。DIYだよ。得意な男子がクラスにいてさ……3日でできた。あ、ちゃんと私も研磨作業とかしたんだよ。任せっきりじゃないから」


「薫がDIY!? 確かに変わったわ!!!」


「うっさいわ。必要があればやるわい」


 柚乃はふふと笑って言った。


「進学校、上手くやってる、じゃなくて、楽しそうだね」


「……そうかな?」


 自分では分からない。


「もしかしてその男子って、気になってたりするんじゃないの?」


「まさか」


 私は即答した。下世話だとも思う。


「つまらんな。でも、彼氏ができたら報告しろよな」


「右に同じ」


 私はストローでアイスコーヒーを飲む。もちろんガムシロップも入れた。それだけだと苦いけど、甘いものを入れて、その苦さを楽しむコーヒーという飲み物は面白いと思う。慣れればブラックでイケるのだろう。


「まあさ、どうなるかなんて誰にも分からないんだからさ、なんかあったら教えてくれよな」


「真田くんねえ……」


 間違いなくお世話になった。彼は恋愛対象ではない気がするが、面白いのは確かだ。


「真田くんっていうんだ? その男子!」


「耳ざといなあ……」


 私は名前を口にしたことを後悔した。私は頭の髪飾りにそっと手をやる。柚乃から貰った髪飾りは元々大切なものだったが、こうして修理できたことでより愛着が湧いた。私は真田くんに感謝する。彼が忘れ物をとりに教室に戻ってきて、一緒に探してくれなかったらこうはならなかった。今日の柚乃との再会も鬱になっていたかもしれない。


「でもその真田くんとやらには感謝だ。礼をせねば」


 柚乃はニタリと笑い、私はそっぽを向いたのだった。




 月曜日の朝、私は真田くんに柚乃に髪飾りを見せたことの報告をしようといつもより早く教室に来て、彼を待ち構えていた。彼は少なくとも自分より早く教室にいるという認識だ。実際、いつも私が登校する時間よりも10分も早く彼は教室に来た。


「あれ。委員長がいる」


 私は席に着こうとする彼を捕まえて言った。


「無事、彼女と会えて、褒めて貰ったよ」


「報告ありがとう」


「お礼を言うのは私の方だよ。壊したままだったら柚乃に謝らないとならなかった。気が重かったと思うんだ」


 真田くんは応える代わりに微笑んだ。


「ところで今日から部活はないよね」


「テスト期間入りだからね」


「真田くん、中間テストの結果はどうだったの?」


 私が聞くと彼は苦い顔をした。


「僕は背伸びしてこの学校に来たからね……」


「そもそも勉強していないんじゃないの?」


「ぎく」


「そんなわけで放課後、自習室で一緒に勉強しよう。分からないところがあったら何でも聞いて。私、教えるの上手いってよく言われるんだ」


「ええ……」


「拒否権なし。勉強はしておくに越したことはないんじゃない? 真田くんが将来何を目指しているのか知らないけど」


「うっ……」


 真田くんは言葉に詰まり、私は余裕の笑みを浮かべたのだった。


「じゃあ、放課後は自習室に集合ね!」


 私なりの彼へのお礼のつもりだ。あんな凝り性の――言い方を変えればオタク気質の彼が計画的に勉強しているとは思えない。しかし彼は女子にNOと言えなさそうだ。だから彼に勉強を教えることがベストのお礼だと判断した。自分も勉強できるし一石二鳥だ。


「……わかった」


 心なしか私には真田くんが項垂れたように見えたのだった。

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