天下無双の剣豪たらん!

吾輩はもぐらである

本編

 山奥の村に、ある男がいる。この男の家族には妻と一人息子のカネトがいて、三人で旗小屋を営んでいる。


 カネトは成人すると、「俺は天下無双の剣豪となり、剣で身を立てる」と藪から棒に宣言し、男と妻を驚愕させた。


「アンタ、カネトの馬鹿にガツンと言ってやってくんな! 虫も殺せないのにどうして人が斬れるってんだい!」


 短気な妻、口角泡を吹きながら吠える。男も同感だった。

 カネトは気立てが良く、すぐに人を信じる性格をしている。戦場は斬った斬られた、騙した騙されたが当たり前の世界である。カネトが行けば功を立てる間もなくおっんじまうに決まっているのだ。


「母さん、俺もカネトに人は斬れねぇってのは同感だ」

「じゃあ––」

「待った! だがな、あの無欲恬淡としたカネトが初めて抱いた野望を真正面から否定するのは親のすることじゃない」

「それならどうするってんだい」

「任せろ。俺に策がある」


 ある日の晩、男はカネトと酌を交わしながらカネトの野望について語り合った。


「カネト、お前は剣なんて振るったこともないのに、どうやって剣で身を立てるつもりだ?」

「なぁに、俺は人一倍体が強いし、畑を荒らす獣を何匹も仕留めたことがある。人も同じ具合に、ばっさばっさの滅多切りで、あっという間に百人斬り伝説よ」


 カネトが分厚い胸板を得意げに張って見せる。純真無垢な目は己が大功を立てると信じて疑っていない。


「はぁ……カネト、お前死ぬな」


 男が大げさにため息をつくと、カネトは「どういうことだよ父つぁん!」と仰天する。


「体が強いだの獣を仕留めただの、そんなのは的外れだと言っているんだ」

「じゃあ何なら的を射ているのさ」

「『舞』だ。舞こそ剣の本質よ」

「はぁ……剣が舞踊? どうした父つぁん、もう酔いが回ったか?」


 カネトが素っ頓狂な声を挙げる。


「まだ酔ってねぇ。仕方ねぇ、知らないなら教えてやろう」

「何だ」

「剣豪はな、力ではなく舞に剣をのせるのよ」

「どういう意味だ」

「剣豪は敵の呼吸、足音、心音を音楽と捉えて敵の動きを読み切り、剣戟も槍も矢もひらりと躱しちまう」

「へっ、それくらい俺でもちょっと鍛えりゃ––」

「おいおいカネト、こんなのは序の口だ。剣豪は風の音、地の声、木々のざわめき、果ては羽虫が溜まりの水を飲む音すら音楽と捉えるんだぜ」

「ななな、何だって?」

「天下無双の剣豪は機運の流れにすら拍子を見出し、身を任せて舞い踊り、勝機と同時に剣を一突き、ズブリ! 敵の急所に必ず突き刺しちまう。これが剣が舞たる所以だが、お前にそれができるのか?」

「で……できらぁ!」


 次の日からカネトは木剣片手に剣舞の稽古をし始めた。自作のヘタクソな歌に合わせて、くねくねと妙ちきりんに舞う滑稽な姿から、地元の子供たちから「なめくじカネト」「くねくねカネト」なんて呼ばれるようになった。


(やれやれ、上手くいったわい)


 男は考えたのだ。無理難題を天下無双の条件と偽って教えてやれば、カネトもいずれ「俺に剣は向かぬ」と音を上げるだろう、と。


「どうだい、母さん。なかなか冴えた手だろ?」

「やるじゃないか、アンタ!」


 騙すようで悪いと思わないではない。だが、平和に暮らしてきた一人息子を戦場に送りたくない親心くらいは許されてよかろうとの思いもあった。


 カネトは暇さえあれば剣舞に励んだ。雨、嵐、雪、雷などお構いなし。危険な獣が出たから家から出るなと地元の猟師が騒いでいても聞く耳もたず。男も妻も、まさかカネトがここまで初志を貫徹するとは思っておらず驚いたが、戦場で命を散らされるよりははるかにマシと笑顔で見守った。


 カネトが結婚し、産まれた子供がカネトの歌を子守歌とし、カネトの舞を見て育ち、言葉を話すようになるくらいの月日が過ぎた。


 ヘタクソな歌もくねくねの舞もそこまで続ければ様になっていくものである。カネトの歌と剣舞をもはや誰も笑わなくなり、カネトの剣舞を見るために旗小屋を訪れる客すら現れるようになった。食事の余興にカネトが剣舞を披露すれば「お見事!」「いよっ、名人!」と歓声とおひねりが旗小屋を飛び交った。


 カネトは、しかし、いい気になることもなく剣舞に没頭する。男と妻の髪に白が混じり出した頃、長年の修行はついに結実の日を迎える。


「お袋ぉ、父つぁん、こっちに来て見てくれ! 俺はついに舞の何たるかを知ったぞ!」


 カネトが快哉を叫ぶ声を聞き男と妻が駆けつけると、なんとカネト、川に浮かぶ一枚の木の葉の上で剣舞を舞っているではないか。


「カ、カネト! これはどういうまじないだ!」

「まじないじゃないさ! 水と地の歌に身を任せているだけよ!」


 カネトは当然のことと言わんばかりに言い返し、今度は宙を舞う木の葉に飛び乗って剣舞を続ける。


「これで百人斬り伝説も目の前だな! 領主から山のような褒美を貰ったら、まずは旗小屋を建て直すかな」


 あまりの御業に呆然と立ち尽くす男を妻がしかりつける。


「しっかりしなよアンタ! このままじゃカネトが戦に行っちまうよ!」

「じゃあどうしろってんだ! カネトはありゃぁ、本当の達人になっちまったんだぞ! 俺にばかり何とかさせようとしないで、母さんも策を考えてくれ!」

「ふん、言われずともそうするつもりさ」


 その日の晩飯の席で妻はカネトに言った。


「カネト、あんた舞を極めたから戦に出るのかい?」

「当然よ。あぁ、領主からお声がかかるのが待ち遠しいな!」


 カネトが鍋から立ち込める湯気の上で舞いながら答える。すっかり自信を増し、己が歴史に名を残す大剣豪になると信じて疑っていない。


「はぁ……カネト、アンタは戦場で功なんて立てられないよ」


 妻がわざとらしく呆れた顔をして見せると、カネトは「どういう意味だよお袋!」と湯気から転げ落ちる。


「舞を極めたのは大したもんさ。でも、それだけじゃ百人斬り伝説には到底足りないって言ってるんだ」

「俺に何が足りない?」

「『斬らずの斬』さ。斬らずして斬る戦神の御業のことに決まってるだろ」

「はぁ……斬らずして斬る? どうしたお袋、ついに歳でボケたか?」


 カネトが訝しむような声で尋ねる。


「ボケるにはまだ早いさ。知らないんなら教えてやるよ」

「ほほぅ、気になるね」

「戦に出ても領主はアンタみたいな庶民に立派な剣なんて渡さないよ。あんたはなまくらで戦うのさ」

「鈍ら?」

「そう、鈍ら。鈍らじゃぁ敵を一人斬れれば御の字だね。一振りで刃に血脂がべっとりついちまって、後はもうその辺の雑草すら切り払えなくなっちまって、百人斬りどころじゃなくなるよ」

「へっ、そんなもんは工夫すればどうとでも––」

「ならないからこそ百人斬りの剣豪なんて滅多に現れないのよ! だいたいアンタ、敵が鎧を着てたらどうするんだい? お得意の舞で急所を一突きしても、剣が鎧に阻まれちゃぁどうしようもないじゃないか」

「ううっ、それは確かに」

「天下無双の剣豪は剣を当てずして敵に当て、だからこそ鎧を着た敵に勝っちまうのさ。これこそ『斬らずの斬』なわけだけど、アンタにそれができるのかい?」

「で……できらぁ!」


 次の日からカネトは木に吊るした布団を相手に打ち込み稽古をし始めた。布団を裂かずに中綿だけを切り裂き、以て『斬らずの斬』の証とする所存である。布団相手に木剣を振り回すなんとも子供じみた振る舞いから、地元の子供たちから「布団相手のちゃんばらカネト」「お漏らしごまかしのカネト」と揶揄われるようになった。


(ふふん、アタシにかかればこんなもんさ)


 妻は考えたのだ。斬らずの斬なんて無茶苦茶、いかにカネトといえどもどうしようもなく、いずれ「戦場で功を立てるなんて俺には無理だ」とあきらめるだろうと。


「やるじゃないか、母さん!」

「名案だろ?」


 男は妻の妙案にほっとした。もうカネトには家庭があるのだし、旗小屋も継いでほしいから、夢をすっぱり諦めてどうか平和に余生を過ごしてほしいと願っていた。


 カネトは暇さえあれば布団相手の稽古に励んだ。旗小屋の古い布団を全部駄目にしてしまうと、他人の家から要らなくなった布団を貰ってくる始末。男も妻も「これはもしや本当に斬らずの斬に達するのでは」「いや、いくらカネトでもそれは無理だ」と不安と期待で気持ちがいっぱいだった。


 カネトの子供たちが成人し、男も妻も髪がすっかり白くなり、肌に深い皺が刻まれるようになるまでの月日が過ぎた。


 旗小屋の庭にはカネトが木剣で布団を叩くポスッポスッという音が毎朝毎夜響いていたのだが、その音は徐々に小さくなっていく。男と妻は「老いで自分たちも耳が遠くなってきたのだろう」と気にも留めていなかったが、ある日客が「カネトは今日も必死で布団を叩いてるけど、音が全然しないねぇ」と言うのを聞き、「もしや」と肝を冷やした。


 カネトは、しかし、今まで以上に鬼気迫る表情で布団を木剣で打ち続ける。男と妻の足腰が弱くなりそろそろ旗小屋の代替わりを考え始めたころ、ついに二人が恐れていた時が来る。


「お袋ぉ、父つぁん、こっちに来て見てくれ! 斬らずの斬、見せてやらぁ!」


 カネトの誇らしげな咆哮を聞いた男と妻が駆けつけると、なんとカネト、木剣で布団を貫き、しかし木剣を抜くと布団には穴が開いておらず、中綿だけにまん丸と穴が開いている様を見せつけてきたではないか。


「あわわ……アタシもついに歳で目がやられたのかしらねぇ」

「いや、お袋の目は良いままさ! 斬らずの斬により、布団に傷をつけず中綿だけを貫いて見せたのよ!」


 その日の晩、男と妻は互いを抱きしめ合って泣いた。


「まさか斬らずの斬すら達成するとは……」

「アンタ、どうすればアタシたちはカネトを止められる? カネトが人を斬るなんて嫌だよ!」

「いや、もはや俺達にどうにかできるもんじゃない。戦が起きない幸運を願うしかあるまいて」


 だが不運、村がある山に賊が出はじめ、領主が山賊を討つために村々から腕自慢を集め始めたとの噂が旗小屋にも回ってきた。


「もはやこれまでか」


 男と妻は絶望のあまり寝込んでしまうが、カネトはいよいよ己の野望が叶う時と笑いが止まらなくなった。


「山賊よ、早う来たれ! このカネト、悪党どもの首級を挙げて天下無双の大剣豪の名を轟かせる日が待ち遠しいわ! がははっ!」


 さて、カネトが住む村を山から盗み見る人影があった。噂の山賊どもである。


「山奥の田舎村にしては栄えてやがる」

「誰も彼も肉付きが良く、顔色も明るい。上手い飯がある証だ」

「若い女も多い。ふふふ、これは楽しめそうだ」


 山賊どもが邪悪な笑みを浮かべる。その時、賊の一人がカネトに気付いた。


「何だ、あの男は?」


 賊が見たのは、領主にいつ声をかけられても良いよう、今までになく稽古に熱中するカネトの姿である。

 カネトが朗々と歌いだす。


「賊よ、我が剣より逃れられるとゆめ思うな。我が舞えば険しい道も平らか。我が剣を振るえば峰の向こうの木も一刀両断。我は戦神の子なり。我、天下無双の大剣豪にならんと欲す。賊よ、我は諸君の首級を望む!」


 歌いながらカネトは舞う。地をタンと踏むと宙を舞う霞の上に降り立つ。優雅な動作で木剣を振るうと、少し離れた場所にある数本の木が巨人の鉞で打たれたかのように両断される。カネトは今や舞踊の真髄と斬らずの斬を融合し、神秘の域に至りつつあったのである。


 カネトの絶技を初めて目にした山賊たちは途端に恐慌に陥り、必死で根城に逃げ帰る。一人がカネトの歌を思い出した。


「ヤツは俺達の首がほしいらしいぞ、どうする?」

「あれは人ではない、逃げるしかねぇ!」

「いや、しかし、逃げてもヤツはひとっ飛びで追いくぞ」

「阿呆、ヤツが触れずに木を切り倒したのをもう忘れたのか? ヤツにとっちゃ逃げた獲物を追う必要すら無ぇんだ」

「そ……そんじゃぁ俺たちゃどうすれば……」


 山賊たちは絶望し、その日の晩の内に恐怖で皆死んだ。


 山賊がぱったり姿を見せなくなったことで、領主も腕自慢を集めるのをやめたとの噂が旗小屋に回ってきた。


「ああ、何たる幸運!」

「これでカネトが戦に出る必要も無くなったねぇ!」


 しかしカネトにとってはあまりの不運、ついに考えを変えるに至った。


「剣で身を立てるために修行に励んだが、これほど時流に恵まれないとは! きっと戦神が『お前には向いていない』と教えて下さっているのだろうから、もう止めだ、止めっ! 旗小屋を繁盛させるにはどうするべきか頭を悩ませるのが俺に似合った道なのだろう」


 戦場で剣の腕を競い合う内は天下無双の座は未だ遠い。真の頂に立つ者は常にただ一人。然るに、天下無双の剣豪には競い合う相手も戦場も無いのだが、カネトがそのことに気付く日は遂に訪れなかったのである。

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